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やんごとなきおんかたのブログ一覧

2005年10月17日 イイね!

雨はイクリプスを許さず

武蔵野に降る雨はやまず
満月を出し惜しみする(イヂワル)
今宵の月蝕も見られず仕舞ひぢゃ
残念ぢゃったな~

地球の影が月面に投影される
この珍しき機会に
わらはの手影絵を月に映じて
狐さんや鳩さんが
兎さんと遊び興じる姿を
皆さまにお見せするつもりであったに
あ~ぁ


満月を 隠して深し 秋の雨
蝕されし瑕(キズ) 観るを許さず


かくして
兎さんのヘアヌードは封印された
Posted at 2005/10/17 22:40:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2005年10月14日 イイね!

明日のお月見は

明日のお月見は明日は十三夜(旧暦9月13日)

十五夜(旧暦8月15日)とならんで
お月見の行事が行はれる日です

お月見は十五夜と十三夜をともに行ふのが
正式ださうです


あいにく
わが御所の上空は明日天気が悪いらしい
そこで一日早き十二夜の月を撮ってみました

今宵は
この一か月で地球と月との距離が最も接近する日です
(少しは大きく見えてゐるのかな)

あ゛
兎さんっ!
ぱぱらっちが狙ふてゐますよ
お体をお隠しあれ
さ、さんな
露出が過ぎまするぞえ~



(月曜日までみんカラに来れないので
 一日早いですが
 十三夜の話題を書いてみました
 皆さまの地方が明日
 お月見のできる天気ぢゃと
 よろしいですね♪)

Posted at 2005/10/14 22:45:07 | コメント(3) | 日記
2005年10月14日 イイね!

杜鵑草(ホトトギス)が咲きました

杜鵑草(ホトトギス)が咲きました

紅葉(モミヂ)待つ 無聊の庭に 杜鵑草(ホトトギス)
渡り来る鳥 迎へ咲くなり










咲く花も少なきこの季節
紅葉の色付きを待つ間
貴人の無聊を慰めるかの如く
杜鵑草(ホトトギス)が咲きました(愛い愛い)
やがて来る渡り鳥も
この花を見て旅の疲れを癒すのでせうか


されにしても
草花の写真は難しいですね
説明的になっても面白ふないし
なかなか気に入ったものが撮れませぬ
Posted at 2005/10/14 15:38:50 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2005年10月13日 イイね!

十一夜の月

十一夜の月撮ってみたぞ

コンパクトデヂカメで
ここまで撮れるかと感心






兎さんのプライバシーは
かくして侵害された

しかし
下半身はちゃんと影に隠れてゐる
セーフぢゃ
Posted at 2005/10/13 20:12:19 | コメント(4) | 日記
2005年10月12日 イイね!

一本の管としての人間

おまいは尺八なんぞ吹いておるが
何処が面白ひのぢゃ

誰も訊いてくれないので
お答えすることにいたしませう

何故、竹を吹くのか?
自分が一本の管に過ぎぬことを
思ひ出すためです

以前
何で見たのか忘れましたが
動物の受精細胞が分裂を開始し
次第に体らしき姿(すなわち胎児)
に変化していく様子を撮影したビデオを
見たことがあります
そのとき
細胞の集合体の中に最初に見えてくる部品(器官)らしき物は
脊椎に相当する部分ぢゃったと思ひます
正確には脊椎の骨の部分ぢゃなくて
その中を通ってゐる中枢神経と脳でせう
その後、血管らしき物や腸らしき器官
すなわち入口と出口を持つ管(消化管)が
続々とできてくるのぢゃったと記憶してゐます

されを見たときの感想

「生き物って要するに管なんぢゃね
 最も原初的な形を求めれば
 人間も一本の管
 つまり蚯蚓(ミミズ)見たいな
 入口と出口をもつ一本の管に還元されるのぢゃね」

人間の現世的な、即物的な有り様を「骨と肉」に仮託するのは
実は相応しくないと思ひます
禅宗の坊さんが人間のことを「糞袋」と呼んだやうに
生き物は「管」と看做すのが相当なのではないでせうか
神経、消化管、気管、血管、リンパ管・・・
システムが複雑になっても
管の集合体であることには変わりがない
臓器は管の集積場であり中継場
骨や肉は管の集合体である体を支えたり
管の機能を支えるためのものでしかありません
ですから原初的な生物には骨も肉もない

では管とは何か
物がその中を通過する
内腔と外腔を持つ壁です

生存するとは
管の中を物が通過し
「内側」と「外側」で物質の交換が行われること

器官を形成する以前の細胞レベルで見てさえ
そこで行われてゐるのは
細胞壁(壁のない細胞もありますが)にある
穴(チャネル)を物やイオンが通過すること
それが全てでせう

人間が管に過ぎないこと
それはわらはにとりて
尺八が一本の管に過ぎないことと同じであります

吹口で発生した空気の振動は
竹の内腔で響くと同時に
口から気管に入り
気管の中でも響きます
声帯やおそらくは胸膜あたりとも共鳴します
こうして自分が竹とともに鳴ってゐるとき
自分も一本の管であったことを感得できます
生物としての原初に還った心地がします

一個の糞袋たる
一管の自分が
一管の竹と共鳴している

さうした自分に日々出会うために
わらは尺八を吹くのであります
Posted at 2005/10/12 22:32:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

平安時代の生まれ 牛車をこよなく愛し 雅の心で生きなむと欲する スーパー・バーチャル都人なるぞえ   ∩  (・・) /∩\ 旦~~  ̄ ̄ ̄ ̄...
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