
これから書くことは、今朝の仕事中の出来事です。うまく私の気持ちが伝わるかどうかわかりませんが、正直に書いてみます。
午前6時30分ごろ、ある納品先での作業中、遠くから犬の散歩と思われる人影が近づいてきました。
私が車の助手席で伝票整理をしていると、その方が話しかけてきました。
窓を開けると
「〇〇駅はこの道をずっとまっすぐ行けば良いんですか?」
私の両親と同じ70代くらいのご婦人です。
散歩している人に道を尋ねられるなんてヘンだな?と思いよく見ると、
黒い犬だと思っていた物はキャリーケースでした。
「道はまっすぐですけど、最後T字路に突き当たります。
駅はその向こう側で、左右どちらが近道なのか分からないので、
その辺でまた誰かに聞いてみてください」
「どうもありがとう」
「いいえ、お気をつけて!」
会話はそれだけです。
駅までの道程は、後で調べると4kmほどありました。
おそらく歩けば1時間近くはかかる距離です。
「作業が終わるまで10分ほど待ってもらえれば、駅まで乗せていってあげられますけど…?」
私の中の良心がそんなセリフを用意し始めました。
ここから先は、
エゴ=悪魔
良心=天使
などと、よくある表現に読み替えて下さっても結構です。
エゴのささやき
・厄介なことに巻き込まれるかもよ?
・駅まで何の目的で行くのか分からないし、バスだって走っている時間帯だよ。
・見ず知らずの人にそこまで親切にする必要あるのか?
良心のささやき
・見た目で人を判断してはいけない。
・もしかしたらバスに乗るお金がないのかもしれない。
・自分の親なら迷わず送って行くでしょ?
エゴのささやき
・そうは言っても車内が狭くて、あのキャリーケースを積む場所もなさそう。
・このクルマは乗用車と違って高い位置に座席があるから、うまく乗り降りができないかもしれないし、怪我をさせてしまうかもしれない。
私の中でしばらくそんな葛藤が繰り広げられました。
作業を終えて走り出すと、先ほどの老女がキャリーケースを転がしながら歩いている姿が目に入りました。
良心のささやき
・ほらあの路側帯で止まって声をかけてみなよ。今日は仕事だってそんなに忙しくないでしょ?
エゴのささやき
・朝の通勤時間帯だし、いろんな人が見てるよ~?
・大丈夫、ゆっくりだけどちゃんとしっかり歩いてるじゃない。
結局再び声をかけるチャンスはあったものの、見送ってしまいました。
見た感じホームレス系ではなさそうでした。
なんとか無事駅までたどり着いて下さいと、祈るのが精いっぱいでした。
もしあの老女の方から頼まれて駅まで送っていくことになったとしたら、喜んで引き受けたでしょうし、ブログネタにするつもりはありませんでした。
このモヤモヤとした気持ちは一体どこからくるのでしょう?
ある意味、私は試されたのだと思います。
あの老女は試験官だったのかもしれません。
それとも単なる私の思い過ごしでしょうか?
似たようなことがずいぶん昔にもありました。
ガス欠と思われるバイクを押す青年を見かけたのです。
その時は会話すらしませんでしたが、こちらから声を掛けようと思えば掛けられたと思います。
ほんの少しの勇気があれば…
明らかに困っている人に対しては、自分でできる範囲でなんとかしたいと思いますが、そうではない場合、余計なお世話となってしまうことも無きにしもあらずです。
たとえ親切心からの行動でも、押し付けはよろしくないですから。
そういう態度で人に接していると、断られた時や拒絶反応を示された時にエゴが表面に現れてきます。
「なんだよ、人がせっかく・・・」みたいに。
何の見返りも期待せず、誰にでも優しく接することができるような人になりたいですよね。
例えが適切かどうかわかりませんが、太陽が誰にでも恵みをもたらすように、人間も究極的には無条件の愛を実践出来るようになるために、こんな殺伐とした地球に生まれてきたのだと思います。

進化した世界では学べないことが、地球のような野蛮な星(言葉は悪いですが)では短時間で学べるので、
「敢えてこの星に生まれる事を志願した魂が私達」、ということのようです。
できない理由をあれこれ探すより、良心のささやきに素直に従うべきだったと思う気持ちが、モヤモヤの原因でした。
この次はもっと困難な状況で試験官が現れそうな気がします(汗)
例) 自分に余裕が無い状況で人助けを迫られる・・・等
仕事柄、運転中に対向車が右折の合図を出していたら、周りの状況を判断して、極力譲ってあげることにしています。
信号待ちなどで停まるときには、必ず出入口を塞がない位置に停まるよう気を付けています。
自分がして欲しいことを人にもする。して欲しくないことは自分もしない。
当たり前のことですが、小さなことでもマメに実行すれば交通の流れがスムーズになりますし、運転中イライラする人が1人でも減れば住みよい社会への貢献にもつながりますからね。
譲った相手が今度は他の誰かに譲っているのを見たりすると、なんだか嬉しくなりますよね?
これが本当の
「譲り合い」と言うことなのだと思います。
「どうぞお先に。」「いえいえどうぞお先に。」
これも譲り合いですけれども、ちょっと違いますよね(笑)
一般に、栃木県人は運転マナーがあまり良くないと言われています。
ならば少しでもイメージアップにつながるよう、小さな思いやりを積み重ねて行こうと思います。
最後は「みんカラ」らしく締めさせていただきました。
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
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Posted at
2015/05/20 18:24:58