2005年10月12日
一本の管としての人間
おまいは尺八なんぞ吹いておるが
何処が面白ひのぢゃ
と
誰も訊いてくれないので
お答えすることにいたしませう
何故、竹を吹くのか?
自分が一本の管に過ぎぬことを
思ひ出すためです
以前
何で見たのか忘れましたが
動物の受精細胞が分裂を開始し
次第に体らしき姿(すなわち胎児)
に変化していく様子を撮影したビデオを
見たことがあります
そのとき
細胞の集合体の中に最初に見えてくる部品(器官)らしき物は
脊椎に相当する部分ぢゃったと思ひます
正確には脊椎の骨の部分ぢゃなくて
その中を通ってゐる中枢神経と脳でせう
その後、血管らしき物や腸らしき器官
すなわち入口と出口を持つ管(消化管)が
続々とできてくるのぢゃったと記憶してゐます
されを見たときの感想
「生き物って要するに管なんぢゃね
最も原初的な形を求めれば
人間も一本の管
つまり蚯蚓(ミミズ)見たいな
入口と出口をもつ一本の管に還元されるのぢゃね」
人間の現世的な、即物的な有り様を「骨と肉」に仮託するのは
実は相応しくないと思ひます
禅宗の坊さんが人間のことを「糞袋」と呼んだやうに
生き物は「管」と看做すのが相当なのではないでせうか
神経、消化管、気管、血管、リンパ管・・・
システムが複雑になっても
管の集合体であることには変わりがない
臓器は管の集積場であり中継場
骨や肉は管の集合体である体を支えたり
管の機能を支えるためのものでしかありません
ですから原初的な生物には骨も肉もない
では管とは何か
物がその中を通過する
内腔と外腔を持つ壁です
生存するとは
管の中を物が通過し
「内側」と「外側」で物質の交換が行われること
器官を形成する以前の細胞レベルで見てさえ
そこで行われてゐるのは
細胞壁(壁のない細胞もありますが)にある
穴(チャネル)を物やイオンが通過すること
それが全てでせう
人間が管に過ぎないこと
それはわらはにとりて
尺八が一本の管に過ぎないことと同じであります
吹口で発生した空気の振動は
竹の内腔で響くと同時に
口から気管に入り
気管の中でも響きます
声帯やおそらくは胸膜あたりとも共鳴します
こうして自分が竹とともに鳴ってゐるとき
自分も一本の管であったことを感得できます
生物としての原初に還った心地がします
一個の糞袋たる
一管の自分が
一管の竹と共鳴している
さうした自分に日々出会うために
わらは尺八を吹くのであります
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Posted at
2005/10/12 22:32:07
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