アメリカ村が点から面への広がりみせる決定的な出来事起こったんは1978年
1つの交通事故と1つの企業の倒産
まず中学校(ビッグステップ)の位置の確認
北は清水町筋、南は周防町筋に挟まれてる
正門は清水町筋にあって、裏門は周防町筋にある
朝はどっちの門も開いてるから清水町より北に住んでる生徒は正門
周防町より南に住んでる生徒は裏門から登校する
1つの交通事故から説明すると
ビッグステップ周防町入り口に向かって右手
現トムズハウスは数台分の手動シャッター付き貸しガレージやった
僕の家は周防町より南にあったからいつものように裏門から登校したら
前述貸しガレージに車が突っ込んでた
シャッター付きやったもんやから勿論シャッターグチャグチャ
その後暫くそのままやったけど
いきなりインベーダー置く仮設店舗が出来た
インベーダーは店に向かって左側、右側には服も置きだした
目玉商品はシェラデザイン60/40のマウンテンパーカーにダウンジャケット
時はプレッピーブーム前夜
ボタンダウンにボウタイ、その上にマウンテンパーカー羽織って
レイノルズ531のフレームにまたがってミナミで遊ぶそんな日常やったからこの店は流行ってた
これが通称「テント村」
もう1つの偶然
株式会社ヴァンヂャケットの倒産
今の大丸南館、当時は大丸ブルジョンゆうて子供館に
VAN mini があって幼稚園の頃から着るようになって
小学校高学年からはVAN boys
そろそろレギュラーのVAN買える体の大きさになってたから残念やった
ちょっと脱線したけど
株式会社ヴァンヂャケット大阪支社が周防町挟んで裏門の向かいにあった
倒産したVANは何をしたか
自分とこが保有してた全てのブランドごちゃ混ぜにして福袋方式で売りまくった
兵どもが夢の跡
サンヴィレッジになった
そのサンヴィレッジもまたセールとともに店を閉じた…
アメリカ村、これからも新陳代謝しながら発展するんか
徐々にさびれていくんか誰にもわからん
Posted at 2012/02/01 10:09:17 | |
トラックバック(0) | 日記