2007年09月30日
ひさかたぶりに第3弾。車には全く関係ありません。
歌はいいねぇ、リリンが生み出した文化の極みだ・・・
"春咲小紅 / 矢野 顕子"
蘇る記憶・・・手紙
この曲はまたまた大学受験の頃を思い出します。
度胸試しに受けた大学に落ち、滑り止めに受けた大学も落ち、残すは本命国公立、という状況の高校3年の春、崖っぷちなのに大した緊張感もなく(あーこのころからモラトリアム人間だったのか)最後の受験に向かうため当時国鉄の特急「有明」に乗り込んだ。
前2回と同様、道中変に気を遣わないよう指定席を選んでいた私は予定の席に座り、受験生らしく赤本を開いた。
私はこれまでの受験旅行で学んだことがあった。
「旅は指定席に限る!」
最初は、隣に誰が座るのか判らない、「変なヤツが来たらどうしよう、狭くなるしやだなー」とネガな気持ちでいたが、ある時気がついた。
「カワイイ女の子が乗ってきたらどーするよっ、おー?」むさいオッサンとか乗ってきたら無視すりゃいいだけじゃん、てなポジティブシンキングに変わった自分がいた。
高校3年間、いや生まれてこの方18年まともな交際をしたことなかった私はチャンスをひたすら待っていた。獲物を狙うサバンナの肉食獣のように。
熊本駅を過ぎ、まだ隣は空席。特急「有明」の終点は博多駅だ。半ば諦め加減で大牟田駅に到着。すると・・・
キターーー(顔文字使えねぇ!)
隣の席に女の子着セーキッ!!
中肉中背の、(おっと、ヤラシイ狙いが露骨)いや見た目ごく普通の女の子。しかし全てを物語るその出で立ち、ざ・セーラー服(冬服)。ああこの子も受験だ。(私は私服だった)
特急が大牟田駅を出ると、彼女は早速私が事前に敷設した機雷に接触した。
『受験ですか?』
そう、「赤本」という名の機雷に接触したのだ。
『電車の中でも勉強してるんだ、すごいなぁ。』
かかった!It's a trap!!
そこから博多駅までの約1時間、ぺちゃくちゃ、とまではいかないが楽しいおしゃべりタイムだった。男女交際歴ナシの私には超上出来。
彼女は大牟田の高校に通っていて、福岡の短大(か専門学校)を受験すると言っていた。
私が北九州方面の国公立だというと彼女は『へー国公立か、頭いいんだ。』
本当はちーっともそんなことないのだが、当時は共通一次試験もあり、国公立というだけで田舎じゃブランドだった。
博多駅に到着すると、お互いの合格を祈り、最後に住所を交換して改札口でわかれた。彼女は改札の向こうに消え、私は新幹線のホームに向かった。
後日、彼女から手紙が届き、件の受験に合格したとのこと。私は女の子に手紙など書いたこともなく、文章を考えあぐねてる間に返事を出しそびれてしまった。後悔。
今頃どうしてるだろう。返事出さなくてホントごめんなさい。
たまーに思い出してなぜかにやつく私。
※第1弾書いたときに「洋楽限定」と書きましたが今回違いましたね。失礼。
Posted at 2007/09/30 08:11:52 | |
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思ひ出 | 日記
2007年03月25日
さっき見たテレビ番組の女性レポーターが放った言葉が思い出させた記憶。
親父に叱られた思い出だ。35年位前の話なのでその時の詳しいやりとりは覚えていないが,ごく普通の親子の会話をしていた時のこと。その会話の中で小さい子供だった私が知らない,又は信じられない内容があったんだと思うが,無意識のうちに「うっそー!」とつっこんだ。(何気ない会話の中でよくある光景ですよね。)
間髪入れず親父の激しいビンタが飛んできて,一瞬間をおいて「『嘘』って言うな!このバカタレが!そんな時は『本当?』って聞き返せ!失礼だ!!」としこたま怒鳴られた。
小さい子供ってのは,親に怒鳴られてもその理由が判らず「理不尽」と思うもんだが,その時に限っては「親父の言うとおりだ」と反省したのを私は覚えている。
以来,私は会話の中で「ウッソー!」という言葉を決して使わない。(意図して使うことは,ある。)
冒頭に書いた「レポーターの言葉」というのがこの『ウッソー!』だった。この言葉はよく『ヤダー』や『シンジラレナーイ』とセットで用いられることが多いが,そのテレビ番組では正にそんなニュアンスで使われていた。現地の人に何かの施設の説明を受けている一場面だったが,本人も決してその説明を『嘘』と思ったのではなく,つい口をついて出てきた言葉だったのだろう。
問題なのはそれが海外ロケだったことだ。
もし,いちいち正確に通訳するスタッフだったら"Its a lie!"と通訳するかも知れない。
想像してみてください。それってとっても失礼なことですよね。英語ではこういうシチュエーションでは間違いなく"Really?(本当?)"でしょう。
外国人に対して失礼なんだもの,日本人に対しても失礼ですよね。だから私は使わない。
で結局何が言いたかったのかといえば・・・中卒の親父だけど,以外と「国際派」だったんだってことです。
ヘンなオチ。
Posted at 2007/03/25 03:32:17 | |
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思ひ出 | 日記
2007年02月23日
もはやネタがつきそうなこのシリーズ、第2弾。
歌はいいねぇ、リリンが生み出した文化の極みだ・・・
"Physical / OLIVIA NEWTON-JOHN"
蘇る記憶・・・喫茶店
この曲は激動の18歳の頃を思い出します。
大学に進み一人暮らしを始めました。いろんなことが初めての経験です。
その一つ、初めて喫茶店に行ったときのことをこの曲は思い出させます。
私は高校を卒業するまで「喫茶店」というところに入ったことがありませんでした。
地元にはその数も少なかったし、なぜか「高校生が喫茶店」=「不良」のイメージがあったのです。
さて、初めて入った喫茶店は、今で言えば「ファミレス」(当時こんな言葉なかったぞ)に近く、大きな店で、食事のメニューも豊富でした。
入学してまもなく、私が入部したサークルでは、初めての試合応援の帰りに先輩が新入部員全員にメシをおごるという伝統があり、その時のことでした。おごりなので金銭的な心配はなかったのですが、とにかくはじめてみる景色に大緊張!
席に座りました。先輩にメニューを渡され「好きなもの頼めよ、なんでもいいぞ」。
見たことないメニューに大緊張!!今じゃ普通にファミレスにあるメニューなんですが、家でしか飯食ったことなかったのでメニューを見てもどんな料理かさっぱりわかりません。
当時肉類がほとんど食えなかった私はとにかく魚メニューを探しました。26年後の今でも覚えています。注文したのは『サーモンフライのランチ』。サーモンって鮭だよね。オレ塩ジャケ好きだし大丈夫だろ、と。
注文した料理が来ました。メインにスープとライス付きです。
すると・・・
スープについてきたスプーン(のすくう部分)が真ん丸で大緊張!!!今までそこがたまご型になったスプーンしか見たことない。おんなじように使うんだよね。
なにー、ライスが皿に盛ってあって大緊張!!!!はじめて見たぞ。意味わかんね。
えー、フォークとナイフが出てきて超緊張!!!!!テーブルマナーなんか教わってませんから。
あーもうだめ、ガチガチです。
とりあえずスープを飲みながら周りを観察です。他の新入部員は平気な顔してパクパク食ってます。
あれー、フォークの背にメシ乗せてるよ、わけわかんね。どうやんだ、曲芸じゃん。あ、ナイフも使うのか、って、ナイフそんな使い道もあるのか、どうして誰も教えてくれなかったんだよー。
身の不幸を呪ってるうちにスープを飲み尽くしてしまいました。
さあ、フォークとナイフの出番です。見様見まねでやってみました。
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何とかなるもんですね。(アッサリ)
特に冷やかされることもなく食事を終えました。でも普段早食いの私がえらく時間がかかったのを覚えています。
当時田舎者のガキで、恥をかくことを極端に恐れていた私は、どうにかこの難局を乗り切り、無事喫茶店デビューを果たしたのであります。
・・・塩辛くないシャケはじめて食いました。マヨネーズかと思ったらタルタルソース(初)でした。
・・・・ちょっとオトナになった気がしました。
Posted at 2007/02/23 23:20:10 | |
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思ひ出 | 日記
2007年02月20日
来週の日曜日に6か月点検に出すことが決定したのでろどすたネタはその時に書くとして,近頃フィギュアネタばっかりなので,それまでのつなぎに趣を変えたやつ一発。
歌はいいねぇ,リリンが生み出した文化の極みだ・・・
歌は生活に密着してます。まさにBGMです。特定の曲を聴くとその曲に直結した記憶が鮮明に蘇るってことないですか?出来事と歌は直接関連性がない,ただの記憶の引き金みたいなヤツ。
そんな曲と記憶を書いてみたいと思います。
なお,私は思春期と呼ばれる時期から結婚するまではほぼ洋楽しか聴いていなかったので,そういう曲も洋楽限定なので悪しからず。
"Don't Stand So Close To Me / THE POLICE"
蘇る記憶・・・ビニ本,そば(蕎麦)
この曲は京都に受験に行ったときのことを思い出します。当時笑福亭鶴瓶の大ファンだった私はそれだけの理由で彼の出身校を受験しました。
鹿児島から受験に行くわけですから当然前泊します。私が泊まったのは京都駅の近く,西本願寺の向かいにある小さな旅館でした。とりあえず荷物を宿に置くと,私にとって初めての京都でしたので,受験のことも忘れ修学旅行気分で街なかを散策です。
その時ふらっと入った小さな本屋さん,そこにあったビニ本に脳天を雷で打たれたような衝撃(打たれたことないけど),その衝撃は最短距離を通り私の身体のある一点に凝縮されました。
当時高校3年生の私は悩み抜いた末,罪の意識にさいなまれながらも生まれて初めてビニ本というものを購入したのでした。
速攻で宿に帰り食事をとった後・・・試験前の勉強をすることもなく・・・それはもう真っ白な灰になるまで・・・燃えたよ。燃え尽きたよ・・・真っ白にな。
翌日スッキリと目が覚めた私は,雪の降る中何とか試験も無事終わり,帰路につくため京都駅に向かいました。で,駅で時刻表を見ると,
うん,ん?違うよな・・・え?まさかねぇ。(とキップを見る)・・・んん?(時刻表を見る)あれ?出てるよ,電車。
何を勘違いしたか,キップをとってた新幹線に乗り遅れました。もうパニックです。
ビニ本でとろけ加減の灰色の脳細胞をフルに回転させた結果,次の新幹線に乗れば姫路駅で追いつく(新大阪から寝台列車に乗換予定だったので)ことが判明,新幹線に飛び乗り何とか姫路駅へ。
パニクってたので晩飯食ってなくて腹減りました。するとホームにそば屋があったのです。
ラッキー!当時から駅のそばには目がない私は,寝台列車の待ち時間もあって早速注文しました。
そしたら・・・何これ?・・・麺が白くて・・・スープも違う。改めて店の看板見たらちゃんと「そば屋」と書いてある。げっ,まずっ。そばじゃねーじゃん。見た目はまるでラーメン。
こんなのそばだって,サギじゃん。信じられん。心の中で死ぬほど悪態ついてやりました。(個人の嗜好の問題なので許してください,姫路の方。)
後にも先にもそばを食べ残したのはその時だけです。
失意と空腹のうちに到着した寝台列車に乗り込んだ私は,そそくさと寝台のカーテンを閉め,オカズをむさぼったのでありました。ビニ本という名の。
再び真っ白な灰になった私は無事帰宅しました。私,京都に何しに行ったのでしょう。
このような,歌にリンクした記憶,思い出したらまた書こうっと。お目汚しの長文失礼。
そうそう,試験は当然不合格でした。
Posted at 2007/02/20 01:50:58 | |
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思ひ出 | 日記