
たまたま地元の友人のブログを読んでいたら、人との出会いや別れについてちょっと暗いトーンで書かれていた。その友人も自分と同様にオッサンなので、どうもトシ食うと人との別れに対して過敏になってしまうという内容にも頷ける。出会いと別れとは“光と陰”なんだろうか。
ようやく少しだけ春めいてきたが、同時に3月11日が近付いてきた。忘れもしない、2年前の忌まわしい東日本大震災。
職場から自宅まで40km弱の道のりをウンコ踏んだ靴で歩いて帰ったことも生々しく思い出されるが、自分も多くを失ってしまい、震災から長い間精神的にバランスを崩すことになってしまった。東北でパーツ生産をしていた自動車産業も大きなダメージを受けたが、今は次第に復興してきている。
先週末は二日酔いとめまいで珍しく体調を崩してしまい、仕事も趣味も何もできなかった。何もやることがないと、ウダウダと考えごとや後悔をしてしまう。それも殆どがもう会えなくなってしまった人のことだ。震災が原因ではないけど、一昨年と昨年でかなりの人との縁が切れてしまった。いつの間にか疎遠になってしまったり、どちらかに原因があったり、お互いの誤解があったりと、理由は色々だ。特に自分に原因がある場合は、いつまでも自責の念に苛まれ続けてしまう。昔仲が良かったクラシックLotus乗りやオールドDucatiの仲間達は、今はどうしてるのかな…元気でやってるといいけど。
考えているうちにあまりにもグダグダになってきたので、デジカメで撮った写真の整理を始めると、光と陰(影)を描写しようとしたカットが多いことに気付いた。先日Caymanでぶらっと出かけた静岡の三保の松原海岸では、地元の海岸にはない駿河湾の砂利浜に反射する冬の光とキリッとした冷たい空気を捉えたくて,逆光のアングルを探してみたのがこのカット。
対して、自宅前の東京湾では、はっきりしない薄曇りの光と空気を写すべく、もの思いにふける女性を撮ったのがこの写真。晴れでも曇りでもなく、暑くも寒くもなく、カラーでもモノトーンでもなく、ウキウキでもションボリでもない、喜怒哀楽のどこにも感情のシフトができない銀色の世界。デジタル一眼のISOを下げて絞りを限界まで開け、敢えてぼんやり感を出してみた。
以前に乗っていたKTM640で、2年前のちょうど今ごろ真冬のツーリングに出かけた際に富津岬で撮ったカットは、こちら側の富津岬はシーズンオフで誰もいない寂しい観光地なのに、対岸の浦賀の工場からは煙が立ち上り横須賀の街では営みが活発に行われているという、光と陰を表現したかった(とその時は思ったが、単に逆光の写真だ…)。
日曜の午後になってようやくめまいがおさまってきたので、頭痛薬でも飲もうかとグラスに水を入れたところ、午後の太陽がグラスに射し込み、美しい陰影が浮き出た。オッサンのくせに妙にメルヘンチックな気分になってしまう。
頭痛薬を飲み、このまま何もしないで週末が終わるのもどうかと、車で近所のAEONに買い物に行ってみヨーカドー。Caymanはドア長の関係で隣に車がいると乗降しにくいため、わざわざ駐車場の端っこに停めると、傾いた日射しがレッドのCaymanをより赤々と照らす。このカラーが欲しかったワケではないけど、今となってはレッドもまあイイんじゃないかと。撮影する自分のマヌケな影が、うら寂しい駐車場の路面に落ちる。
買い物を済ませて自宅に戻ると、西の空には美しい夕焼けが。わずかな残り陽の中、アパホテル(元幕張プリンスホテル)とQVCマリンフィールド(元マリンスタジアム)の巨大な影が、まるで要塞のようだ。「元」って付いてしまうところが泣かせるよまったく。ここに引っ越してきた頃には人工雪スキー場のSSAWS(ザウス←知ってる?)がそびえてたのに、今では影も形もないのも寂しい。
日曜の日没時刻に、自宅から遠く離れた場所にいると、サザエさん症候群に近い感覚でどうしようもなく不安で寂しい気持ちになる。寒いとなおさらだ。先月出かけた南房総の館山で、日曜の日没に撮った写真は、その不安な気持ちが写り込んでいる。館山市街から離れた大房岬で、寒い中釣りをする親子と漁具の手入れをする漁師。自分にとっては寒くて寂しい見知らぬ土地だが、彼等にとってはあたたかいホームタウンなのだな。まさに光と陰。
震災が起こってしまった日が近付き、おまけに体調も優れないと、会えなくなった人のことを考えてどうしようもなくネガティブになってしまう。あんなに仲が良かったのに、ほんの些細なことで会わなくなってしまったりとか、それまでにその人と育んできた楽しかったはずの思い出が、途端に悲しい思い出になってしまう。いやホント相手が男女問わず。相手の方もきっと寂しい思いをしてるんだろうなと思いたいけど、実際は何とも思ってなくて忘れ去ってることが殆どだろう。相手だって自分の人生に精一杯なのだ。悲しいかな、それが現実。
そんな大切な人との別れと決意を歌っているのが、この「いつもわすれない 〜September Waltz」という曲。移りゆく季節と揺れる気持ちを、シンガーの栗本佳那の柔らかい歌声が伝えてくれる。こんなゆったりしたバラードなのに、動画の中で自分がベースを弾きながら不審な動きをしてるのは見逃して^^;(ライブではもっとテンポをあげていて、その映像をスローモーションにした為)
週末の間ずっと寝ていたせいか、日曜の深夜は眠れなくなってしまい、ボンヤリと月を眺めていた。ふと三脚を取り出し、東京湾の海面に反射して居間に射し込む月の光と対岸の羽田の灯りを、長時間露光で撮影。月の光ってホントに青いんだよね。
自分の書く曲は「離別」「後悔」「挫折」「苦悩」といったテーマばかりだ。情けない人生だけど、光と陰の中で出会いと別れを繰り返すことこそ“生きてる”ってことだと思いたい。
Posted at 2013/02/28 18:08:18 | |
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