
懐かしくも有り、少し寂しくも有り。
あれから10年経ったのか。
あの頃ボクはクルマを乗り換えた。
それまでは大きく上等なセダン。
シャコタンで豪華で、友人たちが羨むような。
それまではそれでよかった。
その頃の自分には人を幸せにする力がないとわかったあの日、その事に気付くまでに時間がかかりすぎたあの日、それまでとはまったく異なった喪失感に苛まれたあの頃、それまでの時間と決別するつもりでクルマを買い換えた。
もっと自分らしく、自分のしたい事をしよう、そんな漠然とした気持ちで乗り換えたのは北米産の白く大きな四輪駆動車だった。頑強で豪放なイメージのそのクルマは、内面は穴が開いたように空虚な自分を守ってくれる装甲車。
乗り込むだけで自由な気持ちになれる・・・もちろん生活や仕事に不自由はなかったが、不思議と何処までも行けるような気持ちになっていた。
現実から逃避したかっただけなのかも知れないが。
自分らしく、何かそれまでと違う事を始めるために様々なことに興味を持ったが、行き着いたのは『海』だった。
とは言え、南海のディープブルーではなく友人に紹介された兵庫県北部の漁村のある小さな田舎町。
カーナビゲーションは明確に目的位置を指示して、辿り着いているはずなのに、そこには建物はなかった。焼け付くような日差しの下で、駐車場の整理係をしている真っ黒に日焼けした青年に尋ねると海のほうを指差した。
岬の先端まで歩くと、真っ青な海が目前に広がった。
小さな岬と岬に挟まれて、そこから広がる真っ青な海。
一目でその美しい光景に魅入られたが、ただただ綺麗な海が眼前に広がるだけで、それでも目的とする建物はなかった。
岬の先端は切り立っており、岬の先端まで行って見下ろすと、ようやく古めかしいコンクリート製の建物が目に入った。
おそらく80年代後半に建築されたのであろうそれは、全体を白くペイントしているのだが、随所に塩害を受けた錆をまとっていた。
おおよそリゾートホテルだか、コテージとは言えないその建物の、古いレゲエミュージックが心地よい音量で流れる中庭で、ボクは新しい仲間に出会った。
やはり真っ黒に日焼けした彼らは、屈託のない笑顔でボクを迎え入れてくれた。
そしてボクはそこで『海に潜る』という行為を覚えた。
それからは毎週のように海に通った。
ライセンスを取得するために道具を揃え、専門誌や情報誌に目を通し、仕事以外の生活のほぼ全てが『海』と直結するような時間を過ごしていた。
仕事を終えて、また仕事が長引いても、道中でマエが見えなくなるほどの集中豪雨に遭っても、2時間以上を費やして大型トラックばかりが走る真夜中の国道を法定速度とはかけ離れたスピードでひたすら北上する週末。
仲間たちはいつもボクが訪れるときには布団部屋を用意してくれていたので、裏口から入って朝を待っていた。
不思議と疲れもなく、むしろ快適な朝を迎える。
その頃からは『大好きないつもの海』になっていた。
スクーバダイビングをスキルアップしたい気持ちもあったが、何よりもそこに仲間がいて何気ない談笑が自分を活き活きとしてくれていることに気付く週末。
彼らもまた、本来は都市部に住んでいたのだが、いろいろなきっかけでこの海の傍らに住むことになったらしい。でもいずれは何かやりたい事を探し当てて、ここではない何処かに行くのだと言う。
日頃慌しく仕事をしていた自分にとって、そんな彼らが羨ましくもあり、別の見方をすればとてもいい加減にも見えたものだった。でも何故か憎めない、自由な気風が溢れている彼らがとても気に入っていた。
また、ボクは海に潜る事で体から余分なものが体外へ溶け出していくかのような感覚に嵌っていた。
南海のように色とりどりのサカナやサンゴがあるわけじゃない。それでもボクにとってはこの海を好きになるのには充分な環境だった。
いつの間にか仲間たちとはプライベートの話、将来のビジョンまで話すようになっていた。当時独身で恋愛には興味を持たなかったボクには、このオフタイムが最も大事で最も癒される時間になっていたのかもしれない。時々はスタッフのようにダイビングスクールにやってくる人たちのお世話をしたり、いっぱしのインストラクターのように手ほどきを手伝ったり。
何日かの休みが取れたときには仲間たちと南国に出かけた。久米島で、またボクらは語り、飲む事で親交を深めていた。理想的に美しい南国の海はいつもの海と比べてはるかに深い藍色で穏やかだったのを今も鮮明に覚えている。
こんな夏を数ヵ年すごしていた。
それからスノーボーディング、サーフィンといろいろな体験をした。、ウェイクボードがしたいばかりに、ライセンスがないにも拘わらずマリンジェットを運転したのもこの頃。
すべてのきっかけは『いつもの海』であり、『新しい仲間』から知り得たものだった。
こうしてボクは知らず知らずのうちに満たされていた。
その頃、『海』と出会うまでのボクを知る友人はこう言っていた。
『何かが吹っ切れたようだ。』何なのかはわからないが、確実に自分の中の何かが変化したのだろう。ボクにもわからない間に・・・ボクが望んでいたように。
そのうちボクは結婚、子供たちが産まれて海から少し遠ざかっていた。
夏が来るたびに『いつもの海』を思うものの、繁忙と家族とのコミュニケーションを図るためにいつの間にか『海』から離れていた。
それでも当初はインターネットを通じて仲間たちとは連絡を取っていた。でも文字ではあの時のテンションを伝えることは出来ない。ヤキモキしながらもそのうちに・・・そう思っていたら幾度かの夏を越えて仲間たちとの連絡も少なくなっていた。
家族にとっての利便を考え、クルマもファミリーカーになった。
ある日、仕事の合間にインターネットサーフィンをして、あの建物と『いつもの海』を閲覧していた。
何か雰囲気が違う。
去年の今頃は元気そうな彼らの姿があって、いつもそこには自分の居場所が残されている気がしていた。
でも今年の夏は違った。
ホームページもあの建物もおそらく何も変わらなく、いつものように掲示されているものの、大事なことに気がつく。屈託のない笑顔やバカな表情で掲載されていた彼らの姿が何処にもなくなっている。
そこに彼らがいない。
ボクは仲間にメールを送った。
既に彼らはそこにはいなかった。
あの建物と営業の権利を知人に貸して、あの頃語っていたそれぞれのビジョンのために違うステージで働いている。
ボクも子供たちに囲まれ、あの頃とはまた違ったスタイルで生きている。仲間たちも違うステージで頑張っている。
仲間たちはいつでもあえる距離にいるらしい。
場所は変わっても、いつでもまた彼らと楽しめるのだろう。
『いつもの海』ではないけれど。
次に『いつもの海』に行ったとき、ボクはどうするのだろう?
『いつもの海』は今もそこにあって、変わらずに綺麗だろうし、あの建物はスクーバダイビングを楽しむ人たちで賑わっていることだろう。
ボクにとっては『いつもの海』じゃなくなっているのかもしれないが。
少し寂しいけど、そこで得ることの出来た『自分』は今もここにいて、これからもまた新しい何かや、新しい仲間を見つけだして行くのかも知れない。
また彼らと『いつもの海』で会えればいいなと想像をしながら、あの海と当時の自分の煌きを思い出している。