平日の休みを使って、前々からずっと気になっていた「
日産ヘリテージコレクション」の見学に行ってきました。
神奈川の座間事業所(旧座間工場)の敷地内にあり、予約が必要ですが無料で見学ができます。
マイカー(日産車以外でも勿論OK!)で訪ねることができますが、レヴォーグで行くのも何だかアウェイ感もあるしということで、律儀!?な自分は電車で行きました。
しかし、これが失敗のもとでして、地元根岸線は遅れて、更に乗り換えた相鉄では座間事業所の最寄り駅のさがみ野で降りなくてはいけないのですが、特急に間違って乗ってしまった為、さがみ野を通過。終点の海老名まで一機に行ってしまい、慌てて戻ることに。乗るはずだったバスには間に合わず、タクシーも拾えません。
9時50分までに正門まで行かなくてはいけないのですが、この時点で20分ぐらいしかありません。自宅を早めに出発したにもかかわらず、余裕は使い切ってしまったのでした(-_-;)
この日も結構暑かったのですが、何としても間に合わなけばということで、早歩き+たまに小走りを繰り返して、集合時間ほぼぴったしで正門に到着。
ざっと50人近くは見学に来られていたと思いますが、どうも公共交通機関で来たのは自分だけだったようで、正門からヘリテージコレクションまでの送迎バスは贅沢にも自分だけ。一人大汗をかきながらの到着となりました。
見学の順路ですが、先ずが受付を済ませた後に、全体で集合し、個別で見学する人と、ツアー(無料です)を希望する人の二手に分かれます。
今回初めてだったということもありツアーを選択し、25分ほどかけて展示車の説明をしていただきました。
座間事業所ですが、現在は日産の生産技術の拠点として、新型車の量産試作、プレス金型、車体設備技術、樹脂成型技術、電動車両技術の企画・製作・設置やモーターインバータの開発とリチウムイオンバッテリーの開発・生産を行っています。座間工場時代(1965年~1995年)は完成車の組立を行っていました。
工場操業開始の翌年にデビューした「
サニー」。
以後、1995年までサニーはこの座間工場での生産となります。
ちなみにサニーは座間工場以外で、何とスバル(富士重工業)でも組立を行っていたことがありました。
日産車初のFF車であった「
チェリー」も座間工場製でした。
日産(VW!?)の黒歴史の「
サンタナ」のノックダウン生産が行われていたのがこの座間工場でした。
日本製(日産製)のドイツ車は残念ながら当初計画されていた月産4,000台には遠く及ばず、7年間で50,000台ほどの生産で終わってしまったのでした。
約300台が展示されているホールの手前では、「
MID4-Ⅱ」がお出迎えしてくれます。
1時間半の見学時間では写真を撮るだけでも結構な時間となってしまいました。
出来れば一日かけてゆっくり観たいぐらい、日産車の歴史が詰まっております。
歴代の日産(ダットサン)のロゴマークです。
ダットサンの由来については、
こちらをご覧ください。
プリンス自動車の前身、東京電気自動車が製作した「
たま電気自動車」です。
1947年と今から70年以上前に電気自動車は生まれており、リーフの祖先にあたります。
ホイールキャップは平仮名の"たま"を模ったロゴになっています。
ケンメリの
GT-Rは何と2台も展示。内1台はボンネットが開いておりました。
伝説のエンジン"S20"が載っております。今どきのクルマと違って、スカスカのエンジンルームですね。
チャリティ用に作られたGT-Rの
ウサイン・ボルト仕様です。
ゴールドのGT-Rは3台製造されて、その内の1台はボルト氏に贈呈されたとか。
ボンネットにはボルト氏直筆のサインがありました。
市販車だけではなく、競技車両も展示されています。
日産というとレーシングカーのイメージが強いですが、80年代ぐらいまではラリーでも大活躍でした。
フェアレディZ(Z31)のラリーカーです。今と違って、この頃はFR車でもラリーで大活躍でした。
パルサーGTI-R(RNN14)のRACラリー出場車です。
ライバルのセリカGT-FOUR、ギャランVR-4、レガシィRSには歯が立たず、日産のWRCワークス参戦撤退のきっかけを作ったクルマになってしまいました・・・
「くうねるあそぶ」な初代セフィーロ(A31)も展示。
家のクルマを買い替える時に、オヤジに薦めたのですが、トヨタハイソカー3兄弟の方が好きだったようで残念ながら購入は叶いませんでした。
中古市場ではドリフト需要に支えられていましたが、今見ても古さは感じず、なかなかのおしゃれなセダンだったということを改めて感じております。
90年代の日産車の中で一番好きだったのがこの
プリメーラ(P10)です。
当時はドイツ車よりもドイツっぽいなんて言われていましたが、開発には前述のサンタナのノウハウが活かされたそうです。
手が届かず、マーチやパルサーで妥協してしまいましたが、無理してでも買わなかったことを今でも後悔しております。
このまま譲ってくれないかなぁ(笑)
色は違いますが、うちの爺さんが12年乗っていたのと同じ
スカイラインジャパンです。
生まれて初めて好きになったクルマ、いわば初恋のクルマだったりします。
ジャパンの思い出について、よろしければ
こちらをご覧くださいませ。
パイクカー3兄弟もきれいに並んでおりました。
レトロなデザインが功を奏してなのか、当時も今もあまり様子は変わりません。
バブル期だから許されたというのもありますが、こういうクルマを出す余裕があの頃の日産にはまだありましたねぇ・・・
先ほどのジャパンが初恋でしたら、こちらは初めての彼女とでも言うべきでしょうか。
自分の最初の愛車、
K11マーチです。
グレードは違いますが、自分が乗っていたのと同じ5ドアで、色(スタイリッシュブルー)も一緒。
ディーラーオプションのプロジェクターのフォグランプまで同じです。これを付けるとヨーロッパ仕様(マイクラ)の雰囲気に近づきます。
自分が乗っていたのはMTでしたが、CVT(N-CVTって名前でした)はスバル製。
この頃からスバルには何らかの縁があったのかもしれません。
展示車ですが、フォトギャラリーにもまとめてあります。
スカイライン・1
スカイライン・2
セドリック・グロリア・プレジデント
シルビア
フェアレディZ
残りについても、追ってアップしていきます。
ゴタゴタが続いている日産ではありますが、日産車ファンを大切にしているからこそ、このように300台に及ぶコレクションの無料開放には感謝しかありません。
ただ、敢えて言うならば、このヘリテージが今売っている日産車にあまり繋がっていないのが残念です。
EVや自動運転等、これからの時代を見据えて必須な技術なのは分かりますが、ここに展示しているクルマ達みたいに、ワクワクするクルマを作ってほしいものです。新しいスカイラインがちょっとした兆しに見えなくもないですが、売れ筋が軽とノート、セレナ、エクストレイルだけではあまりにも寂しいので、車種を増やしてほしいなぁ。海外向けには魅力的なクルマが多いだけに、頑張ってもらいたいところです。
なんて偉そうなことを言ってしまいましたが、地元企業で尚且つクルマを覚えたのが日産車ということもあり、離れても思い入れは今でも強く、不躾ではありますが書かせていただきました。