2012年11月10日
前のブログの続きになります。
そして大学受験。自分で公言するのも恥ずかしいが、この頃はマジメに勉強していた。力の無さもあり、一浪することに。当時のメジャーな予備校に通うことになる。場所は代々木。(そう、あの予備校です)
予備校の講義が終わると、渋谷や原宿まで出かけてみる。地元ではみることのない外車が溢れるように走っている。とてもショッキングだった。
大学合格したときに、両親が褒美をくれるというので、「免許をとりたい」と懇願。大学に入学して直ぐに、教習所へ通い、夏休みまでに免許を取得。このときも、我が家にはクルマが無かった。兄も免許はとったものの、マイカーがないので、父親が会社の知り合いから、兄弟用にとクルマを譲ってもらってきた。三菱のギャラン2ドアHT(GTOとかではない)。色はモスグリーン。ドアやボンネットの先は錆だらけ。おそらく下取りでも値がつかないボロだったと思う。当時の兄弟には2ドアというだけで、スポーツカーのようなイメージだった。
兄は電気系が得意で、すぐさま、カーカセットデッキを取付け、私も少しだけお金を出して、パイオニアのリアスピーカー「TX***」とか、品番が光るやつを取り付けた。自分たちだけのクルマというだけで、ともかく嬉しかった。
クルマは維持費がかかる。兄弟で折半。これがルール。
兄も私もアルバイトに励む。兄は楽器屋で、私は日本へ進出したばかりのセブンイレブンでアルバイト。当時のセブンイレブンは、その名のとおり朝7時から夜11時までの営業。私は早番をメインとし、朝6時に店に入って、8時まで働く。実働で3時間。土日は可能な限りバイド浸け。時給は450円くらい。月に4−5万円程度の稼ぎ。
何とかガソリン代と普段の小遣い程度はまかなえた。理工系の学科だったので単位を落とすことができないため、バイトと学業を両立しながら、4年間過ごすことになる。
ここで、父親がいきなり「新車を買う」と言い出した。けれど父親はどんなクルマに乗ったらいいのかわからない。仕事ではランドクルーザーとか、ガテン系のクルマは時々乗っていたようだ。私と兄は相談して、2ドアHTを譲らず、トヨタコロナGT-Tという、2ドアHTツインカム+ターボのAT車を父親にお願いして、我が家としての初めて新車がくる。5年サイクルで買い替えをする父親は、その5年後、2代目ソアラ、2.0ツインカム+ターボを購入する。その後は、アリスト3.0Vまでいって、クレスタ、アヴェンシス、ヴェロッサ、とトヨタ車を乗り継いで、今も70過ぎで運転している。(今はフィット)。私より先に社会人になった兄は、初代MR-2を予約購入。その後、フェアレディに。どちらも、時々借りて乗っていたが、あまり感動はなかった。
私は地元のゴルフ練習場でアルバイトをはじめ、そこの社長が、黒塗りセダンの他に、三菱ジープ、赤いBMW(アルピナルック)に乗っていて、これに良く乗せてもらった。特にBMWは、官能的なドライビングフィールに、衝撃を受けることに。日本車に慣れていた私は、ここからドイツ車への憧れが強くなる。
続きは次号へ
Posted at 2012/11/10 23:28:07 | |
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クルマの思い出 | クルマ
2012年11月10日
今日のブログは、弄りやお出かけではなく、Coo_papaさんのBBS取付けブログを読んでいて、遠い記憶が蘇ったので、記してみたいと思う。
幼少期、我が家にはクルマはありませんでした。父も免許を取得したのが遅く、私が高校生になった頃だった。我が家(実家)のクルマ遍歴は後述するとして、小学生の頃のクルマの想い出はミニカー(トミカ)に始まる。両親と出かけて何か買ってもらえるときは、決まってミニカーだった。3つ年上の兄も同じくミニカーを買ってもらっていたので、兄弟で同じクルマにならないよう、よく喧嘩したものだ。私は、専らスポーツカー派。兄弟で100台以上はあったと思う。
その頃、親戚のいとこが就職し我が家に挨拶にきたときに、あるクルマに乗ってきた。水色のVWビートルである、いとこの兄さんにせがんで、後席にのせて近所を一回りしてもらった。これがバスやタクシー以外の「クルマに乗った」最初の記憶である。とてもうれしかった。でもとてもうるさかった記憶がある。今にして思えば、リアエンジンのクルマの後席なんて、振動や音に包まれていたのだと思う。クルマへの「憧れ」が覚醒した頃だ。
中学生になると、仲間と自主的に「ラジコン部」みたいなものを初めて、2ストロークエンジン搭載の、ラジコン飛行機を、お金を持ち寄って制作した。本物の「エンジン」、そして「焼けた排気の臭い」に触れた。エンジン(プロペラ)の回し方にコツがあり、何度も練習した。飛行機は何機か製作したが、いずれも墜落してはスクラップになっていった。
高校生になると、自転車通学となり、親に買ってもらった(安い)自転車に飽き足りず、軽いサイクリング車が欲しくなる。最終的にはハンドメイドの自転車屋(渋谷の専門店)で10万円近い、軽量なスポーツ車を作ってもらった。フレーム選びから、ギア、ハンドル、ブレーキ、チェーン選びまで完全なオリジナル。
自転車の軍資金は、当然小遣いでは届かないため、高校生アルバイトを始める。高校の近くの某自動車メーカーの整備工場でのアルバイト。納車前整備が主な仕事。学校帰りにモータープールへ立寄り、工場から届いたクルマのボディに塗られている白いガードコート(クルマの屋根やボンネットに白い塗装のように塗られているもの)を、丁寧に洗って落とす作業と、当時は贅沢だったアルミホイールへの入れ替えを、毎日行なっていた。土曜日曜は休み。前者の作業は洗いだけだが、後者は最初に技術を教わった。クルマのリフトアップ。インパクトレンチで、ホイールナット外し、丁寧にタイヤを外す。そして、鉄ホイールに装着されているタイヤを、工具を使って外し、ピカピカのアルミホイールに組み替える。最後にバランサーチェックの機械に取り付けて、バランサーをリムにはめる。最後にトルクレンチで指定トルクで締め付けまで、1本15分くらいでクルマ1台仕上げるのに、約1時間。最後にリフトの上でエンジンを回し、タイヤを回転させ、音と目視で取り付けに異常がないか確認。フロントは左右それぞれに目一杯すえ切りして、タイヤハウス、ブレーキとの干渉がないことを確認。ここまで一人で行なって、現場の責任者に、確認してもらっておしまい。「上に持っていっておいて」と言われると、4または5速MTを動かして、敷地内の少し小高い丘まで、運転を任されると嬉しくて「はい、やっておきます」。ここで初めて自分で運転をする。あくまでも整備工場の敷地内です。たまに高級車が入るとATミッションとなるが、つまらなかった。月に1万円くらいの稼ぎ。1年近くでその整備工場のアルバイトを辞めて、待望の自転車を買うことになる。
次編へ続く
Posted at 2012/11/10 22:48:34 | |
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