
【注意】むちゃくちゃ長くなってしまいました。車とは全く無関係の話になってしまったので興味のない方はスルーして下されw
では前回の続きです。
後輩と離れてしばらく走ること25km。どうも左足の様子がおかしい。膝の裏がだんだん張ってきて、普通のフォームで走ると激痛が走る(笑)。このころになるとあちこちが軋むように痛み出します。右股関節が痛くなって腿が上げづらくなったり、同じく右足首にも痛みが刺してきます。
とはいえ、このウルトラマラソンには痛みはつきもの。カレーにジャガイモが入っているくらい普通のことなのです。ただ、「走りを継続できる痛み」と「ほっとくと走れなくなってしまう痛み」を判断して無理のないように走り続けなければなりません。
え?なんか日本語がおかしいですか?この100kmを走り切るには「痛い事を前提に走る」のが大事です。楽に100kmを走れればいいんですけどねぇ。A^_^;)痛みを傍らに置きながら走るのです。前回は痛みで挫折したようなもので、そこから得た教訓です。まるで人生そのものですよ。('A`)
ここからは「痛むところは無理をせず、ペースやフォームを調整して、治しながら走る!」方へシフトします。完全には治す事は無理ですけど、走り続けれるだけましだと。丈夫に生んでくれた親に感謝しながら走ります。とはいえ、この25km地点での「膝の裏の痛み」はどっちかというとかなりヤバイ部類にはいりまして、下手をしたら一発KOなくらい。足がつってしまったり、最悪肉離れなんてことも・・・・そんなイメージが沸いてきますが、
「まだ序の口。(あと70kmあるし)落ち着いてペースを落として回復するのを待とう」
と結論。がくんと速度が落ち、ぼちぼちと後ろから抜かれ始めます。
さて30kmのエイドに入りました。んで、ここから坂道が始まります。エイドのおじさんが「ここから坂が始まるよ。頑張れ!」まじっすか?軽いなおじさぁん。(;゚д゚) あんパンとチョコを口に頬張って休まずえっちらほっちら、歩くくらいの速度で走ります。
ほんとスピードが出ない。しまいには歩きのランナーにも抜かれる始末(ほんとです。)この時、ちょっと心が折れそうに。「オレもあるこっかな。」いやまて、オレは最初に「このレース、結果はどうなろうと一度も歩くことなく頑張ろう」と誓ったのだ。なぜか?たとえ完走できなくても「最後まで手を抜かず走りきった」ということが、悔いを残さない事に繋がってきたから。今までの経験からね。「たら、れば」は大嫌いです。そしたら嫌みなことに、女性ランナー二人組が、わざわざ歩いて並んでくる。抜くならぬけばいいのに。片方は一生懸命走って、片方は鼻歌交じりに歩いて上っている。なんかシュールだ。しかも横目でちらちら見ながら笑い合ってる。そのとき猛烈に憤りが沸いてきて、こんな想いをするなら走るのをやめるか?と思ったその時、前にどこかで読んだ詩が浮かんできた。
「たゆまざる 歩み 恐ろし 蝸牛(かたつむり)」
この句はかの長崎平和記念公園の像を作成していた「北村西望さん」が、作業が終わってかえるとき、像の足下を張っている蝸牛を、次の朝には像の上の方で発見して驚いた様子を詠んだものです。
蝸牛は像の上の何を目指して登ったのか?端から見たらとても無意味な事に映る。だけど蝸牛は登った。ちっぽけな蝸牛でも「たゆまない」ことが大きな力になるのだ。
顧みて今の自分は足も痛めてペースも遅く、走っても歩きと同じ速度しかでない。でも周りは関係ねぇ!今できる「走り続けられる」ことを愚直にやり続けるしかないではないか。楽なところで走って、キツイところで歩く。それが普通かもしれないけど、こうして「走り続ける」ことはこの二人組にもできないことなのだ。
そう思ったら気持ちがすーっと楽になって、「オレはこれでいいんだ」と思えるようになりました。そしてこの「走り続けた」ことが、後に大事なことだった、と気づく事に。

嫌みな二人組を逆に、こっちからビッタリ併走し返して脱落させた後、(所詮大股歩きで坂道を付いてこれる道理もないですよね)山頂のエイドポイントへ。ここで地元ボランティアの方々(平均年齢多分60以上)の心温まるフード&応援が。メニューもバナナやドリンクの他、高菜おにぎり、茶がゆ、しそ梅、漬け物、みそ汁など、夜なべしなきゃ用意できない物まで並ぶ。おお、すげぇ!しかもおいしい!あまり食べることもできないけど、ほんとうにゲンキをもらえるんですよ。思わず出発するときに「また来ます!」って言ってしまった・・・。大丈夫かオレ?次ここに来ると75kmだぞ?
と、こんな感じで折れそうになる心を地元の方々が癒してくれるわけです。時に着替えを手伝ってくれたり、ランナー達にも笑顔で応対、フードも食べやすいように工夫してくれたり、あるポイントではメニューになかったイチゴを、無料で提供してくれる農家の方も。50kmも走るとビタミンやミネラルが大事になってくるので本当に嬉しい。特にイチゴは頬張る程おいしく、「むっちゃうまいっす!」と喜ぶ私を笑顔で答えてくれたおじさんの顔が忘れられない。そのポイントを去るときにまた「またイチゴを食べに来ます!」とまた叫んでしまった。・・・オレってあほだなぁ。次ここに来るときは80k(以下略)
・・・・でも、このポイントには、這ってでも来ようとこの時堅く決心しました。(笑)
考えてみると、ここ熊野は去年、台風12号の影響で甚大な被害が出ています。田畑は流され、道は寸断され、住む家は床上浸水し、復旧は最近めどがたった、という状況。実際コースには、まだ修復されていない道路が土嚢で補強されていたり片側通行になっている箇所もありました。見える部分でこれですから、見えない部分、特に住民の皆様の心痛は測り難いものでしょう。

心ない人は言うかもしれません。「こんなあちこちガタガタなコースでマラソンができるのか」または「復旧してから開催した方がいいのでは」などと。
でも私は逆に、「この大変な中、マラソンを開催して頂いた関係者の方々、及びコースを提供して頂き、さらにはエイドポイントで選手達の支援を買って出てくださった方々、またこのマラソン開催にご理解をして頂き、また暖かな応援をして頂いた住民の方々」に、心から感謝したい。また開催へのご尽力に心から賞賛を送りたい。

ここに来るまで実は、熊野の被害がどういう物なのか、知っているようで知らなかった。なので、この大会を、万難を排して開催して頂いた、だからこそこの熊野の真実を知ることができたのです。当日は雨でしたが、熊野は暖かく私を迎えてくれました。
やっと山道を抜けて57km地点(出発地点)へ。ここから2周目に入ります。
今回のマラソンは50km程のコースを2周しました。なので2周目からはどの辺がきついのか解ってきます。1周目は6時間半で回れましたが、2周目からは足が更に2回ほど固まり、とうとう引きずりながら走っている状況。更に速度は落ちる。事ここに至って、「完走はおそらくムリ」との考えもうかびながら立ち止まることは選択肢にない。どうせならリタイヤするのではなく「関門」で足切りに合うぞ!と山の斜面に立ち向かいます。
70kmにさしかかったあたりから不思議な状況になりました。平地では抜かされるのですが、なんと坂道では逆に抜き返せるようになったのです。あしもなぜか坂道の方が楽に(ホントよ)なるし、歩きのランナーをどんどん抜き去る。そして平地で追い抜かれる(笑)。これも坂道を駆け足にこだわった成果か?笑いが止まりません。こうなると逆に「坂道どんどん来い!」と思えるように。ただ、もう足は限界をとうに超えていて、エイドでも立ち止まることはできません。足踏みは止めずに器用に食べて飲んで挨拶をしてエイドを後にします。
このあたりからだんだん時間との戦いになります。いわゆる「足切り」です。57km地点で14時、65km地点で15時、89km地点で17:40迄に通過しないとそこで終わり。タイムを計ってもらえません。
私は57km地点を12:30に通過しましたが、そこからペースが更に落ちて65km地点では14時30分までかかりました。このままでは最後の足切りに間に合わないか?ならばできることから始めよう、ということで、時間を無駄にしないようエイドでの滞在時間を最小限にします。つまり「休まず走り続ける」。
足の遅い私には「休まない」事しかできなかったのです。75km地点の最後のお着替えポイントも見事にスルー。結局着替えの袋は開けずじまいでした(笑)。係員さんごめんなさい。

そして85km地点!とうとうまたイチゴポイント(笑)に再度到着!思わずおじさんに「またイチゴを食べに来ました~ノД;)」と叫ぶ。「良くかえってきたw」とおぢさん。感無量。だが時間がない。時間はぎりぎりだけど関門クリアの可能性を残している。ここで半分あきらめていた「100km完走」がおぼろげながら見えてきていた。ならばなおさら「完走できなかったのはおじさんのせい」にするわけにはいかない。
笑顔でイチゴを頬張る。そしてまた走り始める。この間10秒。頬張りながらもエイドの皆さんへの感謝の言葉を叫び続ける。「この寒い中ありがとうございます。」「いちごめっちゃうまいです!」「なんとか完走します!」「本当に助かっています!」「ありがとうございました!」・・・・これしか伝えられない時間の無さ。あとは手をぶんぶん振ってエイドを後にする。
あとで知ったのだが、このイチゴは売り物になるはずをおじさんが提供してくれてたらしい。おじさんに愛が芽生える(笑)。
ビタミンやミネラルは大事だ。とくに私のように「足を治しながら走る」モードになったらなおさらです。以前に栄養セミナーで聞いた言葉で「蛋白質、脂質、炭水化物は薪のような物。それを燃やす(使う)にはビタミン、ミネラル、食物繊維が必要」と。なのでイチゴやオレンジ、茶がゆなどは貴重な栄養補給源になった。どれも少しでも足りなければ走り続けることはできなかったと思う。
そして89.9km地点。通過は17:36。もうぎりぎりでした。あとは残り約10km。10分の1だ。

この写真は安心しきって携帯で撮った写真。結局雨は止まず。だけど・・・・・
実はこのゲートをくぐるために結構なペースで走ってしまった。下りだったのもあってなんとか関門に間に合ったけど、ここで足が限界に達した。もう棒です(笑)。でもあとは19:30までにゴールすればいい。歩いても間に合う。実際この時間、このポイントでもう走る人は半分ほど。みんな歩いてたなぁ。でも・・・私は歩かない。多分歩けない(笑)。ホントに歩きの人に抜かれながら、なお走り続ける。
エイドが近づく。もう93km地点か。でも時間がない。ホントに申し訳ないがお礼を言いながら通過する。
続いて「あと5km」の表示。もうあたりは真っ暗だ。街灯を頼りに走る。最後のエイドに来る。ここも申し訳ないがスルーする。ここでもお礼の言葉がこみ上げて口から出る。おばちゃんが「水たまりがあるからよけて」と言っている。もう水たまりも見えなくなった。ここで時間計算をする。だいたい1kmにつき10分ペースで走っている。
今の時刻は19:02。あと3km。途中坂道があったな。ここまで来て足切りはいやだなぁ。と、横から私を追い抜く人が。「あともう少し。頑張って。」女性か。「多分私でぎりぎりです。先へどうぞ。」 夜道だからエスコートして差し上げたいけど余力がない。ゴールで待ってて下さいな。
雨は止まない。間に合うのか?と思った最後の1kmあたりからなぜか(笑)足が復活!上半身を前に倒すように走る。そして19時26分にゴール!足切り4分前でした。
ゴールの写真は例のように撮り忘れています。(笑)ただ、大会役員の方で撮ってくれてたようなので、それを入手できたら以後掲載します。

24.5.20 マラソン大会事務局よりご厚意で写真の提供をして頂きました。
写真は文字通り、ゴールの瞬間を撮ってもらったものです。送って頂き有り難うございます。
・・・・100km走ってこのポーズ。ええ、狙いましたよ。ただ撮られるのは私のキャラがゆる(以下略)
ゴールして万歳三唱をしてくれました。私もするけど足が立つことを許さない。やっぱり。もう「歩けない足」だったのね。ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル ホントに役員の方々、ありがとうございました。
後輩は私の1時間前にゴールしていて、「崖からおちてないか」心配していたそうです。すいません。わたしもこんなぎりぎりになるとは、ぎりぎりだけどゴールできるとは思ってなかったよん。。・゚・(ノД`)・゚・。
と、先程の女性が「坂道での走りで勇気をもらいました」と言ってくれました。・・・そんなつもりはないです。ただ、私は「あそこで歩いていたら今ここにはいない」のです。
っていうか「全編走り続ける」という誓いを僅かでも、一度でも違えたらこの完走はなかった。後から考えると冷や汗ものですが、今回のマラソンで得たこと「最後まで諦めない」という、良く聞く言葉の「真の大事さ」が、少し解った気がします。
そのあとは余韻もそこそこにお風呂に入り、ご飯も食べずに10時にバタンキュ~(-公-)zzZ 拠点である後輩の家が近いのでとても楽でした。
そして次の日!

・・・・ええ、快晴です。(笑) なんだったんだ・・・・昨日の天気は。('A`)
昨日のマラソンの余韻は、足の痛みが物語っている。だけど、景色が別世界です。
結局8時半まで爆睡。起きるのも一苦労(左足が棒)なんとか歩けるのでそのまま後輩のお宅で朝食を頂く。実は昼過ぎに用事をいれていたので(あほやな。)10時に熊野を出発。

リハビリがてら車を運転しながら(もちろんMTでっせ)道を走ると、この道も、あの道も走った記憶がある。なんか懐かしい気持ちにとらわれながら熊野をあとにしました。
結論をいうと、100kmを走ったという達成感はそんなになかったです。あれだけ雪辱を誓ったマラソンなのにね。走る前は「100km完走!」を掲げていましたが、実際達成してみて、残ったのは「感謝」しか残らなかったのです。親や職場にもそうですが、それ以上に「熊野の方々」への感謝が本当に大きなウエイトを占めてました。あの朝、畑仕事をしていたおばちゃんに「昨日はありがとうございました」と言ったら「お疲れ様だったねぇ。また頑張ってね。」と返されました。ああ、この方もどこかにボランティアされていたのだなぁ。ご自身の農作業も中断してまでお手伝いをされた方々がいる。またこの大会を企画された方々、そして以前から参加してこの大会を盛り上げて頂いている選手の方々・・・そんな方々の見えない、だけど確実にそこにあって、この大会を成功に導いた「なにか」を感じることができるようになったのが、今回の最大の収穫だったと思います。この日の朝に「雨が降ったのは、実は私が100km完走するためだった」と、天候にも感謝するほど(笑)でした。
なにか熊野に恩返しを。そう思える自分になりました。
長かったですが、ここまでおつきあい頂きありがとうございます。
次は休む間もなく、怒濤の四国武者修行編へ続きます。(*´∇`)ノ