• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
昂ぶる、パトスを!そしてリビドをぶつけ合いたいヤツ!! てきとーにだべんべやー(脱力
- 夕食 [ としぽっち ] 2006/01/10 19:55:17
1
- 小説 [ としぽっち ] 2006/01/18 11:04:13
序 章 始まりの地


 ルファート村はリグラント皇国の最も西に位置し、周囲を山に囲まれ
た人口わずか三百人ほどの小村だ。しかしこの村はプレミアムワインの
産地として名高い。中でも、気温マイナス八度以下でしか収穫しない葡
萄によって作られるアイスワインは、大陸全土のワイン愛好家が好んで
止まない。そして秋の収穫祭の時期には何十倍もの観光客が訪れ、この
ひなびた山村の貴重な収入源となるのだ。
 レガ・マギ=エルはこの村へ来てはや10年になる。大戦後、子を宿し
身元も明かさない女をこの村の人々は受け入れてくれた。感謝してもし
きれない恩がこの村にはある。だから何かできることを、とはじめた学
校だったが、ここまで大きくなるとは正直思ってもみなかった。人口三
百人弱の村の十五歳以下の子ども数は五十人もいない。しかし、近隣の
村にも学校がなかったために学びたい子どもたちが集まり、今では児童
数が三百人に増えてしまった。もちろん教師は彼女だけではなく、国か
ら認可されたことで数名の教師が派遣され、気が付けば小屋から立派な
建物へと変わっていた。
「もう十年になるかい?」
 テラスで午後の紅茶を嗜む老婆は、外で元気に遊ぶ子どもたちを見な
がらそう話しかけた。
「ええ。エリュネイアが十歳ですもの。あっという間ですわ」
 レガはこの時間に老婆と紅茶を楽しむのが日課だった。
「あなたは十年もわたしとこうして紅茶をいっしょに飲んでくれている
のね。うれしいわ。子どものいないわたしにとってあなたは娘。そして
孫までいるもの」
 外で遊ぶのはレガの子どもたちと、その仲のいい友達。兄は今年で十
三歳。妹のほうは十歳になる。二人とも母に似てつやのある美しい黒髪
だが、兄の肌の色が母と妹とは違う。透き通るような白肌ではなく、黄
色だ。
「アンさんには感謝しています。あなたがわたしたちを拾ってくださら
なければ今のわたしもこの子たちもありません。それに母親のいないわ
たしにとってあなたは本当の母親のような存在ですわ」
 レガは屈託のない笑顔でアンジェラ婆に礼を述べた。
「あなたはかわらないわ。十年前とかわらずに美しい。老いてしまうの
はわたしだけね」
 アンジェラは元気だが最近足が多少不自由になってきた。老いを感じ
ずにはいられない。しかしレガはどうだ。十年という歳月は決して短い
ものではない。歳を取ったというより、むしろ顔立ちが大人びたといっ
たほうが正しいくらいだ。
レガはあいまいに微笑むと、ソーサーとカップを持ち、紅茶を口元へ運
んだ。
「エリュネイアは本当にかわいい子。屈託がなくて、まるで仔猫ちゃん
ね。みんなにかわいがってもらって、たくさんの愛情受けて育っている
わ。
レイだってそう。もう十三歳だなんて!まじめすぎるのが良いところで
もあるし、悪いところでもあるのだけれどね」
 少し間をおいてからアンジェラはゆっくりと目を瞑り、思い出すよう
に話し始めた。
「この村は変わったわ。皇都から最も離れた地にあり、隠遁のような生
活をしていた者たちが明るさを取り戻した。
……きっかけは独りの身ごもった女性だったわ。
 村は自分たちの境遇に似たこの女性を迎え、そこで新たな生命の誕生
を目の当たりにした。それはとても美しいものだったわ。可愛い赤ちゃ
んは産声を元気に上げて、わたしたちは抱き合って喜んだわ。頑固者の
ゼペック爺なんか声を上げて泣いていたくらいよ」
 レガも目を瞑り、懐かしい日々を思い出す。あの時、村には子どもが
ただのひとりもいなかった。エリュネイアがこの村で初めての子どもと
して迎えられ、レガが初めての母親となった。毎日村中の人が家を訪れ
て、エリュネイアの頭をなでていったものだ。父親はいないがたくさん
のおじいちゃんとおばあちゃんが彼女をあたたかく包み込んでくれた。
そしてそれは今も変わらない。
「そしてわたしたちは同胞を呼んだ。
この村は悪しき呪縛から解き放たれた、と誰もがそう思ったの。
翼をもがれ、嘆き、進むべき道を見失ったわたしたちに、両足で歩くこ
との素晴らしさをあなたたち親子は教えてくれた。赤ちゃんが四つんば
いで歩く姿は力強く、これから二本の足で立ち上がる未来と背中の翼で
飛び立つ可能性をわたしたちに見せてくれたわ。
わたしたちが長い間忘れてしまっていたことを、あなたたちは鮮烈に思
い出させてくれたのよ」
ふたりは同じく瞳を開きお互いを見つめ合った。そして自然に口元に笑
みが浮かぶ。
「今は蒔いた種が芽生える頃。レガ、あなたはそろそろ皇都に戻らなけ
ればならないわ。あなたにこの子たちを導いてほしいの」
 アンジェラの表情はいつものように優しかったが、瞳はすこし厳しい
ものだった。
「蒔いた種は空気と水と養分、そして強い陽の光で育ちます。空気は周
囲の環境。水と養分は肉体と精神の糧となるもの。そして光は……」
 レガの視線は外で遊ぶ子どもたちに向けられていた。
「……わたしではあの子たちの光にはなれません。
植物は陽の光の方を自分で向いて育ちます。わたしはあの子たちにゆだ
ねたいのです」
 アンジェラはレガの手に力を込めて再び握る。
「そうね。あたらしい時代は若い者たちで切り開いてこそ、新時代に生
まれ変わるものね」
 ふたりは外を見た。大きな木の下でこどもたちは声を張り上げて遊
び、無邪気に笑っている。
「この子たちがどんな未来を切り開くのか、見たいのです」
 レガの瞳はアンジェラの瞳をまっすぐに見つめていた。その瞳は憂い
と希望に満ちていた。

ヨシュアは約束の時間に遅れまいと自転車を走らせていた。レイが家の
裏の丘の遺跡で面白いものを見つけたというのだ。これを見ないわけに
はいかない。
午後三時の約束だったが、今は二時五十分。あと十分で彼の家まで行か
なければ、とあせっていた。
「ヨシュア、少しくらい遅れたってレイは待っていてくれるよ」
 リディアはヨシュアが扱ぐ自転車の後ろに立ち乗りしていた。
「時間は守らなくちゃ。父さんにいつも言われてるんだ五分前行動だっ
て」
 リディアは呆れ顔で相槌を打つ。
「はいはい。っていうか、ただ単に早く見たいだけなんでしょ」
 ヨシュアは「ばれた?」とでも言うように笑って見せた。
 自転車は葡萄畑を突っ切る。ワイン用の葡萄の木は背が低く、自転車
に乗るとその等間隔に植えられた様子がよくわかる。ここは風がよく吹
くからこうして自転車で走ると爽快だった。
「ヨシュア、風が気持ちいいね」
リディアはヨシュアとこうしている時間が好きだった。ふたりでいると
きは特に会話がなくても気にならない。一緒にいられればそれでよかっ
た。
「そうだね。風が少し冷たいけど、今日はあったかいからちょうどいい
よ」
 季節は六月を過ぎた頃。ここには梅雨がないからあとは夏を待つばか
りだ。そうしたら夏祭りがくる。そうしたら……。
「リディア、アカデミーのことだけど……リディア?」
 アカデミーは皇都にある皇立の学園だ。全寮制で、国民なら十五歳か
ら入学試験の受験を許される。しかし特例があり、学力に限らず才能に
秀でた者は十二歳で受験を許されるのだ。この村からも今年女の子がひ
とり入学している。彼らの姉貴分のネイだ。
「え?ごめんなさい」
彼女は頬を赤らめていたが、自転車を扱ぐ彼に見られないのは幸いだっ
た。
「ア、 アカデミーがどうしたの?」
 そろそろゆるい登り坂になる。ヨシュアは両足に力を込めた。
「先生から言われただろ、アカデミーに行けるってさ」
 先に行っている女の子は姉のように慕っているネイだ。できれば、行
きたい。けど……。
「オレは行くよ。皇都に行ってみたい。父さんと母さんもそうしろっ
て」
 リディアは「よかった」と胸をなでおろした。行きたい気持ちはあっ
た。
「わたしも行く。ネイがいるし、ヨシュアも行くならわたしも行きた
い。父さんと母さんは行ったほうがいいって。
 そうだ、レイは?
ネイと同じ歳だし。飛び級じゃないけど、運動神経はわたしたちの中だ
と一番いいはずよ」
 ヨシュア、ステラ、ネイ、アスレイ、レイ、そしてエリュネイア。み
んな小さい頃からの遊び友達だ。
「レイは……たぶん行かないよ」
 ヨシュアの声は暗かった。
「どうして?!みんな一緒がいいよ!!」
 リディアはつい大きな声をあげてしまった。耳もとで大声をあげられ
たヨシュアは驚いてハンドル操作を誤ってしまい、危うく転びそうにな
った。
「ちょ、ちょっとステラ!」
 ヨシュアは自転車を止めて彼女に向き直った。
「ご、ごめん」
 リディアは一度自転車から降りると、しばらくヨシュアと歩いた。
「ねぇ、どうしてレイはアカデミーには行かないの?」
 ヨシュアは少し悲しそうな顔をした。
「レイは自分自身が許せないんだと思う。ネイはともかく年下の僕たち
にどんどん追い越されていくだろ。エリュだってレイに追いつきそうだ
から」
 レイは学力のことを言っているのだ。レイは歳相応の学年で学んでい
るが、ヨシュアたちは飛び級だ。仲のいい友達が、ましてや自分の妹ま
でもが飛び級だと自分に劣等感を抱くのも不思議ではない。
「そんなこと!」
 リディアは自分が非難されたようで、ついまた大声を出してしまっ
た。けれど、ここにいるヨシュアだってそうなのだ。
「そうだよ!そんなことでレイがオレたちより下だ、なんて思うわけな
いだろ!」
 ヨシュアも声を張り上げてしまい、ふたりともしばらく沈黙してしま
う。
「けど、十五になったら皇都にくるよね。そうしたらみんなで……」
 リディアの問いにヨシュアは答えなかった。小さい頃から一緒だか
ら、これからもずっといっしょだと思っていた。
「さあ、乗って。もう時間すぎちゃったかな」
 ブドウ畑を過ぎると今度はなだらかな坂が湖へと続いている。そこに
レイとエリュネイアの家があった。
 
 エリュネイアは兄のことがとても好きだ。
 兄は何でも知っているし、いつも一緒に遊んでくれた。時折喧嘩もす
るけど、たいていは自分のわがままからくるものだと、エリュネイアは
わかっていた。
「おにいちゃん?」
 エリュネイアが家から出ると、レイは家の玄関の前で剪定はさみを手
に、鉢の前で眉間にしわを寄せていた。
「ああ、これだよ。かっこわるいからさ、形を整えようと思うんだけ
ど……」
 鉢にあるのはブライダルベール。花嫁が頭に飾るベールのごとく可憐
な花がたくさん咲く。今もたくさん花がついているが、茎が伸びすぎて
いて鉢の中央が寂しくなっている。これは切りそろえて整えてやる必要
がある。
「切っちゃうの?もったいないよ」
 エリュネイアは毎朝ブライダルベールを見るのが好きだった。水だっ
て忘れずにあげている。
「どのくらい切るの?」
 エリュネイアは恐る恐る聞いてみる。
「根元上、三センチくらい」
 そう言った直後、レイははさみをいれた。
「あ゛あ゛あ゛ー!!」
 エリュネイアが手を伸ばすも、ジョキン、ジョキンという音とともに
たくさんの茎がバサバサと音を立てて落ちてしまった。
「鉢の中央に茎が立ってないだろ。植え替えしないとだめだよ」
 エリュネイアは半泣き状態で落ちた茎を拾い上げると、涙目で兄を睨
みつけた。
「どーすんのよ、こんなにいっぱい!!」
 レイの方は平然として次の作業に取り掛かり始めた。
「大丈夫だよ。これ全部挿し木にして、あと二つ三つくらい鉢作れるか
ら」
 そういうと、エリュネイアに「はい」と言って鉢を渡した。
「茎を10センチくらいにそろえて切って、土にそのまま挿していけば、
じきに根がつくからさ。
 ああ、挿す茎は花のつぼみを取ってね。つぼみがあるとそっちに栄養
を取られちゃうからさ」
 淡々とこなす兄にエリュネイアはぽかんと口を開けてしまっていた。
「エリュはいつも騒ぎすぎだよ」
 やれやれ、とレイはため息をついた。
「だって、いきなりはさみ入れちゃうんだもん。びっくりするよ」
 まあ、これもいつものことか、とエリュネイアは思った。レイは思っ
たらすぐに行動するタイプだ。そのくせ直情型でなく、熟考型の性格だ
から可愛げがない。
「この間も母さんといってたろ、玄関のとこにあるブライダルどうしよ
うか、って」
 母と兄の共通の趣味は多い。読書、植物の栽培、料理などなど。
自分は本は好きだけど、兄が読むような専門書は読みたいとも思わな
い。読むなら童話や小説がいいし、育てるなら野菜や果物がいい。包丁
は一応使えるが、料理はこれといってできず、つまみ食い専門だ。
「植物の名前いわれてもひまわりと朝顔くらいしかわからないもん」
 ぷー、とほっぺを膨らませてエリュネイアは再度抗議するが、レイは
ほとんど聞いていない。
「あ、チューリップもわかるよ」
 レイは適当に「うんうん」と感情のない返事をよこし、自分は黙々と
鉢に土を入れて挿し木の準備を始めた。
「聞いてないし……」
 エリュネイアは作業するレイの横に座って兄の手先をじっと見つめ
る。
「あれ?ヨシュアたちくるんだよね」
 たしか15時に家の前で待ち合わせをしていたはずだ。
「うん。昨日遺跡で見つけたものを見に行くんだ。エリュもくるだろ」
 レイは切り落とした茎を束にして10センチほどの長さに切りそろえ
た。このくらい適当にやってもまた生えてくるだろう。本来ならば節の
上で切るのが望ましいことをレイは知っている。
「いく、いく! けどさ、あれっていつのなんなのかな?」
 丘の頂には大理石の石柱が円形に十二本並び、その中央には同じく大
理石でできた舞台のようなものがある。そうとう古い遺跡で、この村で
はこの遺跡をなにかと奉っているのだが、その遺跡の舞台下からレイと
エリュネイアは面白いものを見つけた。
 それはガラス製の小箱に入った『羽のついた人形』だった。
「誰かが掘って埋めたにしてはおかしいよな。母さんに一度見せたほう
がいいかな?」
 子どもが遊ぶ人形にしてはあまりにも精巧なつくり。それに入ってい
たガラス製の小箱がとてもきれいな状態なことが気になる。
「なんか、どきどきするね」
 この村は辺境地にあるひなびた農村だ。村人の名前は全員知っている
し、お祭りにでもならなければ来訪者も少ない。若い者たちには刺激が
少ないところだ。だから子たちでなくとも、みな王都に憧れるし、事件
が起こると興奮せずにはいられない。
「ひょっとしたら皇都からアカデミーの調査団がくるかもしれない。そ
うしたらなにか手伝わせてくれないかな」
 レイは楽しそうにエリュネイアに向き直った。
「調査団が来たらさ、お母さんがたぶん団長だよね。お母さん、アカデ
ミーの学者さんなんだよね」
 エリュネイアの頭の中は『人形』のことでいっぱいになっていた。さ
きほどのブライダルベールのことなど頭の片隅にもない。
「たぶんね。けど、たかが『人形』でそんなことにはならないか」
 エリュネイアはがっかり、といったように肩を落とした。
「だよね~」
 レイは小さくため息をつくと、大また開きで地べたに座る妹に駄目だ
しをする。
「もう十歳なんだからさ、少しは女の子らしくしたら?」
 エリュネイアはもう一度膨れてみせる。
「わたしスカートもはいてるし、女の子ですよーだ!
 リディアなんかいっつもパンツじゃない?髪もショートだし」
 むくりと起き上がると、自慢げにお下げを両手に持って振り始めた。
「スカートはいてるんなら、足開くなよ・・・・・・。
それに、外見じゃないよ。中身のことをいってるの。
 リディアはあれでとっても女の子らしいんだよ。ただ、少し不器用な
だけで、やさしいし、他の人にはすごく気を使ってるんだよ。」
 二つ目の鉢にも土を入れ終わると、レイはいよいよ挿し木を始めた。
「おおーっと!お兄ちゃん、リディアのことが好きだったの?」
 眼をらんらんと輝かせ、エリュネイアの顔がレイに急接近する。
「ばかたれ。
 リディアはヨシュアのことが好きだし、ヨシュアもリディアのことが
好きなの。そういうお前はどうなんだよ」
 いきなりの切り替えしにエリュネイアは困惑し、素っ頓狂な声を上げ
てしまった。裏返る声を押さえ込んでなんとか平静を装うが、すでに何
の意味もなしていない。
「わ、わゎたしぃ?
 す、好きな人くらいいるわよ」
 エリュネイアはなぜか胸を張ってそう言うが、それに何の意味がある
のかは本人もよくわかっていない。
「誰?」
 兄のそんなデリカシーのない問いにはすばやく応じる。
「いくらお兄ちゃんでも言えないよ!ほんと、デリカシーないんだか
ら」
 お前のいままでの所業はいったいなんなのだ、と問いたいがレイは黙
ることにした。
「あぁそうですか。
 ……当ててやろうか?」
 珍しく兄がいたずらっぽく笑ってこちらを見る。
「当ててみなさいよ」
 エリュネイアは実のところ好きな人なんかいない。自分の「好き」は
家族、友達といったもので、そこから先の特別の意味は持たない。だか
ら、正直ステラの「ヨシュアが好き」という感覚はまだ十歳の彼女には
わからなかった。
「隣村のヘインズ!」
 彼は自分たちと同じクラスの子で、隣村から来ている。最近妹と一緒
にいるところをよく見るから言ってみたが、実のところ適当に言ってみ
ただけだった。
「ぶぶー!」
 なんの同様もなく兄を打ち負かせたことが妹には喜ばしいことだった
が、その兄は「やっぱりね」と言った顔をしているから面白くない。
「なに、適当にいってみただけなの?」
 妹の抗議もむなしく、兄はせせら笑うかのように言う。
「エリュに好きな人なんかまだいるわけないよ」
 レイはいつも自分の心を見透かしていて敵わないのは分かっている
が、「そこがかわいくない!」とエリュネアはいつも思う。
「アカデミーに行ったらきっとステキな男性(ひと)に出会うんだもー
ん!!」
 レイは笑いながら「はいはい」と、また適当に妹をあしらった。
 しかし、こんな日もあとどのくらい続くのだろう。そう、レイは思っ
た。自分はアカデミーに行かないことはもう決めている。妹はあと二年
でアカデミーに行けるだろうし、ヨシュアとリディアだって秋にはアカ
デミーに行くだろう。
「お兄ちゃんはアカデミーにいつ……」
 エリュネイアがそう言いかけたときに、ヨシュアとリディアの姿が見
えた。レイは立ち上がると二人に手を振り、挿し木も途中に歩き出し
た。
「エリュ、行こう」
 遺跡は家の裏にある丘のちょうどむこう。湖の畔にある。


 村の東には「砦」といわれる国境の詰め所がある。
岩山の間に建てられたこの建物はまるで大楯のように山道を閉ざし、そ
の背後に聳える山脈とを隔てている。
この砦は対戦以前よりこの場所に鎮座している。もとは砂防ダムとして
建てられたものらしいが、大戦時に手を入れられてここは砦となった。
その名残としてこの砦の向こうにはかなりの量の土砂が滞積している。
土砂といってもただの土砂ではなく、溶岩が主であり、砦向こうのこの
山は今も直活動を続ける活火山だ。
 二人の男が「砦」の塔に立っている。一人は兵士の出で立ちだが、も
う一人の若い方は腰に大型のナイフと小型のナイフを帯びているもの
の、兵士とはすこし格好が違う。
「もう十年になるのか?」
 そう問いかけたのはこの詰め所の一番の古株。副隊長のギースだ。彼
は皇都の出身だが、十年前からここの国境警備を任せられている。皇都
への転属命令もあったが、村娘と結婚したこともありここに留まってい
る。彼は都会の喧騒から離れたこの村の穏やかな時間の流れが好きだ。
「ええ。あっという間でしたよ」
 彼の隣りに立つ男は白髪であるが若かった。年は二十代半ばくらいで
あろうか?
 この成年を見た者は二度驚くに違いない。ギースはいつもそう思って
いる。事実自分も始めてあったときは二度驚かされたものだ。
 まずその髪の毛の色だ。シルバーブロンドではなく、それは真っ白な
のだ。ところどころに黒い色素が残る白髪ではなく、それは透き通るよ
うなシルバーヘアなのだ。しかし肌の色はよく日に焼けた褐色で、色素
障害の類ではない。しかし、眉毛も睫毛も白い。それだけでも十分に印
象深いが、さらにそれを決定付けるのが彼の瞳の色だろう。切れ長で大
きな彼の瞳はまるでルビーのように紅い。その瞳に見つめられると誰も
が吸い込まれそうな感覚に陥ってしまうのは、誰もが思っていること
だ。
 成年は眼前に聳え立つ山脈を見上げていた。彼は時折ここに来てはこ
うして見上げている。懐かしいのだろう……この山脈のむこうが。
 彼の名はシオン・シェラハザードという。
 十年前、彼は仲間と共にこの山脈から下りてきた。この山脈の向こう
のことを知る重要なひとりである。
 この砦の向こうには山脈へと続く道があり、その道をたどるとかつて
は国があった。しかし大戦の折、この国は崩壊した。
「本当に感謝していますよ。僕もレガもこの村がなければあの時死んで
いたんです」
 二人は死にもの狂いで五千メートルはあるこの山を登り、八合目まで
たどり着いたときにこの村の国境警備隊に助けられた。そのときレガは
身ごもっていたのだから、感謝のしようがない。
「あの時お腹の中にたエリュネイアが今では10歳だからな!たまげてし
まうよ!!」
 ギースは豪快に笑うとシオンの背中を叩いた。
「あれからこの村もずいぶんと変わったよ。
 詳しい事情はよくわからんが、この村の同志といわれる奴らが集まっ
てきて、今ではそこそこの人口になった。昔は村とは名ばかりで集落に
過ぎなかったからな。
 それと、レガだ。彼女にはいつも驚かされる。女性に年を聞くのはヤ
ボだが、彼女はいったいいくつなんだい?未だに若くて別嬪さんだ。そ
れに皇都の連中が彼女に頭が上がらないときたもんだ。」
 シオンは笑い出した。
「レガが十六まで皇都にいたなんて知りませんでしたよ。しかもアカデ
ミーで歴代トップの主席ときたら、国がほおっておくはずがないし」
 彼女目当てでこの村を訪れる者も珍しくはないのだ。一般人にはまっ
たくの無名だが、知識人の間ではかなりの評価がある。この村に学校が
建てられたのにはそういった理由もあったのだ。
「そういやぁ、皇都にはいつ行くんだ?」
 ギースは砦から東側に見える湖に目をやった。水面は鏡面のように穏
やかで、頂に雪を残す山脈を綺麗に映し出している。
「来月の頭にと思ってます」
 彼は移民して十年になるが七年前にこの国の国籍を手に入れた。通常
は移民してから五年が経過しないと取得できないのだが、国軍の外国人
部隊に入隊することで国籍を取得することがでるため、彼は三年の後、
入隊した。そして健康上の理由以外は最低五年は在籍しないといけない
のだが、それも満たし今日がある。
現在はレガに用心棒として雇われているのだが、常に一緒に付き添って
いるわけではない。通常は学校で体育を子どもたちに教えているし、農
場の手伝いもしている。そして砦に出向いて稽古などをつけているか
ら、毎日が刺激的で楽しい。
彼が年に一度皇都に行かなければならないのには、腰の得物に理由があ
る。
 この国は武器の携帯を基本的には許してはいない。刃渡り二十センチ
以上の刃物は刀剣として扱われ、携帯するには「資格証」が必要とされ
る。だから、軍人や護衛、賞金稼ぎ等の仕事をしている人たちはこの
「資格証」を得る必要があるのだが、それなりに制約があるのだ。故に
それを得るのも、更新するのも少々手間がかかる。ゴロツキどもが簡単
に刃物を持ってしまってはこの「資格」制度が意味をなさないからだ。
 シオンがこの「資格」を有しているにはそれなりの理由がある。彼が
「元軍人」であること、そしていまレガの「護衛」を仕事としているこ
と。この村の自警団に所属していること。
 いずれにしても彼には「武器」が必要なのだ。自分と大切な人を守る
ために。
「砦は国の軍事機関だから、ここでも更新はできるんだ。お金と時間を
かけなくてもいいだろうに」
 ギースは毎度のことだが、不思議そうにそう言う。
「ネイの両親の護衛を仰せつかっているんで、ついでにですよ」
 そうシオンは言うが、一度もここで資格の更新をしたことがない。
「まあ、お前は若いから皇都にも行きたいだろうさ。オレも若い頃はい
ろいろとな・・・・・・」
 なにか勘違いしている、と思いながらもシオンは合えて口をださなか
った。色恋沙汰は彼の大好物だから。
「ひょっとして女か?」
 彼からこの領域に踏み込んでくることは想定していなかった!
「えっ?」
 一歩たじろぐシオン。
「お前は欲張りだなぁ!先生(レガ)なんて人がいながら、旺盛だね
ぇ」
 彼は一人で納得してしまっている。頭の中はもうすんごいことになっ
ているのだろう。
「副隊長。誰もそんなこと言ってないでしょ?」
 そう声はかけるが、すでに彼の暴走を止められる者はいない。
「んじゃあ、オレ学校まで行ってきますよ」
 “妄想のギース”。彼のこのあだ名をつけたのは“彼の妻”だという
ことを知らない人はこの村にはいない。

 足早に塔から駆け下りると、詰め所に軽く挨拶をして学校を目指す。
自転車で10分くらいだろうか。
 砦まではゆるい坂道だから行きは少々骨が折れる。けれども帰りはた
だ乗っているだけでいいので気分がいい。それにこの坂道からはちょう
ど村の全体を眺めることができるのがいい。といっても、ほとんどがブ
ドウ畑なのだけれど。
 腕時計を見るとそろそろ三時になりそうだ。三時半からは職員会議が
あるので、ゆっくり間に合うだろう。
 坂を下りきると民家がいくつか点在する。農村地帯だから、隣家が寄
り添うように建ってはおらず、ぽつぽつと見えるだけだ。だからあまり
人とすれ違うことはない。だからなのだろうか、この村の住民は「寄り
合い」や「祭り」などがとても好きだ。人と一緒にいて騒ぐことがとて
も好きで、お開きの前にはみな肩を落としている。だからこそ団結力が
あり、このような偏狭の村でも活気があるのだと彼は思っていた。
「せんせー!!」
 学校が近づいてくると生徒たちに声をかけられる。最後の授業が終わ
ったくらいなので、下校する生徒の数も多い。子どもたちと二三声を交
わしながら学校に近づいてくると、ボンネットバスのバラバラというエ
ンジン音が聞こえてくる。
 このバスは隣町から通う子達の通学用のものだが、遠足や行事のとき
にも役立っている。この新校舎に建て直しが決まったとき、皇都のアカ
デミーから譲り受けた二十年前の年寄りだが、まだまだ現役だ。このバ
スの整備も実はシオンがやっていたりする。
「メガーヌ、どう?」
 バスの運転手が目に入ると、シオンは声をかける。先日クラッチを交
換したばかりだ。その調子が気になる。
「しっかり走るようになったよ。あとはミッションのシンクロが弱くな
ってるから、そこをなんとかしたいかな?」
 そう答えたのは、三十代も半ばの女性だった。彼女はもともと皇都で
配達業をしていたらしいが、失恋の末?この村に来たのだという。
「うん、わかった。来月の頭に皇都に行くから、部品いくつか調達して
くるよ」
 シオンと彼女は馬があった。年齢はすこし彼女の方が上だけど、なに
かと話が合う。といっても、特別な感情はお互い抱いてはいないのだけ
れど。・・・・・・たぶん。
「シオン」
 玄関の脇に自転車を停めたとき、後ろから声をかけられた。声を聞か
ずともこの心地いい声を忘れるわけがない。レガだ。
「ただいま。レイたちはもう帰ったの?」
レガはバスに隣村の子どもたちを乗せていたところだったらしい。気が
つかなかった。
「アスレイ以外は帰りましたよ」
 この名前が出ると二人とも思わず笑ってしまう。
「今度はなにをやらかしたんだ?」
 いたずらをしたのか、宿題を忘れたか?それとも・・・・・・。
「今日はわたしの好意で残ってもらったわ」
 「?」シオンはなんだろうといぶかしげに思ったが、答えを聞いて納
得した。
「なるほどな。いつも宿題を忘れるから、宿題をやってから帰らせるの
か!」
 こいつはいいな、とシオンは手を打って笑っていると背後から恨めし
い声が聞こえる。
「シオ~ン、ひとごとだとおもって!」
 アスレイがげっそりした顔でノロノロと玄関から出てきた。
「なにいってんだよ。そもそもお前が毎日宿題やってくればこんなこと
にはならないんだろう?」
 それを言われると、アスレイは黙るしかない。というか、こうきりか
えさない人はいないだろう。
 アスレイはレイよりも二つ年が下だから、エリュネイアのひとつ上
だ。歳は違うが、レイ、エリュネイア、ヨシュア、リディア、アスレ
イ、そして皇都行ったネイはいつも一緒の集まり。このグループは常に
セットとして考えられるのが常だ。
 その中でアスレイの担当は、というと、彼はいたずらが専門。いつも
必ずなにかをしでかして、大人たちの度肝を抜かせることが彼の使命、
といってもいいほど彼はいつも大人たちを困らせる。お調子者でひょう
きんな性格だから子どもたちからは人気があるが、大人たちにとっては
天敵といっていい。
「あーあ、もう三時半じゃんかよ!レイに十五時って言われたのに!!」
 校舎に取り付けられた時計を見るとアスレイはがっくりとうなだれ
る。
「あら?今日はなんのお約束だったのかしら?」
 レガが大げさに問い返すと、アスレイは興味深いことを話し始めた。
「昨日さ、レイがエリュといっしょに湖畔の遺跡で面白いものを見つけ
たんだってさ。それを今日見せてくれるっていったのになぁ」
 その話を聞いてレガとシオンの二人をは顔を見合わせた。
「それは面白そうね。アスレイ、今から走って行っておいで。今からで
もまだ間に合うから」
 レガはそうアスレイに焚きつかせると、単純な彼は走り出した。
「知ってるか?そんなものが遺跡にあったか、どうか」
 シオンもその遺跡は良く知っている。しかし、面白いものとは?
「なにか埋まっていたのかしら?」
 レガはいたずらっぽく微笑むと彼の背中を押した。
「会議が始まるわよ」
 
 レイの家から湖畔の遺跡まではそう遠くはない。
 遺跡は丘の上にあるのだが、その丘がまずは家の裏にある。この丘は
不思議なもので、なぜか背の高い木が一本も生えていない。家の周りに
は桜やら白樺やらたくさん茂っているのだが、丘の上には本当に一本も
生えていないのだ。その丘に大理石でできた直径二メートルほどの柱が
十二本立っているのだから、一キロほど離れた対岸からでもよく目立
つ。この名もない湖の周囲にはこういった丘がいくつかあり、秋には背
の低い草がきれいにチョコレート色に染まることから「チョコレートヒ
ルズ」と呼ばれている。
 レイは天気のいい日は毎日この丘に散歩に来ている。この丘から見下
ろす風景が好きなのだ。夕焼けになると波立たぬ湖面に映し出される夕
焼け空がなんともいえない。
 丘に来るなり四人は駆けっこといわんばかりに走り出す。この中で一
番足が速いのはレイだけれども、先頭を走るのはヨシュアとリディア。
レイはエリュネイアの手を引いて走る。
 いつもは「子ども扱いしないで!」というエリュネイアも、このとき
ばかりはそんなことはいわない。無言で差し出される兄の左手を右手で
しっかりと握り、丘を駆け上がっていた。
 こういうところが好きだ、とエリュネイアはいつも思う。
 十三歳と十歳にもなって手をつなぐ兄妹はあまりいないと思うが、周
囲のものたちは別になにも言わない。むしろコレほどまでに仲がよくて
うらやましいくらいだろう。
「仲がいいね、ほんとうに」
 走りながらリディアが後ろを見る。自分には兄妹がいないからうらや
ましいと思う。ヨシュアもアスレイもネイにも兄弟はいない。みんな一
人っ子だ。だからこそレイとエリュネイアの兄妹をうらやましく皆は思
っている。というか、この村で兄弟がいる家庭はほとんどいないのだ。
「うらやましいよ」
 ヨシュアは悪びれもなくそういうと、少し照れながら右手を差し出し
た。
「えっ?」
 思わず走るリディアの足がゆっくりとなってしまうが、彼女も恥らい
ながら左手を差し出すとヨシュアはその手を力強く握った。
 その様子を後ろから見ていたシオンとエリュネイアはなんだかうれし
くなってしまい、一瞬お互いの顔を見て微笑んだ。
「ずっとこのまま、続けばいいのに・・・・・・」
 聞こえないくらいの声でつぶやいたつもりが、エリュネイアの耳には
入っていた。
「おにい、ちゃん?」
半歩先を走る兄の顔は寂しそうだった。
「レイ!お前が来ないと分からないだろう!!」
 エリュネイアの声はヨシュアにかき消され、兄には届きはしなかっ
た。けれども、一瞬だけ兄の左手に力がこもったのが分かる。「なにを
そんなに心配しているの?」エリュネイアは心の中でそうつぶやいた。
 丘を駆け上がるのには五分少々かかる。あたりには遮るものがないか
ら、風の通りが良く火照った体に風が心地がいい。すこし肌寒いくらい
だけれど、それがまた気持ちいい。
「気持ちいいねぇ」
 頂に着くと、四人は湖を眼下に深呼吸をはじめる。
「ネイ、どうしてるかな?」
 リディアはネイを実の姉のように思っている。はきはきとして活発的
な彼女とは対照的なネイだが、そのおっとりとしたところがとても好き
だった。ネイといっしょにいるとなんだか安心してしまう。
「夏祭りには帰ってくるって言ってたから、それまで会えないね」
 エリュネイアもリディアと同様にネイのことが好きだ。それと、ネイ
の愛犬「カイル」♂のことも好きだった。黒とオレンジ、そして白のト
ライカラーが美しいカイルも一緒に皇都に行ってしまった。彼に抱きつ
いて寝るのが好きだったエリュネイアにはとても寂しい。
「元気でやってるさ。それはそうと!!」
 ヨシュアはなんにしても待てないらしい。レイの背中を押して遺跡中
央の石舞台に近づく。
 石舞台は石柱の中央に鎮座する幅三メートル長さ五メートルほどのテ
ーブルのような形をしている。そしてそのテーブルを支えるように二本
の土台となる石があるのだが、この石の間に・・・・・・。
「そういえばアスレイは?」
 レイはかがんで石舞台の下にもぐりこむと、そこに置いてあった小さ
なショベルで土を掘り始めた。
「アスレイなら、居残りだよ。先生の粋な計らいで、いつも宿題をわす
れるアスレイは、宿題をやってから帰ればいいんだって」
 それを聞いて笑ったのはリディアとエリュネイアだった。
「ほんと、懲りないよね~」
 リディアは「やれやれ」といった具合に方をすくませる。
「ほんと、バカにつける薬はないってよくいったものだね」
 エリュネイアはなにか勝ち誇ったように、うすっぺらい胸を張ってい
ばっている。
「あいつ、マゾなんだよ」
 ヨシュアは真剣な顔でリディアとネイに向かって教えてやる。
「へっ?マゾってなに??」
 笑うリディアの隣で頭に「?」マークが浮かんでいるリディア。説明
しようとするヨシュアをレイが制止する。
「エリュにへんなこと教えないでくれ」
 ヨシュアは「しまった」といった顔で、レイに謝った。
「もう!わたしだけ子ども扱いなんだから!」
 そうこうしているうちにレイが出てきた。
「これだよ」
 レイが両手で慎重に持ってきたのは、十センチ四方で高さが三十セン
チほどのガラスでできた角柱。そしてその中に翅の生えた中性的な「ヒ
ト?」がいる。
「妖精!!」
 リディアが身を乗り出して近寄る。
「すごい、人形じゃないよね!」
 リディアが思うようにレイとエリュネイアもそう思った。
「先生には話した?」
 ヨシュアも目を輝かしている。先生というのはレイとエリュネイアの
母、「レガ」のことだ。
「擬似生命体(ホムンクルス)・・・・・・」
 レイの言葉に三人は驚く。
「おい、本当かよ!」
 ヨシュアは「信じられない!」という顔をする。
 “擬似生命体(ホムンクルス)”とは錬金術における奥義のひとつだ。
“器”にかりそめの“命”を与え、従者として使役する。高等なものに
なれば言葉を覚え、“ヒト”と区別がつかないという。
「けど、それって本当にできるの?」
 この世界には“科学”と“錬金術”が混在する。相反するものが混在
するのだから、“不思議”という定義はナンセンスだ。
「母さんにはまだ話していない。けど、話すつもりだよ。母さんならな
にか分かるかもしれない」
 レイの手の中の角柱を凝視する三人。
 “翅のヒト”は半透明の布のようなものをまとっている。光の当たり
具合でホログラムのように色が微妙に変化する。
「シオンにも話そうと思う。母さんがいっていたけど、シオンは考古学
に詳しいんだって」
 へえ、と三人は意外な顔をする。そもそも、シオンはなにをやってい
るのか分からない。学校で体育を教えていたり、レガの護衛をしたり、
村の自警団に所属していたり。
「とりあえず、うちに運ぼう」
 途中、三人も持ちたいというので代わる代わるそおっと“角柱”を持
ってみるが、驚くのはその軽さだ。もしもコレがガラスなんかできてい
るとしたら、かなりの重さだと思う。けれどもエリュネイアでさえ軽々
ともてるほどの物だ。
 レイの家に戻るまでいろいろと憶測を巡らせていたが、子どもが四人
頭を付き合わせたところで答えが出るわけもなかった。
「先生はいつ戻るの?」
「今会議の最中だから、十八時には戻ると思う」
 回りまわって角柱はレイの手元に戻ってくる。
 角が丸められた角柱の中に眠る“妖精”いや“擬似生命体(ホムンクル
ス)”は、今なにを思っているのだろう。レイの心は完全にこの“角柱”
に奪われていた。
「レイ、レイ?」
 リディアに二回呼ばれたところでようやっと気がついた。興奮してい
るのだろうか?体が火照る。走ったためだろうか?
「ごめん、なに?」
 リディアに向き直ると、彼女はヨシュアと手をつないだままだった。
学校の奴らがこの様子を見たらなんと思うだろう。“男女のリディア”
とよく男たちにからかわれているが、レイはそれが良く分からない。自
分たちと接するときは女の子そのものなのに、リディアは他の子たちと
接するときは違う。もともとサバサバした性格だけど、彼女は十分女の
子らしいと思う。からかう奴らを片っ端から蹴散らしているのは、彼女
が恥ずかしがり屋だからだろうとレイは思っていた。
「あの悪がきがそろそろ血相変えてレイの家に来るとこだと思うよ」
 そうだね、とレイはうなずき、四人で丘をおり始めた。

 四人は丘を下り終わったところで、向こうから走ってくるアスレイを
見つけた。
「やれやれ、問題児のご登場だよ」
 ヨシュアが肩をすくめるとみんなは声を上げて笑った。
「宿題終わったの~?」
 エリュネイアの問いにアスレイは力なく手を上げて答える。
彼の学習能力のなさにはニワトリもうんざりするほどだが、その癖勉強
はできる。というか、執念だろう。
「そんなことじゃあ、ネイもあきれちゃうよ!」
 リディアの声にアスレイは顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまう。
アスレイは何かとネイの言うことだけは聞く。両親がどんなに強く話を
しても聞かないのに、ネイが話すとしぶしぶではあるが言うことをきく
のだ。まあ、単純に彼女のことが好きなだけなのだけど、本人はいまだ
その気持ちが気がついていないらしい。昨年、ネイが皇都のアカデミー
に行ってしまったので、今はよけいに寂しいのだろう。
「ほんとにひどい目にあったよ。帰る前に宿題やれだなんて、じゃあ、
いったいいつ遊べばいいんだよ!」
 悪びれもなくそんなことを言うものだから、本当に困ってしまう。
「今から遊べばいいだろ?まだ四時にならないんだから」
 村にある教会の鐘は時計の代わりだ。朝の六時から夜の九時までは1
時間おきに鐘がなる。昔は聖職者が手打ちをしていたらしいが、今はさ
すがに機械仕掛けで自動らしい。
「それよりさ、話のやつってそれなの?」
 レイの手の中にある“角柱”を凝視するアスレイの瞳は、すでに居残
り宿題のことなど忘れていた。
「ああ」
 そう言ってレイはアスレイにそれを手渡すが、さすがのアスレイもお
っかなびっくりでそれを受け取った。
「お、おい、これって何だよ?」
 彼でもこの物のただならぬ雰囲気はわかるらしい。
「人形なの?妖精?」
 アスレイは“角柱”を傾けたり逆さまにしてみたりしていろいろな角
度から見つめる。太陽に“角柱”をかざして覗き込むと彼は声を上げ
た!
「こいつ生きてる!!」
 驚きのあまり手から“角柱を”こぼしたが、ヨシュアがすんでのとこ
ろでキャッチする。
「あぶねーよ!」
 ヨシュアは抗議も曖昧にアスレイと同じく“角柱”を太陽にかざして
みる。
「なにがどうしたって・・・・・・」
 レイとエリュネイア、リディアも一緒になってヨシュアと“角柱”を
見あげる。
夕暮れ近い陽光は赤みがかっている。その光が“角柱”を抜けると地面
には赤みがかったホログラムのような光が広がる。そして・・・・・・。
「血だ!血管が見える・・・・・・」
 レイも声を上げる。続いてヨシュア、リディアも同じように声を上
げ、最後にエリュネイアがそれに気がついた。太陽にかざした“翅の
人”の体にはうっすらとではあるが、葉脈のようなものが見える。これ
はどう見ても植物ではないのだから、“血管”であろう。それに・・・・・・
「目が・・・・・・・」
 “翅の人”は目をうっすらと開け始めた。



 レガは厳しい表情で両掌を顎の辺りで組み、机に肘をついていた。い
つも優しく穏やかな表情でいる彼女だが、こういったときは迫力があ
る。
 問題となっているのは、レガ宛に送られてきた一枚の書状だ。差出人
は『皇立アカデミー学長エディ・バウアー』とある。そのサインも封印
も彼のものに間違いない。
「こんな時期におかしいわ」
 レガは信じられないといった様子だ。
「それに、あまりにも急なお話です」
 彼女の隣で辛辣な表情でいるのが、教頭のレナ。彼女はこの学校が国
の補助を受けるようになってから中央から来た教員で、以来ずっとこの
村にとどまっている。この村に初めて来たときは三十歳くらいだったろ
うか?今では髪の毛にすこし白髪が見える。
 この部屋にいるのは彼女たちだけではない。ここは職員室だから他に
五名の職員がいるし、今、子どもたちの送迎を終えてメガーヌが入って
きたところだった。
「どうしたんです?」
 バスの鍵を所定の場所にしまってから、彼女は日誌を書くため席につ
いた。
「いや、それが校長宛に“アカデミー”から書状が届いたんですけ
ど・・・・・・」
 メガーヌの隣の席に座る新米教師のペンネは、校長と教頭の方を目で
促した。
「ふ~ん。でも、何だってこんなに変な空気なの?」
 その問いにはペンネの隣りに座るアンナが答えた。
「召喚です。アカデミーからの」
 その言葉にはメガーヌも驚いた。
「なんだって今頃に?」
 学期の間、つまり長期休みの間に皇都に出向いて教育者たちの集まり
があるが、今は6月だ。
「だからみんな驚いているんじゃないですか」
 そうこう話をしている間にレガは席を立った。
「シオンはいる?」
 彼はちょうど電話の応対が終わったところだった。シオンは受話器を
置くと、レガに向き直る。
ちょうどそのとき、彼には職員室の窓から来訪者の姿が見えた。
 黒のスーツにシルクハット。まったくもってこの田舎に似つかわしく
ないその出で立ちの男が、黒塗りの車から降りてきた。

 全校生徒五十名にも満たないこの学校には来客室どころか校長室すら
もない。何せ教師と運転手の全員をあわせても職員が六名しかいない。
突然の来訪者が通されたのは職員室の一角だった。ここには簡素なソフ
ァーと椅子が四脚置かれてある。
 レガとレナが座り、その正面にはマクガイアが座った。彼の隣には椅
子が一脚余ってはいたが、従者が二人なのでその者たちはマクガイアの
後ろに立っていた。一人は男性。そしてもう一人は女性だった。いずれ
も年齢は二十代だろう。女性の方は顔にあどけなさも残る。
 男は座る前にレガに一枚の紙を差し出した。
 『皇立アカデミー 人事部部長 マクガイア・アーガイル』差し出さ
れた名刺にはそう書かれてある。
 シルクハットを取った男の頭は白髪で短く切りそろえられており、手
には白い手袋。そして左手には金の腕時計。胸元には皇立アカデミーの
バッジが輝いている。特徴的なのはキツネのような細い目。それと、い
かにも「利発そうに見えるでしょ?」といわんばかりの丸眼鏡が嫌味た
らしいのが印象的だった。

「先ほど、郵便でこれが届いたところでした」
 レガはそう言って先ほどの封を切った封筒をテーブルの上に置いた。
 アーガイルと名乗った男はそうでしたか、と細い目をますます細めて
微笑んだ。
「本来ならば時間を置いてお伺いするところでしょうが、こちらも急い
でおりまして」
 そういうとアーガイルと名乗った男は難しい顔をした。
「どういうことです?」
 レガの問いに少し間をおいて彼は答えた。
「最近、わが国から有識者や技術者の流出が後を絶たないんですよ」
 アーガイルの声は少しずつトーンが落ちていっている。落胆の色が隠
せないのだ。
「あなたがここに来られたということは、大学側からも流出が後を絶た
ないということですか?」
 レガは悪びれもなく問う。それを知るのは当然の権利だろう。この時
期はずれもいいときにあんな書簡をもらったのだから。
「お恥ずかしい。それを止めれなかったのはわたしの責任なのですよ」
 がっくりと肩を落とし、落胆する彼をレガは黙って見つめていた。
「なるほど。しかしわたしとしては出て行こうとするものを止めるより
も、今から芽吹く小さな種を育てたいのです」
 その言葉にアーガイルは言葉を詰まらせたが、こう切り替えした。
「報酬は十分にだします。ここで教鞭をとっているよりもはるかに高額
なものです。それにあなたの知識欲を十分に満たしてくれるでしょう」
 彼の「どうして断るんだ」と言いたげな表情にレガは不快感を露にす
る。
「わたしがお金のためにこの学校を運営しているかと思っているのです
か?」
 レガがそう口にするや否や、シオンが動いた。
「彼女を愚弄しに来たのなら即刻帰ってもらおう」
 少し離れたところにいたシオンだったが、声を大にして彼は歩み出
た。当然その白髪と赤い瞳に注目が集まる。
「失礼ですが、あなたは?」
 アーガイルの瞳と声には自信がもどっていた。この男は権力や名声、
地位で人を判断する案外安っぽい人間なのかもしれない。とレガは内心
せせら笑った。
「わたくしのボディガードをお願いしているシオンです」
 彼女は凛としてそう言い放った直後、背後の二人が顔を見合わせ、ア
ーガイルに耳打ちする。おそらくシオンのことについてだろう。
「いや、もうしわけありませんでした。
 突然の訪問で驚いたでしょう。わたしも結果を急いでいるわけではあ
りませんし、二日ほどこの村に滞在しようと思っておりますので、何か
ありましたら宿までご連絡願います」
 アーガイルはすくと立ち上がると一礼し、持っていたシルクハットを
深々とかぶり早々に学校を後にした。

 車が走り出すのを見終えてから、職員室はあわただしくなる。
「なーんか、胡散臭い人だったね」
 アンナはアーガイルの真似なのだろう、両目の端をひっぱってキツネ
目で彼を批判している。
「ほんとうにアカデミーの人なのかな?」
 ペンネもだし、メガーヌもそれに相槌を打った。
「後ろの男と女は奴のボディガードみたいだったね」
 メガーヌは窓の外のレガとシオンを見つめていた。
「それにしてもあの二人。お似合いだよね。絵に描いたようなカップル
だよ」
 レガ・マギ=エル。
 ふたりの子どもをつれてこの地に流れ着いたときは、まだ二十歳くら
いのあどけなさの残る少女だった。そして今美しく、強い女性となっ
た。この学校の創設者であり、常に凛としたその態度と慈愛に満ちた微
笑が彼女だ。
「校長って、シオンさんとつき合ってるのかな?」
 彼の野暮な問いにアンナはげんなりする。
「二人は同郷の出身で一緒に戦火の中逃げてきたんだよ!それに今だっ
て一緒に住んでるし」
 隣にいたアンナも窓にしがみつくようにして外を覗き込んだ。
 シオンとレガは厳しい表情でなにかはなしをしている。
「けど、籍は入ってないんだろ?」
 メガーヌはまじまじとシオンに視線を送る。彼女は彼のことを気に入
っていた。顔もいいし、自分と趣味も合う。それにあの子ども好きの性
格も好きだ。特別な存在になりたいと思っている。しかし、かなわない
だろう。相手が彼女(レガ)というのがあまりにも分が悪い。
「メガーヌさんの恋はかなわずか……」
 メガーヌには聞こえない声だったが、アンナの耳には届いたらしく彼
女は目で猛烈に講義する。
 メガーヌは“失恋の末”この村に流れついたという。その過去には触
れないほうがいいらしい。というのも、村の若い連中が彼女を口説き落
とそうと酒場で酒を浴びるように飲ませたのだが、彼女はザルだった。
男たちは逆につぶされ、そのあと延々とその昔の男の話を聞かされたら
しい。その後彼女を酒に誘う男がめっきりと少なくなったのは言うまで
もない。
「シオンはいい男さ。あんないい男めったにいないよ。綺麗な目なん
だ。シオンの目は」
 はだけた胸元からは小麦色に焼けた豊かな胸が覗いて見える。彼女は
その胸元をまじまじと見つめ、そうポツリとつぶやいた。お店で酒を飲
んでいると体目当てで声をかけてくる奴は少なくない。
「魅力ないのかな?」
そんなうざったいことが今の自分を妙に慰めてくれる。これほどむなし
いことはない。
「メガーヌさんはそんなにおっぱい大きいからいいですよ!!」
 それに比べ、といいたそうにアンナは自分のペタンコな胸を触ると思
いっきりため息をついた。
「ふたりともなにやってんの?」
 女心は複雑なのだな、とペンネはうんざりといった表情だった。
「ごめんなさいね、突然の来客でなんだか調子が狂ってしまったわね」
 レガたちと一緒に見送りに出たはずのレナが先に職員室に戻ってき
た。職員室にいるのは運転手のメガーヌ。そして教師のペンネ、アンナ
に今入ってきたレナの四人。レガとシオンを足すと職員全員がそろう。
「教頭はどう思います?さっきの男」
 メガーヌは「あやしんだよねー」と言う顔。
「とーっても怪しいわね。わたしたちも動いた方がよさそうね」
 レナは先ほどのお堅いイメージとはことなる柔和な表情で話し始め
た。
「彼はたしかにアカデミーの人間かもしれない。胸元のバッジが正式な
ものだったし、職員室までお連れするときに書簡の話もしていたわ。け
ど……」
 レナは細いあごに手を当てて、少し考えてから言葉にした。
「わたしが半年前に会った人事部長は彼ではなかったの。たしか、レテ
ィ・ノア。女性だったはずよ」
 三人が顔を見合わせる。
「わたし、電話かけてみます!!アカデミーに」
 アンナはそう言うが早くアカデミーに電話をかけはじめた。
「校長とシオンを呼んできたほうがいい?」
 メガーヌがもう一度外に目をやったときには二人の姿はもうなかっ
た。
「シオンは家に向かったわ。子どもたちに気になることがあるって」
 レナが話し終えるとレガが入ってきた。表情はいつもと同じだ。
「レイたちが気になることを話していたので、シオンは家に行きまし
た。それに、先ほどの方たち、あの人たちはアカデミーの人間ではあり
ません」
 レガはきっぱりと断言した。これでレナが言うことは間違いなかった
ということだ。
 彼女は自分の椅子に座ると、電話で確認中のアンナを除いてその周囲
を囲むように思い思いの場所に皆落ち着いた。
「今のアカデミーの人事部長はレティ・ノアという女性よ。彼女はわた
しの五年先輩で昨日自宅にこの件が連絡あったわ。わたしにアカデミー
に来てほしいという話……そのときもわたしは丁重にお断りしたのだけ
ど」
 少々うんざり。という表情を彼女はわざとらしく作って見せた。
「書簡は本物よ。封印もサインも間違いないわ。バッジも本物でしょ
う。けど、彼は人事部の部長ではない。名前も偽名でしょうね。だっ
て、名刺が偽物なんですもの」
 レガは先ほど手渡されたアーガイルの名刺を机の上に置き、机の中か
らもう一枚名刺を取り出した。
「それは?」
 ペンネは断りを入れてから二枚の名刺を手にとって見比べた。メガー
ヌも一緒に見る。
「プレスされている校章が……アーガイルの持ってきた名刺の校章は不
鮮明だよ」
 アカデミーの名刺には左上に校章がプレスされて浮かび上がっている
のだが、アーガイルのそれはレティのそれと比べると明らかに精度が悪
い。間違いなく偽造されたものだろう。
「校長がさきほど話されていたように、マクガイア・アーガイルという
男はアカデミーの人事部長ではないようです。そんな人物はいないとい
う話でした」
 アンナは電話を終え、問い合わせた詳細を話し始めた。
「校長宛のその書簡は、間違いなく学長が公式に校長へ宛てたものだそ
うです。そして、彼は存在しない。
 マクガイア・アーガイルの身体的特徴も話しましたが、心当たりはな
いという回答でした」
 アンナの報告でことは決定付けられた。
「校長。由々しき事態になりましたね」
 レナの口元には笑みが浮かんでいる。まるで状況を楽しんでいるかの
ような。
「この村に不審者が入り込んだからには、それを排除する必要がありま
すね。まずは村長と“砦”、それに自警団に連絡を取りましょう」
 レガが話し始めるとそれぞれが動き始めた。
「わたしはそれらに電話をします。みなさんは帰宅しながら村の様子を
見てください。いきなり“事”を起こすとは思えませんが、注意した方
がいいでしょう」
 レナの指示は的確だ。
「あとは、
 


 アスレイはいまだに信じられないといった顔をしていた。なにがっ
て、この目の前の物体だ。なんだってこんなものがあるのか解らない
し、解るわけもない。子どもだからじゃない。両親に聞いたって信じて
くれないだろうし、唯一解るとすればレイとエリュネイアの母親のレガ
先生だけだろうと子どもながらに彼は考えていた。
 金色の金属で縁取られたガラスで出来たような角柱。そしてその中に
は昆虫の翅が生えたような小さな人間がいる。いや、これは人間ではな
いだろう。似ているが確かに違う。翅が生えていることを除いても違う
のだ。
 耳が尖っている。そう、絵本に出ていた森の妖精(エルフ)のようだ。
ただ、これは小さいからエルフではないんだろう。妖精(フェアリー)と
いうのが正しいのかもしれない。けれどもそれは物語での話だ。小さい
ときはそんな世界を夢見たが、現実にそんなものは存在しない。竜(ドラ
ゴン)だって、鬼(オーガー)だって、赤銅子鬼(ゴブリン)だっていないの
だ。フェアリーがいるのならそれらだっていたっておかしくはない。
 だからこれは夢なんだ!
 しかしそう自分に言い聞かせても夢ではないだろうとアスレイは思っ
た。夢ならおなかが空かないし、怪我もしないだろう。
 左足の膝が痛い。今日学校で転んですりむいたところだ。
「アスレイ。どうしたの?」
 ヨシュアは自分たちの少し後ろを歩くアスレイに向き直り、声をかけ
た。それもそうだろう、アスレイの顔色が悪い。いつもの悪ガキはどこ
へ行った?といった感じだ。
「気味悪いよ、あれ」
 


 逢魔が時、森を抜け、この丘を駆け上がる。
 レイにとってこの丘に夕方登ることは日課となっていた。夕陽に照ら
される“チョコレートヒルズ”と、それを映し出す湖はいつも綺麗で何
時間見ていても飽きない。もしもカメラを持っていたのなら毎日この景
色を収めたいと思うが、自分もそして母親もカメラは持っていなかっ
た。
カメラは高価なものだし、フィルムと現像にはお金がかかる。愛好家た
ちの家には現像室があるらしいが、そこまで揃えるのにはいったいどの
くらいかかるのか検討もつかないし、子どもの趣味には相応しくないも
のだとレイにはわかっていた。
 両手の人差し指と親指で四角形を作り、その中をファインダーよろし
く片目を瞑って覗いてみる。これが自分の手持ちのカメラだ。
目で見えるものに“枠”を与えただけで、そこはまるで切り取られたか
のように特別な空間となることに喜びを感じずにはいられない。
「自分がこの風景を切り取ったのだ」という満足感がこみ上げてくる。
“絵”もまた同じだろうし、あれは目で見たものを自分の“感性”とい
うフィルターを通してキャンバスに描くものだから、なおいっそう面白
いのだろうなと思うが自分に絵心がないことをレイは知っていた。下手
ではないが、上手くもない。まあ、普通なのだ。エリュネイアなんかは
恥ずかしがってあまり人には見せないのだが、驚くほどに絵が上手く本
当にうらやましくレイは思っていた。
 陽はだいぶ西に傾いてき、差込む夕陽もだいぶ赤みを帯びてきた。緑
萌える丘もその陽を浴びて赤みを帯びている。これが秋を向かえ、名の
通り“チョコレートヒルズ”となると夕陽を浴びた丘は燃え上がるよう
に色づいて見る者を魅了するのだ。

 レイは丘の頂きの遺跡にいた。
 遺跡の中央に鎮座する石舞台の前に両膝を抱えて座っている。
 目の前をゆっくりと流れていく雲。
 東の空にはいつの間にか月が出ていた。
 大きな満月だ。
 なぜだろう?
 月は満月のとき赤々としているのは?
 いつぞや母が言っていた。
 月はその光に“魔力”を秘めていると。
 “新月”のときにそれは枯渇し、“満月”のときにそれは最大の力を
発するのだという。
 オレは、“錬金術師”になれるだろうか?
 このつたない学力で?
 笑わせてくれる。そんなの無理に決まっているだろう。
 エリュネイアはなれるだろう。
 妹は勉強ができるだけでなく、頭がいい。
 人を疑うことを知らないで、いつも笑顔が絶えない妹。
 エリュネイア……。
 
嫌いな言葉がある。
 “血”。
 “血縁”。
 それがなんだって言うんだ!
 エリュネイアは母の本当の子どもだ。
 自分は“違う”。
 それがなんだって言うんだ。
 母さんは自分たちを隔てなく愛してくれる。
 抱きしめてくれる。
 エリュネイアは間違いなくアカデミーに行くだろうし、行った方がい
い。
 妹は“賢者の血を引く者”なのだ。

 じゃあ、自分は?
 なにになれるっていうんだ!!
 違う!
 なにをやりたいんだ!
 葡萄を育て、ワインを造るか?
 好きな植物を育て、花屋にでもなるか?
 違う!
 違う!!
 
「君は“狩る者”になるのだよ!」
 静寂の丘に突如響いた男の声に、レイは立ち上がった。
「この世にはびこる“咎(とが)”を狩るのさ!!」
 振り返った先にはスーツ姿の一人の男が立っていた。
 口ひげを蓄え、メガネをかけた中年の男。胸元のフラワーホールにア
カデミーのバッジがついてあることにすぐに気が付いた。
「あなたは?」
 男はレイの問いには答えなかった。
「レイ・ヴァランタイン君だろう?」
 男が口にしたのはレイの本名だった。彼の姓を今の“ヴェロニカ”と
は言わなかった。
「知っているかね?」
 男はゆっくりとレイに歩み寄ってくる。その口元にうっすらと笑みを
浮かべているのがレイには気持ち悪く感じられた。
「な、なにをだよ!」
 レイは直感的に“なにか”を感じていた。
「“ヴァランタイン”は“血”の名前。君は、正真正銘の“ヒト”さ。
それがなぜこんな“呪われた土地”にいる?」
 男は感情の起伏なく、しゃべり続けた。
「この土地は呪われているのさ。すべてがね」
 風が丘を吹き抜けた。
 今の季節に似つかわしくない生暖かい、気持ちの悪い風。なんだこの
異様な感じは?レイはまた感じていた。“なにか”を。
「なにを言っているんだ。あんた」
 レイは本当になにを言っているのかわからなかった。しかし、なぜこ
の男は“ヴァランタイン”の名を知っている?
「“ネフィリム”という“人ならぬ者”を知っているか?」
 少しずつ男の声が高揚していくのが分かる。
「創世記に登場する“天使”と“人”の間に産まれた巨人……」
 レイは無意識のうちに口にしていた。
「あーはっはっは!!
わずか十三歳の少年が創世記を知っているのか?四百年前、旧世紀時代
に栄えた宗教の経典の一部だぞ!!」
その風貌とは違い、その下卑た笑いにレイは虫唾が走った。
誰だ?いったい誰だというんだ?自問自答しても答えが分かるわけでは
ない。
「まったく呆れた親子だ!その知識はいったいどこで得たものなんだ?
お前の母親か?
まるで滾々(こんこん)と湧きいずる泉だな
- 七草粥 [ としぽっち ] 2006/01/07 13:02:58
1
- おみやげ [ としぽっち ] 2005/12/31 17:00:25
1
- アルカット [ としぽっち ] 2005/12/27 12:23:02
1
<< 前へ 136 - 140 / 151 次へ >>
© LY Corporation