さて、
車を修理に出したら修復歴があるのではと指摘された件ですが。
査定協会に車を持っていったら、今回の事故の修復と分けて見るのは難しいと言われ(数人で診ていただいたうえに書類が出せないからと検査料返金された)、もーこれは仕方がないと本日販売店に出向いて
「事故って修理に出したら気になる点があったから査定時の資料見せてくれ」と、どストレートに言ってみた。
結果、査定協会の書類が出てきたけど修復歴については記載なしでした。
ってことは今回問題となってるリアの部分は査定の人が見て「修復歴あり」とするほどではないと判定したってことですから、修復したところもダメージとしてはそういう程度だってことだと「信用」することにしました。
ってなわけでこの件についてはこれで落着です。
うーん、数日のバタバタと精神的負担は結構なもんだったんだけど、非常に勉強になったし考えさせられた出来事でした。自分も手抜かりがあったなと後になって思ったしな。そもそも購入時にこの査定資料を見ておけば、今回の指摘についてあれこれ悩むこともなかったわけで、ブツ以外にもそういう点は押さえないといかんのだなーとか。探しまくっていい加減疲れたところでやっと希望の車が出てきて気持ちが急いでたからなぁ。
後ですねー、結局私もそこそこメカが分かる気ではいても車体の深いところとかはやっぱり分からないんで、その分からないところにポツンと「疑心」の小石を投げ込まれるとその波紋はどんどん広がっていくわけですよ。今回だって業者・査定協会その他車にかかわる色んな人たちにどこまで信用をおいていいのかとかぐるぐる考えましたね。
具体的にそれが出たのは査定協会に持っていく時。販売店のステッカーはがして、車検証入れも何もないフツーの書類入れに差し替えました。なぜかと言うと査定協会っつっても所詮は業界団体、だとすれば販売店の規模等によっては甘い査定が行われるのではないか、ならどこで買った車と分からないようにして持っていく必要があるだろう。そんな風に頭から疑ってかかっていました。
で、今回はそれこそ査定協会の書類を見てそれを信用することにしたわけですが、もし万が一それが業者と協会で「なあなあ」のもとに作られた書類なのでは?とか疑い出すとそれはもう際限がなくなってしまうんだよね。
もしも今回事故って損傷した部分が横とか前で、そこで修理に出したらリアに修理痕がと指摘され、前記のごとく販売店が分からないようにした上で査定してもらったら正にリアに修復歴がありますと書類が出たとする。じゃあ販売店にある査定資料とこの新たに出た資料が合わないとはどういうこと?と、こうなっちゃってたら事態はえらいとこに波及することになっただろう。すでに消費者相談窓口と公正取引協議会には相談してるし。まあそうは言ってもこの両者だってどこまで動いてどこまで権限あるかっつーとあまりあてに出来ないかもしれないけどね。
しかし私以上にメカは分からないけど中古車を買う人は世の中に五万といるわけで、そういう人が安心して車を買えない、本当に車の何もかもを知ってて実見したその場でその車のことが分かる人でないと怖くて買えないってことになってしまうと、それは中古車販売を生業とする人たちにとっても長い目で見ればマイナスになるわけで。もちろん分からない分からない言ってないで買う側もある程度は勉強が必要だろうけど、そういうことに明るくない消費者でも安心して車を買えるよう、ちゃんとした商売をしてほしいなぁ業者は頑張ってくれとしみじみ思ったのでした。
大なり小なり何かを誰かを「疑う」と言うのはえらい疲れることなんだよねー出来ればそんなことはないに越したことはない。
中学か高校の時、社会の授業で「経済を支えてるのは“信用”だ」みたいなことを教えられた記憶があるんだけど、本当にそうだよなー。信用が消えれば何もできなくなるもんな。ちょっと深いな、何かいい関連本あるか探してみるか。
Posted at 2011/12/03 23:05:40 | |
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クルマな日々。 | 日記