電光石火の拳を喰らったアーバインは語る。
「 …ったく、性能差があるんだから、さっさと抜けばイイじゃんか… 」
ブーツェン曰く、「 私の理解者さ。 あまり話したコトは無いけれど… 」
「 所詮、サンパウロのタクシードライバーさね。 でも実は認めてたさ!」 とはピケ・シニアの話。
”孤独な道” を選んだ者の宿命。
元会長バレストル 「 ありがたく思え。 謝って済むのは子供とF1だけだ 」
アルボレート 「 速ければ良いのか。 危険だ。」
ワーウィック 「 私は彼と同等に走れた筈さ。 なのに… 奴のせいさ。」
「 気の合うイイ奴だよ。 純粋なんだよ。 ココロから感謝したさ。」
「 奴の事は嫌いじゃない。 解っていながらヤラレた俺が馬鹿さ! 」
’91年、微妙な空気に包まれた鈴鹿の夕暮れ時。 (ベルガー・マンセル談)
アランとミハエルは口を揃える。
「 互いに尊敬し合っていた。 不器用な彼の表現に、皆惑わされてただけさ… 」
日本に F1 が本格的に上陸した頃、 MP4/4 が全ての象徴だった。
中島 悟 と 彼 がすべてのスタート、そして翌年から伝説が始まった。
その人物像は、あまりに多岐に渡るベクトルでの証言の為、統一視されていない。
「神」 と称され、「最低の人間」 と卑しめられる。
だが少なくとも我々日本のファンにとって、それら全てが彼を崇高へと導く装飾の一部としてしか機能しなかった事は、否定出来まい。
伝説として、これ以上有り得ないカタチでこの世を去った彼の、微かな名残りを今日この眼で垣間見る幸せ。
マクラーレン大阪が一般客向けにオープンした今日、ABARTHを 24ケ月点検でディーラーに預けたのち、その足で即座に この ”伝説” に逢いに来た。
ABARTH大阪から地下鉄で15分ほど、近い…
が、御堂筋ど真ん中。
駐車場は無いので公共交通機関での来訪が必須だ。
客層はそれなりの富裕層。
付近全面駐禁だが、店舗前に ドーンッと GT3RS なり 599GTO が横付けされても不思議ではない。
しかし、おびただしい数の薄緑取締員がそれを許さじと、軽トラ1台停められぬ空気を創り出し、店舗前を緩やかに通り過ぎる高級車たちが愛しい。
ドレスコード無しとの事前情報を真に受けて平服の私、電柱の陰から数分のリサーチの結果、入店可能との脳内判断が下され 涼しげに店内へと向かう。
スケルトンボディの MP4-12C が清々しい。

インテーク周辺は取り外されていたが、ここまで魅せるのはナカナカない、丸裸。
ドア開けるセンサー探しに、一苦労。
座ると、それほどスパルタンではない。 むしろ、ラグジュアリー。
イタ車の如き流麗さは乏しいが、質実剛健なインテリア。
他の客すべてが控えめなのに、アッチもコッチも開けさせる私、ゴメンなさい。
だって、少なくとも安い買い物ではナイもの…
今回、最も
残念だった 気になったのがブレーキコンポーネンツ。
話には聴いていたが、採用されたのは AP Racing 。
問答無用の一流、しかも英国ブランド。 無理もない。
しかしF1からの流れなら、この超一流のクルマに是が非とも 「 akebono 」 を採用して欲しかった…
視た目、イタ車ほどのエモーショナルは無い。 むしろ地味過ぎるほど。
「 折角のココ、もっとアピールする見せ方があるでしょ!」
との意見に対しても、あくまで英国紳士流文化を貫き、穏やかでいて冷徹に却下するかの如き、素の佇まい。
なるほど良かろう、気に入った。 チンクもイイが、これも良い!
今、ゴードン・マーレイがこのクルマを視てどう感じるのだろう。
アイルトンがこの ”マクラーレン” を観て、どんな想いに駆られるのだろう。
ディーラーで 我がABARTH を受け取り、帰路の道中に想う。
やはり我々の世代は、 マクラーレン = あの熱き時代の郷愁なのだと。
そして、音速のカリスマに魅せられた故に、一度は触れるべきモノなのだと。
今回、お世話になった 「 Mclaren 大阪八光 」 の水〇様はじめスタッフの皆様のご厚意と手厚いもてなしを、心より感謝申し上げます。
西日本チンク乗りの皆さんも是非、一度アシを運んでご覧になって(懐古)戴けたら幸いです。
そして、帰り際にサインする私。
葛藤 ・ 躊躇は無かった、と云えば嘘になる。
筆取る指に、震えはあった… 至極当然。
聴きたいコトは山ほどあった。
男のやせ我慢で結構!
こんな時こそ、穏やかに ・ 涼やかに、何も云わずサインするものだ…
24ケ月点検の領収書、サインするにもココロが揺れる。 さすが情熱の国のクルマ。
ABARTH 最高!
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2012/03/04 00:34:28