
キリコどのからいただきました。
だいぶ前に流布されたバトンと記憶してゐますが
まだ流通してゐたのですね。
やってみませう、ただしフツーに。
①PCの音楽ファイルの容量
800MBくらい
PCには、PCディスプレイに付属した貧弱なスピーカしか付いてゐないので、PCで音楽は聴きませぬ。D-snapといふSDプレーヤに音を落とすため、CDからPCに音を経由してゐるだけです。楽曲のダウンロードサービスも数回しか利用したことがありませぬ。
②今聴いてる曲
『ベートーベン:交響曲第7番』
フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏
最近は、「ベートーベン+フルトヴェングラー+ベルリン・フィル」といふ黄金の三角形にどっぷりと浸かってゐます。
この曲は実験的な要素に溢れてゐる感じがして、不思議な面白さがあります。ベートーベン自身も音の遊びを楽しみながら作ったのでは、と思ふたりします。
③最後に買ふたCD
『ベートーベン:交響曲第7番・第8番』
フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏
(②で挙げた曲はこのCDのです)
『ベートーベン:交響曲第3番』
フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏
最期と言ふても、いづれも今月買ふたばかりです。
第7番以外はまだあまり聴いてゐません。
④よく聴く、お気に入り、思い入れのあるもの
(1)よく聴くもの
・その壱
モーツァルト全般
今、最も聴く頻度が高いのはモーツァルト
車で移動中に聴く最良の音楽と思ふてゐます。いらいらしたり、かっとしたりしがちな運転中に気持ちを落ち着かせてくれ、適度に快活な気分にもさせてくれます。
モーツァルトの音楽はどこを切っても同じ模様が出てくる金太郎飴みたいですが、その点も運転中のBGMに適してゐると感じます。頻繁に乗り降りを繰り返すようなシチュエーションで、イグニッションオンとともに楽曲の途中から音楽が立ち上がっても、違和感を感じずに自然に音楽に身を任せられます。これがベートーベンなんかぢゃとさうはいきませぬ。また最初から聴きたうなって仕舞ひます。同じような理由でバロック音楽も運転中のBGMには良いのでは、と思ふてゐます
愛車(ゴン)のHDDナビには、交響曲、協奏曲、オペラ、室内楽などひっくるめて、モーツァルトの曲がたくさん放りこんであります。
・その弐
ジャズ全般
これも運転中のBGM専用
ジャズ名曲集みたいなCDシリーズを3種類も持ってゐて(笑)、全部HDDナビに放り込んであります(曲目の重複もかなりある)。
これはどちらかと言ふと一日のドライブが終わった帰り道、たそがれ時や夜道のドライブで、ちょとアンニュイな気分に浸りながら車を走らせたいときに流します。
車では、昼はモーツァルト、夜はジャズと言ふ感じかな。
(2)思ひ入れのあるもの
その壱
『原子心母』ピンク・フロイド(写真上)
わらはの音楽的原点とも言へるのがピンク・フロイドです。その中でも特にアルバム『原子心母』“Atom Heart Mother”は思ひ入れがあります。
ピンク・フロイドでももっと良いアルバムはたくさんあります。
例えば
『狂気』“The Darkside of The Moon”
『あなたがここにいてくれたら』“Wish You Were Here”
『ウォール』“Wall”
など(特に『ウォール』は最高傑作でせう)
されどピンク・フロイドがそれらしい発展を遂げるうえで金字塔となったのがこのアルバム『原子心母』ぢゃと思ひます。
コンセプト、アルバムヂャケットとも、当時、新鮮かつ衝撃的でした。
人工心臓で生命を維持している女性が出産に成功した、といふニュースに衝撃を受けたメンバーが、そのことに触発されてこのアルバムを企画したのぢゃと聞いてゐます。CDの前半半分(LPレコードのA面)を占める長いタイトル曲には、生命誕生・再生の源たる母性と、戦いと破壊の源たる父性の対比が描かれてゐます。アルバムヂャケットも母性の象徴として乳牛の乳房を表現したものでした。
今聴けば音響加工に稚拙と感じられる部分もありますが、アルバム全体でひとつのコンセプトを伝へるといふ、その後のブログレッシブロックの大きな流れに先鞭を付けたアルバムとして、その偉大さは他を凌ぐものがあると思ひます。
その弐
『風街ろまん』はっぴいえんど(写真下)
日本語でロックを歌うことがサマにならなかった時代に、それをカッコよくやって見せてくれた最初のバンドでせう。今聴いても全然古くありませぬ。
後にイエロー・マジック・オーケストラで活躍した細野晴臣
後に『木綿のハンカチーフ』など数々の歌謡曲の作詞で活躍した松本隆
後にムーンライダースでも活躍した鈴木茂
後に良く知られるコマーシャルソングを多数作った大瀧詠一
メンバー4人がいずれもそうそうたる面々でした。
細野晴臣は後に、当時のことを振り返って「日本語でできることはあの頃に全てやった。今、日本語で歌われている音楽で、かつて自分たちがやらなかったことは何ひとつない」と言ふ意味のことを言ふてゐます。自信の程が窺えます。
他に尺八や筝曲、雅楽も好きなので紹介したいのですが、またの機会にしたいと思います。
Posted at 2005/12/21 21:18:37 | |
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