
今日は、私の所有するR32GTRの話をしたいと思います。
思い入れがある為、長文ですので興味がありましたら
読んでみて下さい。
ノーマルで乗っていても楽しい車でしたが、すぐにマフラーをHKSに替え、ブローオフバルブや
ホイール(現行のパナ)、足回りなどを替えました。
でも当時のCAR BOYやOPTIONはまさにRB26チューン紹介のオンパレード。
今でこそ800馬力900馬力なんてよく見ますが、20年前はまだまだそんなレベルではありませんでした。
そんなある日、静岡県 沼津市にあった”テクニカル”というお店に行きました。
この店は、オーナーの杉澤さんという方が、富士スピードウェイ近隣にあるスリーテックという
お店で修行を積んで始めた本物のチューニングショップ。特にL型エンジンに関しては
最高のエンジンを作成している事で有名でした。(本当はもっと語りたいのですが。。)
まずお店に行って、私の32を見て、1言。
ブローオフバルブを外して、足回りをノーマルにして、あっマフラーも外してきて!!
これが第一声でした。。
え~って驚きました。どういう事?って感じで。
次に、”あっここにちょうど組みあがって慣らし終わったGTRあるから、横に乗ってみる?”
と言われ、助手席に乗れる事に。
この車は長岡におられるHさんのお兄さんの車でした。
10分程、暖気して、出動。。
そのあとの30分位は。。。圧巻の一言。
俺の32って何なの???おもちゃ?>>
って思える加速。
あっという間の200キロオーバー!!
当時でも700馬力は超えていたんだと思います。。
迷う事無く、チューニングを依頼しよう!!って思ったら、杉澤さんは
最初からこんなにやる事ないよ。
まずは、テクニカルのステージ1のブーストアップ仕様にしなさいと。。
言われた通り、部品を外し、売却し、いよいよチューニング開始。
そのメニューは
400馬力仕様で、柿本のフロントパイプ、マフラー、ブースト固定(1.2)、Hさん弟の
ワンオフCPU現車セッティング、純正ゴム部品のバンド強化などでした。
この仕様で充分速かったです。
同時に足回りもテクニカルオリジナルのコニーレーシングのショート加工、kgmのサス。
ABS外し、アテーサ強化、デフのイニシャルアップなど。トーインの調整なども独自の
糸をつかった調整で、アライメントテスターなんか使わなくって正確に出来ると。
半年位これで乗ってました。
次第にクラッチが滑り、ノーマルからOSのトリプルへ。
これにも杉澤さん独自の技術によりトリプルなのに半クラが使えるとか。。
ここでみなさんに気が付いてもらえたかどうか。。
本当に無駄な部品を使わず、必要な部品だけでこれだけ速い車だったんです。
当時も今も、やれなんとかの部品がなん10万、パイピングでなん十万みたいな。
当時もそんな、豪華な部品を着けた32がテクニカルに来て、いざ乗ると
全然速くないんですね~
そしてHさんや、私の仕様と同じやつに乗るとみんなショックを受けて。。って感じで。
人間慣れとは恐ろしいもので、この400馬力仕様で乗っていて3速あたりに入れると
加速が鈍る事を不満に覚えてしまう事に。。
そして杉澤さんに伝えると。。
そうなった事が判ってもらえたら、次を進めるんですよ!
最初からやっちゃったら判らないでしょ??
っと。
これが1995年の話です。
しかし私が仕事でアメリカへ行く事(5年間)になり、どうしようかと思っていると
杉澤さんから、車預かって、5年で仕上げとくよ!って事になり
車をテクニカル預けに。
アメリカに出向後も当時、電話で状況を確認。
加速の息つきもあったので初めてエンジンを開ける事に。
自分の車のエンジンを見るって興奮しますよね!
そしたらシリンダー#5の焼き付き、セラミックターボの風車欠けが発覚。
大きい声では言えませんが、当時、杉澤さんに日産のお偉いさんのお客さんがいて
仕入れ値でエンジン本体が買え、ミッションもクレームで新品にしてもらったりしました。
そして1999年6月にいよいよ次のステージへ。(愛車記録にて)
愛車記録以外ではニスモタービン装着、ブースト固定(0.9)、インタークーラー、
オイルクーラー装着、コンピューター再セッティングなど。
そんな話をしていたある日
まさかの出来事。。。。
杉澤さんが1999年12月29日に他界。。。。
急な出来事。。
真っ先に心配になったのは私のGTRは???
亡くなったその夜にHさん達の仲間達が、私の32とエンジンを引き上げて頂き、長岡のHさん亭に。
幸い、エンジンは90%以上が完成していました。
2000年3月帰国の際、Hさん亭にてエンジン装着しました。
まさに遺作のエンジンです。
どうですか?
派手さも何もない、ただのノーマルエンジンですよね~。
本体の中身は杉澤さんの寸分にも狂わない加工の数々。
それから12年が経過しました。
当然ですが当時慣らしも丁寧して、走行したのは6000キロくらいでしょうか・・
ニスモタービンでも下からパワーモリモリで、エンジン本体が仕事をしてくれているって
実感出来ます。
ブーストコントローラーも無い、僅か0.9で600馬力近いパワーですから。。(シャーシ計測)
みなさん、乗るとビックリされます。なんでこんな速いの~って。(怖い!!)
でもこの仕様でも当時のテクニカルステージ2なんですよね。。
私には充分速いですけどね(笑)
本当は更に、壊れない為の工夫をした部品を着けたかったんですが、今のショップの
部品が信用出来なくて。。
エンジンオイルのカストロRS以外は入れるな!って当時言われたんですが、
どうやら最近のRSは当時と違うらしく、ブローするやつが出てきているみたいで。。
今でもよく雑誌で派手な部品を着けた、ピカピカのエンジンを見かけます。
でもこれって速いのかな~?見せる為のエンジンだな~!
いったい幾らかかってるんだろな~って思います。
杉澤さんが生きていたら、今頃どんなエンジンを考えてるんだろな~って思います。
そんな杉澤さんを慕った仲間もみんな同じ気持ちなんだろな~って。
それがタイトルに寄せた思いです。
追加インジェクター?なんちゃらタービン?ウェイストゲート?
そんなお金があるなら、本体に使いなさい。壊れない仕様で作るから。
N1耐久の車がそんな部品使ってる?
それが杉澤さんの口癖でした。
当時のお客さんだった、もっと杉澤さんの事を語った方もいます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gtr/
勝手に使ってすいません。
でも杉澤さんへの思いがもっと詳しく伝わるブログの方です。
今日は、ちょっと個人的なR32への思い入れを語ってしまい申し訳ありません!
多くのGTRへ乗る方へ少しでも判ってもらえたらいいなって思い、書きました。
自分は少なくとも、本当のRBパワーを実感させてもらった杉澤さんやHさんの
お陰で楽しいGTR生活を送る事が出来ました。
今はガレージで次にいつでも乗れるようにと。。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました!!!!!