
さて、どこまで話しましたっけ。
そうそう、斧乃木ちゃんですが僕としてはこの外見が
原作を読んでいるときにイメージしていたのと
ずいぶん違うような気がしたんです。
もっとこう「お菊人形」みたいな感じ。
でも今となってはけっこうお気に入りの
キャラだったりします。
そもそも、そんな話はしてないです。
さて、東北ジャンボリーも無事に終わりまして
その後は初めて来た仙台近辺をブラブラと。
北海道に帰るフェリーは翌朝八戸港から8時45分に出航でしたので
かねてから一度は見ておかなきゃならないと思っていた
東日本大震災の被災地へと向かいました。
この「被災地」という言葉にもずいぶんと悩みました。
あの日以来、報道などでずっと聞かされてきた言葉ですが
それが他人事として災害を指す言葉に思えてならなかったからです。
しかし他に言葉が思い浮かびません。
また日本人すべてが不幸にも、その言葉に慣れてしまったのかもしれません。
なので違和感を拭えないままその言葉を使わせて頂きます。
僕は地震と津波の時に被害が甚大だった場所にいたわけではありません。
そんな人間が軽々しく「被災地を見に行く」というのは軽率なのではないかと
考えたりもしましたが、同じ日本に住む人間としてTVの画面だけではなく
自分の両の目で見ておく必要があると思いました。
仙台からはまず気仙沼に向かうことにしました。
「多分、こっちが気仙沼だ」という方角へランクルを向け
車通りが少なくなってきたので路肩へ停めナビをセットすると
一番最初の指示は「Uターン」でした。
藻岩山か手稲山が見えていれば、北か南かくらいはわかるのですが
知らない土地はやはり危険です。
途中、松島でコンビニに入りました。
その際に駐車場で隣り合わせた車の男女4人組に
「うわっ、すげぇ」と言われたのですが
なんで僕が「すごい男」とわかったのか不思議です。
暗かったせいもあり通ってきた道にある津波到達地点の看板以外は
正直よくわかりません。大きい道路を通ってきたせいもあるでしょう。
それでも看板を見る度に「こんなところまで海が上がった」ということを
想像すると怖くなりました。
気仙沼の街を抜け港のほうへと向かいました。
港湾地域に入り交差点を曲がるときに3階建てくらいの廃墟化した
コンクリートの建物がライトにうつりました。
ハザードを点けてランクルを停め、しばしその建物を見上げてました。
そしてまわりを見渡しここにあったであろう物、いたであろう人を想い
何も出来ない僕はただ両手をあわせ、気仙沼を後にしました。
その後も陸前高田でそこに存在したであろう街の中心がすっぽりと
抜け落ちたように真っ暗になっているのを見下ろし、
ニュースで見ていた建物を見て恐怖を抱きました。
今回見たものはきっと上っ面のさらに上っ面なんだと思います。
そしてそれはまだ過去と呼ぶにはあまりにも過ぎた時間は少なく
この傷跡は後世ずっと消えないのかも知れません。
それでも港で出航の準備をしている漁業関係の人たちや
明るい声で「いらっしゃいませ」といってくれるコンビニの店員さんなど
そこに人がいて明日を迎えるための準備をしているのを目にすると
被害を受けた地域が復興というのはまたちょっと違って
生まれ変わっていくような印象を受けました。

最後に本州の地を離れるために訪れた八戸港フェリーターミナルの壁には
こんな表示がありました。

この表示板はフェリーターミナル1階の天井近くにあり
ここでも津波の怖さを想像してしまいます。
およそ8時間の仙台から八戸へのドライブでしたが
人から聞いた話や報道されていたいろんな情報などを
ほんの少しでも肌で感じることができ、
非常に有意義な時間を過ごせたと思います。
いつかまた、この地を訪れてみたいと思います。
さて、今週末はOCS(オフロードサーキット白老)10周年記念祭です。
こちらはいつもお世話になっているコースで
見慣れた面々が集いますので
東北ジャンボリーほどは緊張しないのではないかと(笑)
じゃあ、そういうことで。
Posted at 2013/09/18 20:14:30 | |
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