1985年ゆうたら
僕は大学生
知ってて当然やのに
この話も知らんかった
イランイラク戦争も5年目に突入して
やぶれかぶれのサダム・フセイン大統領
何を思たんか
48時間経ったらイラクの空飛んでる飛行機
無差別に撃ち落とす言い出した
なんちゅうても相手はフセイン
ホンマにするかわからん
各国のナショナルフラッグキャリアーは自国民の帰国手配で必死
ソ連のアエロフロートは日本人全員拒否
それどころかイミグレーションはよ通りたいから
一カ所占領してソ連人専用にしてたらしい
それでもオーストリア航空、エールフランス、ルフトハンザで40人程は脱出
残り215人
日航は安全が保証されてへんゆうて拒否
トルコ航空チャーター便
1機飛ばす予定を2機に増やして日本人救出してくれる事に
経緯については色んなとこに書いてるから省略
チャーター便のスタンバイチームは
パイロット、CA全て志願
危険な任務にも関わらず
全員志願したて言われてる
タイムリミットは
1985年3月19日午後8時30分
198人の日本人乗せてくれた1番機のテヘラン離陸が5時10分
17人の日本人乗せてくれる予定の2番機が着陸、給油終えて離陸したんが
7時30分、機材はDC-10
イスタンブール着陸が8時20分
それから14年
1999年8月17日
トルコ北西部大地震
海上自衛隊から輸送船おおすみ、掃海母艦ぶんご、補給船はやせ、が出動
仮設住宅500戸を積んだおおすみでは
『トルコ共和国はイラン・イラク戦争のおり、危険もかえりみずに二機の航空機を派遣し、テヘランに在留していた邦人215名を救出してくれた。日本は、いまこそ、トルコの恩に報いなければならない。トルコのひとびとの友情に応えなければならない。・・・先達が遺してくれた日本とトルコの絆を断ち切るようなことがあってはならない。さあ、すみやかに、トルコへ向けて出発しよう。トルコには日本の支援を待ち焦がれているひとびとがいるのだ』
艦長からこんな訓示があったらしい
そして2009年
ふるさと納税てゆう制度が出来てすぐ
2月14日
沼田さんゆう方から
串本町役場に
ふるさと納税第1号が届く
お金に同封されたメモには
『わたしは串本町の方々がトルコ人を救助してくださったおかげで1985年にイランから救出していただきました。本当にありがとうございました』
Posted at 2013/08/01 10:46:16 | |
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