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LOOP-Xのブログ一覧

2014年12月13日 イイね!

懐かしい写真

懐かしい写真先日、実家まで行った際に、古いアルバムを持ち帰ってきました。

タイトルの写真、私の学生時代のものです。

1983年、今から30年近く昔ですね。

場所は、軽井沢の宿舎の駐車場です。

よーく見ると左のほうに、カメラとデッキの分離型ビデオカメラを抱えている青年もいます。

私もどこかに写っています。

集合写真の後ろには、何やらクルマが並んでいます。





こんなクルマ達です。





手前は、AE86トレノ。イニシャルDですねー。

その後ろが、ランサーターボの初代。当時最強の135馬力。

さらに奥には、ランサーが並びます。1600GSRばかり。



ボンネットを開けたり、フォグカバー弄ったり。。

(↑どこかでも見覚えのある光景)



そう、当時学生ラリーをやっていました。

大学の自動車部は、ジムカーナが主体で、体育系だったので入らず。

代わりにラリー中心のサークルである「交通工学研究会」に入会して、こんな活動を。

春から秋に、全5−6戦、各大学がそれぞれ主催幹事を持ち回りで担当し、コース設定や所轄警察や役所への届出をするというものでした。

トロフィーは毎回使い回しだったかな。







練習でひと休みしている風景です。

妙義山近くの数km程度の林道の頂上と麓を、アマチュア無線器で連絡をとりながら走行します。

先頭はランサーターボの初代。当時最強の135馬力。

続くレビンは、当時115馬力だったか。

ランサー1600GSRは、三国ソレックスツインで110馬力を絞り出します。

いずれも、ロールゲージかロールバーを組み付け、ラリーコンピュータを搭載。

フロントグリルに、大きいフォグランプを付けるのが定石。

オイルパンを割らないように、アンダーガードは自作していました。







当時できたばかりの碓井バイパスだと思います。

こうして走るのも楽しかったなあ。




あれから30年かあ。

WRCで活躍のPOLO-R を見るたびに、思い出します。





シャランでは、真似できないなあ。。


Posted at 2014/12/14 00:36:35 | コメント(5) | トラックバック(0) | クルマの思い出 | 日記
2012年11月11日 イイね!

遠い記憶〜シャランに至るまで(そしてシャランへ)

前のブログの続きです。

Vクラスの売却は、二転三転ありましたが、大手に引き取っていただくことになりました。
ただし、次のクルマを決めるまでほぼ1ヶ月だけの時間しか無い。
いよいよ次のクルマ探し。

ますは、Vクラスで世話になったセールスの紹介で、メルセデス系中古ディーラーへ行き、相場感を聞く。
現物では、予算内でこれといって欲しいクルマが無く。第一候補だったAUDI A4アバントは、ちょっと予算オーバー。年式にこだわらなければ、タマはあるのですがね。

そんな中、中古車検索をしている中で、みんカラを知った。ユーザーの声は生々しい。
ちょっと気になっていた、シャランのページを見ると、manabookさんをはじめ、多くの方がお子様が多い家族で、「静かでハンドリングがしっかりしている」と、日本車のミニバンを打ち砕く多くのコメント。
新車の価格をみると、とても手が出ない。ならば、1年落ちの中古なら・・ありました。各社の試乗車が。
一番近いディーラーの担当者を、先のメルセデス系中古車ディーラーに問い合わせたところ、紹介していただき、即日ディーラーへ。ありました!試乗車。「どうぞ乗ってください」ということで近所を一回り。静かさ、1.4とは思えないエンジン、はじめてのアイドリングストップ。いずれも満足できる内容。翌週に家族でくる事を伝えると、「おさえておきますよ」という回答(すでに売る気)。翌週、家族を連れて再び試乗し、カミさんが「ところでいくらなの?」という質問に、「新車価格XXX万円が、オプションもついて1年落ちでXX万円なので、たいへんお得ですよ。エコカー減税よりもずっとお得ですから。。(←本当か?)」というセールスの推しで、一発サイン。晴れて納車となった次第。

我が家にやってきたのは、MY2011 CLシルバーのシャランでした。

子供達も、リアの窓が開いたり、スライドドアがボタン操作だけだったりと満足な様子。
1週間後には、みんからの皆さんのオフ会にも参加させていただき、LED化を開始。
その後も、皆さんの情報を手がかりに、買い物をしたり、自作してみたり、取り付けたり。
今に至っております。
今後とも、よろしくお願いいたします。

おしまい

※画像もないのに、最後まで読んでいただいた方に感謝します。

Posted at 2012/11/11 00:35:19 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマの思い出 | クルマ
2012年11月11日 イイね!

遠い記憶〜シャランに至るまで(社会人になって)

前回のブログの続きです。

そして晴れて社会人へ。この頃は売り手市場で、大学ゼミの教授に奨められた会社へ就職。ようやく自分のお金を手にするようになる。お金を貯めて自分のクルマを買うことを夢見て、当時テレビで放映されていた「カーグラフィッック」の影響もあり、月刊CGを毎月読みあさる。数年後、意を決してBMWのディーラーへ行く。やはりBMWへの憧れが強かった。セールスと相談し3シリーズの2L6気筒=320iを注文。当時の価格で乗り出しで450万円くらい。清水の舞台から飛び降りるとはこのこと。1ヶ月後、メタリックブルーの2ドア320iが届く。ディーラーへ引き取りに行くと、何故か「左ハンドル」。ディーラーの手違いで、右ハンドルを注文したはずが、
そこに用意されていたのは「左ハンドル」。断ろうかと考えたが、セールスの「右と左では、ブレーキサーボの位置と、アクセルペダルの位置が、微妙に違うよ。左がオリジナルだから絶対にイイ!」と言われ、納得して受領のサイン。この左ハンドルがその後の経験にもなった。

ちょうど、この頃、友人が勤める会社が、休閑地に「洗車センター」を開業。土日は朝から晩まで手伝いに行っていた。ここで、クルマのことをいろいろ勉強する。クルマ業界の人たちとも仲良くなり、たくさん教えてもらう。320iは、ショック交換+サスペンションカットでローダウン仕様に。

時代は、バブル期に突入。社会人になっても、ドライブや夜遊び、何でもアリ。スキーにもよく行ったなあ。初代のBMWは、エアコンの不調から5年近くで乗り換えることに。少しコンパクトなものでもよいと思い、BMW初のハッチバック318tiを購入。色はイケイケの赤。時代が背中を推したようなもの。このクルマからナビを付けるようになった。その318tiが飽きたころ、セダン回帰の機運になり、まともな3シリーズセダンを探していたら、セールスから「限定のM-Sportsまもなく出ますよ。限定のメタリックブルー、いかがですか?」と悪魔の誘い。現車をみることなく、はんこを押して、ついに320i4ドアセダンM-Sportsに。時代はバブルが弾けて消費文化が減退した頃。

その後、結婚し子供が生まれ、手狭だった家から引っ越すにあたり、荷物が積める+チャイルドシートが無理なく乗せられるクルマとして、日本車のワンボックスを探すことに。でも、、、乗りたいクルマが無い。再びドイツ車を探していたら、ほとんど観た事も無いメルセデスVクラスに出会う。当時、中古でもそれなりの値段だったが、早速中古車センターへ行ってみると、既に売約済み。セールスに希望の年式・距離・色を伝え、探してもらうことに。ほぼ1週間後「希望のクルマ出ました」という連絡で、家族を連れて観に行って、大きさにビックリ。でも、これくらいなら、何とかなるだろうと考え、はんこを押す。Vは幼少の子供連れにとっては安心感があり、とても満足いくクルマでした。ゆっくり走るようになったのもこのクルマのおかげ。
初めてのメルセデス、初めてのワンボックス。おかげでVクラスには多くの想い出がつまっている。

時代がエコ、エコ、となる中、車検代・ガソリン代がかかるVクラスを手放すことにする。
次のクルマは未だ決まっていない。まず、Vクラスの売却をすすめることにした。

次へ続く
Posted at 2012/11/11 00:14:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマの思い出 | クルマ
2012年11月10日 イイね!

遠い記憶〜シャランに至るまで(大学生のころ)

前のブログの続きになります。

そして大学受験。自分で公言するのも恥ずかしいが、この頃はマジメに勉強していた。力の無さもあり、一浪することに。当時のメジャーな予備校に通うことになる。場所は代々木。(そう、あの予備校です)
予備校の講義が終わると、渋谷や原宿まで出かけてみる。地元ではみることのない外車が溢れるように走っている。とてもショッキングだった。

大学合格したときに、両親が褒美をくれるというので、「免許をとりたい」と懇願。大学に入学して直ぐに、教習所へ通い、夏休みまでに免許を取得。このときも、我が家にはクルマが無かった。兄も免許はとったものの、マイカーがないので、父親が会社の知り合いから、兄弟用にとクルマを譲ってもらってきた。三菱のギャラン2ドアHT(GTOとかではない)。色はモスグリーン。ドアやボンネットの先は錆だらけ。おそらく下取りでも値がつかないボロだったと思う。当時の兄弟には2ドアというだけで、スポーツカーのようなイメージだった。

兄は電気系が得意で、すぐさま、カーカセットデッキを取付け、私も少しだけお金を出して、パイオニアのリアスピーカー「TX***」とか、品番が光るやつを取り付けた。自分たちだけのクルマというだけで、ともかく嬉しかった。

クルマは維持費がかかる。兄弟で折半。これがルール。
兄も私もアルバイトに励む。兄は楽器屋で、私は日本へ進出したばかりのセブンイレブンでアルバイト。当時のセブンイレブンは、その名のとおり朝7時から夜11時までの営業。私は早番をメインとし、朝6時に店に入って、8時まで働く。実働で3時間。土日は可能な限りバイド浸け。時給は450円くらい。月に4−5万円程度の稼ぎ。
何とかガソリン代と普段の小遣い程度はまかなえた。理工系の学科だったので単位を落とすことができないため、バイトと学業を両立しながら、4年間過ごすことになる。

ここで、父親がいきなり「新車を買う」と言い出した。けれど父親はどんなクルマに乗ったらいいのかわからない。仕事ではランドクルーザーとか、ガテン系のクルマは時々乗っていたようだ。私と兄は相談して、2ドアHTを譲らず、トヨタコロナGT-Tという、2ドアHTツインカム+ターボのAT車を父親にお願いして、我が家としての初めて新車がくる。5年サイクルで買い替えをする父親は、その5年後、2代目ソアラ、2.0ツインカム+ターボを購入する。その後は、アリスト3.0Vまでいって、クレスタ、アヴェンシス、ヴェロッサ、とトヨタ車を乗り継いで、今も70過ぎで運転している。(今はフィット)。私より先に社会人になった兄は、初代MR-2を予約購入。その後、フェアレディに。どちらも、時々借りて乗っていたが、あまり感動はなかった。

私は地元のゴルフ練習場でアルバイトをはじめ、そこの社長が、黒塗りセダンの他に、三菱ジープ、赤いBMW(アルピナルック)に乗っていて、これに良く乗せてもらった。特にBMWは、官能的なドライビングフィールに、衝撃を受けることに。日本車に慣れていた私は、ここからドイツ車への憧れが強くなる。

続きは次号へ
Posted at 2012/11/10 23:28:07 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマの思い出 | クルマ
2012年11月10日 イイね!

遠い記憶〜シャランに至るまで(幼少期〜高校生まで)

今日のブログは、弄りやお出かけではなく、Coo_papaさんのBBS取付けブログを読んでいて、遠い記憶が蘇ったので、記してみたいと思う。

幼少期、我が家にはクルマはありませんでした。父も免許を取得したのが遅く、私が高校生になった頃だった。我が家(実家)のクルマ遍歴は後述するとして、小学生の頃のクルマの想い出はミニカー(トミカ)に始まる。両親と出かけて何か買ってもらえるときは、決まってミニカーだった。3つ年上の兄も同じくミニカーを買ってもらっていたので、兄弟で同じクルマにならないよう、よく喧嘩したものだ。私は、専らスポーツカー派。兄弟で100台以上はあったと思う。

その頃、親戚のいとこが就職し我が家に挨拶にきたときに、あるクルマに乗ってきた。水色のVWビートルである、いとこの兄さんにせがんで、後席にのせて近所を一回りしてもらった。これがバスやタクシー以外の「クルマに乗った」最初の記憶である。とてもうれしかった。でもとてもうるさかった記憶がある。今にして思えば、リアエンジンのクルマの後席なんて、振動や音に包まれていたのだと思う。クルマへの「憧れ」が覚醒した頃だ。

中学生になると、仲間と自主的に「ラジコン部」みたいなものを初めて、2ストロークエンジン搭載の、ラジコン飛行機を、お金を持ち寄って制作した。本物の「エンジン」、そして「焼けた排気の臭い」に触れた。エンジン(プロペラ)の回し方にコツがあり、何度も練習した。飛行機は何機か製作したが、いずれも墜落してはスクラップになっていった。

高校生になると、自転車通学となり、親に買ってもらった(安い)自転車に飽き足りず、軽いサイクリング車が欲しくなる。最終的にはハンドメイドの自転車屋(渋谷の専門店)で10万円近い、軽量なスポーツ車を作ってもらった。フレーム選びから、ギア、ハンドル、ブレーキ、チェーン選びまで完全なオリジナル。

自転車の軍資金は、当然小遣いでは届かないため、高校生アルバイトを始める。高校の近くの某自動車メーカーの整備工場でのアルバイト。納車前整備が主な仕事。学校帰りにモータープールへ立寄り、工場から届いたクルマのボディに塗られている白いガードコート(クルマの屋根やボンネットに白い塗装のように塗られているもの)を、丁寧に洗って落とす作業と、当時は贅沢だったアルミホイールへの入れ替えを、毎日行なっていた。土曜日曜は休み。前者の作業は洗いだけだが、後者は最初に技術を教わった。クルマのリフトアップ。インパクトレンチで、ホイールナット外し、丁寧にタイヤを外す。そして、鉄ホイールに装着されているタイヤを、工具を使って外し、ピカピカのアルミホイールに組み替える。最後にバランサーチェックの機械に取り付けて、バランサーをリムにはめる。最後にトルクレンチで指定トルクで締め付けまで、1本15分くらいでクルマ1台仕上げるのに、約1時間。最後にリフトの上でエンジンを回し、タイヤを回転させ、音と目視で取り付けに異常がないか確認。フロントは左右それぞれに目一杯すえ切りして、タイヤハウス、ブレーキとの干渉がないことを確認。ここまで一人で行なって、現場の責任者に、確認してもらっておしまい。「上に持っていっておいて」と言われると、4または5速MTを動かして、敷地内の少し小高い丘まで、運転を任されると嬉しくて「はい、やっておきます」。ここで初めて自分で運転をする。あくまでも整備工場の敷地内です。たまに高級車が入るとATミッションとなるが、つまらなかった。月に1万円くらいの稼ぎ。1年近くでその整備工場のアルバイトを辞めて、待望の自転車を買うことになる。

次編へ続く

Posted at 2012/11/10 22:48:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマの思い出 | クルマ

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何シテル?   02/10 16:46
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