サッカーではGK以外は基本的に手を使ってはいけない。
足や頭を使って相手のゴールマウスめがけてボールを放ち、より多くゴールしたほうが勝ち。
手を使ってもよい場合はスローインなどに限られている。
反則の判定を下す審判がおり時間が決められておりゲームを進行するためのルールが一般人にもある程度認知されている。
ところで、言うまでもないが日本国には法律がある。
何が合法で何が違法かこれらもある程度の人々は理解している(はずである。)
「郷に入っては郷に従え。」と言われるが、まさにそのとおりで国によって“その行為”の判断基準が違う。
社会のルールとは様々なものを指すのだろうが、その最たるものは法律なのだろう。犯したら裁かれるのだから。
さて、日本車の歴史を見てみるとなかなか興味深い。
特にここ20年ほどは色んな意味で面白い。
車を見ていると日本人の馬鹿さ加減がよぉ~く解るし、逆にそこが愛らしくもある。
懐かしさに浸りながら昔買ったカー雑誌をたまに見るのもいいものだと感じる。
それらの雑誌には、バブル期に雨後の竹の子のように登場しまくったエセハイテク車達やその後の無駄な贅肉を削りまくったような貧相な車達も載っている。
何れも当時の価値観で造られた鉄の塊だが、様々な機能や装置、それまでにはないジャンルの車が次から次ぎと現れては消えていった。
それらの機能や装置等は当然ながら合法的なものであったのだが存在意義があったかは別。
クルーズドコントロール、4WSなどの機能も昔は2000CC程度の車にも普通に付いていた。
これらには必ずしも使わなくてはならないというルールがあったわけではない。
“使いたかったら使っていいよ”程度の機能であった(4WSは勝手に作動したが)。
基本的にその機能を使うかどうかはその所有者(または運転者)次第というわけだ。
個人的にはクルーズドコントロールシステムなんて大好きな機能である。
しかし実際にはあまり使わない。それでも付いていないよりは付いていた方がよいと思う。
誰だってそうなんじゃないだろうか?付いていないよりは付いていた方がいいと感じるのが一般的なんじゃないだろうか?
たとえ一年のうち二回程度しか使わなかったとしても。
昔、子供のころ習い事が流行ってた。キミも何か習ったんじゃないか?
書道、珠算、ピアノ、etc・・・・・
俺は書道をしていたな。うまく書けなくて「こんな時消しゴムがあれば!」とよく思ったものさ(苦笑)
ノートに書いた文字は間違ったら消しゴムで消せるし、黒板に書いたチョークの文字は黒板消しで書き直せる。なんて便利な道具達なんだろうね。
最近ではパソコンで文章を書くが間違ったらデリートキーを“ポンッ!”とはじくだけ。間違ったままの文章を他人に送るわけにもいかないからね(笑)
便利な道具・機能、別に誰に咎められるべき行為でもない“書き直し”
むしろ「間違った文字は消しゴムで綺麗に消して書き直しなさい。」と言われるのがオチ。
ルールが存在する。
機能が存在する。
合法である。
誰にそれを制限する権利があるのか。
ここに参加するための資格はなんだろう?
書き込むことが出来る者はどういった者だろうか?
また、書き込んだ内容を削除することは違反行為なのだろうか?
なぜに“削除キー”が存在するのだろうか?
では、他人が書いた文章を書いた本人が削除することを制限しようとする人間の心理は?
1、自分の書いた文章に責任を持っていない。
2、穴ぼこだらけで美しくない。
はぁ~~~?????? アホくさいと感じる。
単に付属している機能を使っただけ。
たまにはクルーズドコントロールシステムでも使ってみようかなぁ~的な感覚。
また、何となく気に食わない文章だったので書き直そうと思ったとか。
心配なんだろうなと感じる。
「俺が見ていない間に書かれた文章はなんだ!」
被害妄想か?
自分で思っているほど周りはそんなに“あんた”を気にしていないのにね(笑)
当然解っているとは思うが、キミのことを言っているんじゃないよ。
キミはその程度の人間でないのはよく解っているから。
そこでキミの見解を一度聞いてみたい。そう感じただけなんだ。