
最近
近所の買ひ物くらいしか
車(ゴン)に乗ってゐないので
ご公務が一段落した今日
東京の西の果て奥多摩に向けて出陣
青梅街道沿ひに山梨県に攻め入り
大菩薩嶺を征服した後
塩山を滅ぼすルートで遠征を試みた
( ハイヨー )
されど
昨夜山間部で降った雪が道路に残り
わらはの侵攻を阻んだ
ノーマルタイヤのゴンでは走行不能に陥り
大菩薩嶺の手前で引き返さざるを得なかった
(わらはの人気を恐れた山梨県の陰謀ぢゃ)
それは良いのぢゃが(イヤ! オボエテオレ)
途中で印象に残る集落を見た
(写真、上と下は別角度から撮ったもの)
なぜ惹き付けられるのか
理由を考えてみたら2つあった
(1) 1アングルで集落全体が捉へられて仕舞ふ小ささ
(24戸ほどらしい)
他の集落とは山で隔てられてゐて、ここだけ孤立してゐる
街道に通じる道路は写真の手前側にあるが
向こうの集落と結ぶものはたぶん橋一本
(いずれの写真でも左のほうに写ってゐる小さな橋がそれ)
(2) 深いV字谷の底で
しかも集落のほとんどが山の北斜面に位置しているため
おそらく一日中、陽が当たらない
(撮影した2時~2時半くらいでこれ)
この人たちの先祖は
どのやうな事情でここに住むに至ったのか
山梨県に多いといふ甲斐源氏か
平家の落人か
武田の家臣の末裔か
ちなみに
集落の右上のほうにお寺らしきものが写ってゐますが
平安時代初期の創建ぢゃさうです
それを聞くだに
何か仔細ありげな集落に思へます
ここでの暮らしは
平地での暮らしとは
どんなにいろいろな点で違ふことぢゃらう
と
ここを通るたびに考へて仕舞ひます
追記:お寺の記述で間違ひがありましたので訂正しました
平安時代初期なのは薬師如来ぢゃなくて
お寺の創建でした
Posted at 2005/12/05 22:39:42 | |
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