敦賀方面に向かいます。
7%勾配の長い下り坂を降り、
ここから県道140号(敦賀柳ケ瀬線)を東へ。
このあたりは複線だったのかどうか、道幅はあり急カーブはありません。以前は北陸本線だったのですからそれもそのはず。
新しい刀根トンネルのスリーショット。左右の上方にあるのは、北陸自動車道の刀根トンネルです。
急カーブの先にある日本最古のトンネル小刀根トンネルを横目で見てしばらく走ると。
すでに廃線になってから久しいとはいえ、沿線はどことなく列車の車窓からの風景のように感じます。
トンネルが見えました。信号は赤で残り時間もしばらくありそうなので。
車外に出て トンネルとのツーショット。
幸い対向車は来ませんでしたが。撮り終えて後ろを見ると。後続の先頭車の方相当車間距離を空けて待っていてくれました。
待つことおよそ5分あまり。
ようやく念願のトンネルへ。
(5分25秒あたりで信号が青になります。音声は消してあります。)
かつて蒸気機関車の時代には苦難の勾配だったようですが、それほどの上り勾配は感じませんでしたが。後続車が離れる一方でした。
北陸自動車道を走っているとそれ程長いトンネルに感じないし、昼間なら無灯のまま走るドライバーもいそうな僅か1352mのトンネルですが。
ここはさすがに無灯では走るクルマはいないでしょう。最近ヘッドライトが暗くなっているので、安全も兼ねてハイビーム・キープで。それでもこんなに中は真っ暗です。窓は両方全開なので、トンネルからはヒンヤリと涼しい風がきます。
SLの時代なら窓を閉めていなければススで真っ黒になったんだろうなぁと思っているうちに福井県から再び滋賀県へ。
待っていてくれた対向車線の車列に思わずお礼の手上げをして。
トンネルを抜けて北国街道(国道365号)との変則交差点から分岐。
ここからはIMAバッテリー泣かせの連続する登坂路。
椿坂トンネルが開通(平成24年11月)しバイパスになってからしか通ったことがないのでありがたさと残念さがわからないままに通過。
トンネルを出てからは下り坂なのに気づいて、ここが峠だったことに気づきました。
中河内集落を越えると、目的地まではひたすら登坂路。
再びIMAバッテリーを新調したら是非走ってみたくなる道なので、
NORMALモードに切り替えて大人しく走っていました。
もちろんこんな時は譲ります。こういう手上げはうれしいものです。お互いにマナーよく行きたいものです。
冬ならば豪雪地帯であることを想わせる景色を見ているうちに。
この日3つ目の“ようこそ福井県”の青い看板に到着です。
北国街道(国道365号)にあり、ここは南越前町です。
琵琶湖の湖北からも遥か遠く、敦賀港よりもずっと北です。今まで行った青い看板とは異なるのは、すでに若狭を通り越して越前に入っていることを感じさせます。
日差しはまだ残暑ではあるものの、
一足早く秋真っ盛りの景色でした。
すぐ目の前からはじまる栃の木峠からのルートも考えましたが、
もう一度通ってみたくてUターンして。
来た道を戻りました。
エネルギーとスピードをセーブして走っても、
あっという間に柳ケ瀬トンネルへ。
「やった~信号赤だから撮りだめ~」
後続車がいないからと、モタモタしていたら、
あっという間に信号が気が付けば赤信号に。再び単線気分で待ちました。
上に見える北陸自動車道のトンネルと見比べると古さと狭さを感じますが。
明治生まれのトンネルが今でも使えていることにその偉大さを感じます。
後続車が来たので待っているうちに外に出て。
石碑を意味もわからず撮っていました。
『萬世永頼』(ばんせいながくたのむ)と読み、
「この鉄道が世のためにながくたよりにする」という意味であるそうです。
明治の政治家伊藤博文公の石額です。
今からさかのぼること132年前の明治17年につくられたこの隧道の持つ意味の大きさを少しは実感できた気がします。
東海道線 新橋~神戸間の全通が5年後の明治22年であるということですから。「凄いな~」の一言です。(語彙力不足でスミマセン)
(参考Webサイト)
先人の偉業を伝える 【福井県建設技術協会Webより】 http://www.zenkenfukui.jp/inheritance/yanagase.php
長浜鉄道スクエア【長浜・米原・奥琵琶湖を楽しむ観光情報サイトより】 http://kitabiwako.jp/tetsudou/watch.html
柳ケ瀬線 【Wikipedia】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E3%83%B6%E7%80%AC%E7%B7%9A
♪♪♪♪♪
大型台風10号によって大きな被害が出なければよいのですが。
まだ真夏日だった8月20日のことです。リリーフ『スーパーサブ』でやってきたアクティでのドライブ。前回の予告どおり『峠』に行ってきました。
賀茂川上流の「雲ケ畑街道」を通り「持越峠」から杉坂口に出て周山街道を通って京北町中心部に出て国道477号で「花背峠」から「鞍馬街道」を通り・・・と頭の中でカーナビ代わりに適当にルートを思い浮かべていました。京都市郊外の山あいを一筆書きの時計回りで戻ってくるルート。軽く2~3時間で戻るつもりでした。
出発してまもなく、上賀茂神社の手前あたりで懐かしい高級車に遭遇しました。ジャガーの中の高級ブランド『ディムラー・ダブルシックス』。
2ケタナンバーでした。ニョキっと出ている二本出しマフラーが秘めたるパワーをさりげなく主張しています。そしてアナログ的な曲線美にウットリ 。今の時代に見るからか新鮮に感じます。右ハンドル(本国仕様)であるのも価値がありますね。
といきなり脱線したのと同じように、予定のルートもしばらく行ったところで離脱していました。
「しまったぁやっぱり『ライトマップル』もってくりゃよかった。」
これは降りてきて撮ったものですが。雲ケ畑街道の出合橋という場所で。まっすぐ行くところをまちがえて曲がっていました。
なかなかUターンできそうなところがないからとどんどんと登りましたが。
広い場所でこの看板が。三叉路の先は『徒歩』。
もう一方はさらに登っていく人たちがいますが勾配はさらにありそう。
こっちもダメかなあ。
ということで登るのは断念。そして清流を思う存分肌で感じてから。
元のルートに戻りました。
そして源流近くの賀茂川を渡れば持越峠です。
途中での画像はありませんが。峠の分岐からは登っていて激しい登りのヘアピンがありますがそれを過ぎればスイスイと走れる見晴らしがよく下り坂の気持ちのいい道。逆方向からしか通ったことがなかったので、新鮮な気持ちでした。
京見峠~京都市内から京北への近道~との分岐を通って、
周山街道との分岐の手前にある看板のところで停車。
昨年の晩秋に京見峠を越えて来たときにも撮っていました。
荷物を積んでいたらムリでしょうけれど。これはなかなか快適に涼めます。ツクツクボウシの鳴き声が心地よかったです。
周山街道(国道162号線~西の鯖街道~)に出て北上しました。
すっかり便利に走りやすくなった京北トンネル。以前ならここに難所(=腕試しの道)栗尾峠 があったのですが今はトンネル。いつものように拍子抜けしたので峠があったころは立ち寄っていた【道の駅ウッディ京北】を通り過ぎ。
もうこの時は周山街道をさらに北へと予定変更。(ホントは曲がり忘れた)
上弓削の登りワインディングも難なくこなし二つしかないシフトを選択してキックダウンの前に加速。
車間距離をとっていても、前方の乗用車がことごとくブレーキランプを点けている中、後続の中型二輪車と楽しくにわかツーリングを楽しみ、深見トンネルを越えたあとの下りワインディングもスイスイと。
そして【道の駅美山ふれあい広場】で一旦休憩しました。
好天もあってかライダーさんは多かったです。
ここの名物は『かかし』。何度来ても「村人が立っている」ように見えます。
ヒトの目も欺くのですから、野生動物(鹿や猪)には効果があるでしょうね。
ちょうど正午を知らせるサイレンが鳴っている頃でしたが。
ここに来ると食べずにはいられない美山牛乳さんの『ソフトクリーム』をゲット。
せっかくなので、由良川沿いに出て。
さわやかな風を受けながら。
その後周山街道をすすみ『九鬼ヶ坂』も『盛郷あたりのワインディング』もタイヤを鳴らすこともなくスイスイと。
そして、京都府と福井県を分けている堀越トンネルの手前でワンショット。
そのまま走るつもりでしたが。見たことのある
『青く大きな看板』を見つけて。クルマを停めました。
この大きな看板に見覚えがありました。昨年の晩秋に東海北陸道経由で越前の城下町大野市から九頭竜川の川下りドライブで訪れた時でした。
そのときの場所は国道158号線の岐阜県と福井県の県境付近でした。
今回は国道162号線の京都府と福井県の県境 です。
ただ、この場所は同じようなスペースはあるものの閉鎖されていたので。路肩に寄せてツーショット。
この看板を見つけたから、ホントはこの先にある【道の駅名田庄】で食事をして来た道を戻ろうかとも考えていましたが。『青く大きな看板』を求めて。
若狭湾まで行くことにしました。
Partt3へつづく
♪♪♪♪♪
いつものように夜チョイ乗りをしていた18日の夜。
マルチインフォメーションに【黄色いウォーニング】
が点灯しているのに気づきました。
「あれー!?まだ燃料あるハズだけど。」
走行中に点くのは(通常時なら)これぐらいだからしばらく気にしなかったのですが。ちらっと見ると点滅しているように見えたので。
画面をもう一度見ると。
VSA点検。この3つが交互に点灯していました。
「こりゃ~尋常ではないな~」と悟り。翌朝に【愛車の主治医】に連絡しました。
というわけで、愛車は次の日に入庫して5日間じっくりと診てもらい、先日帰還しました。
「もう一度点いたらVSAユニット交換が必要になるかも・・・」とモノイリの予感でしたが。今のところ再点灯はしていません。
(しばらくして落ち着いたら詳細を整備手帳でUPしようと考えております)
案の定お盆明けは工場はクルマも予約も満杯でした。
「(乗用車の)代車は出払っているけど・・・軽の商用車ならありますよ~」と。
このお店にお世話になるまでは。HONDAの現行の軽商用車が【リヤ・ミッドシップ】だとは知りませんでした。でも、それを知ってからは、いつかは乗ってみたいと思っていたので。
まさに私にとっては「 渡りに船 」なので飛びついた次第です。
そんなわけでしばらくはこのクルマが【臨時のスーパー・サブ】としてやってきました。走行距離は既に11万キロを超えていますが。むしろ親近感が湧くから大歓迎。
【平成17年式の ACTY VAN トルコンの三速オートマ】です。三気筒4VALVE SOHC横置きMR 最大出力46ps/5500rpm 最大トルク 6.1kg・m./5000rpm
M/T難民の私にとっては悲しい限りですが、代車はレンタカーと同じでA/Tじゃなければ借りてもらえないそうです~
でも「これってビートの(系列の)エンジン積んでいるんですよね」な~んてウキウキ気分でお店を出ました。
「VANのオートマなのにタコメーターがついているぞー」それを見つけたワタシがチョイノリだけで済ますことなどないわけで。
気が付けば通り慣れた近くのワインディングロード。
発進時にエンジン回転を上げてなんてことは最近なかったから。愛車と同じ感覚でアクセルを踏んでいる限りは商用車然としていて。【まるでカメさん】のような走りでした。
ただ。FITⅢのCMに ならって「もう一度強くアクセルを踏もう」と少し多めに踏んでやると。息を吹き返したように元気モリモリで走ってくれて、ちゃんと踏ん張ってくれました。
1トン近くあるメタボディと190cmの車高からは想像できない安定した走り
「このクルマ重心メチャクチャ低いなぁ」
「これが12インチタイヤの走り?なんか素直に曲がっているしちゃんと踏ん張っている感じだなぁ」
「明日は峠に行こう」
テレビもCDもついていないしラジオはAMだけでしたが。背の高いクルマなので雑音がなくクリヤーに聞こえるから。
ちょっと遠くに足を伸ばしてきました。
Part2へつづく
♪♪♪♪♪
御前崎灯台の上から見えた絶景のシーサイドを走り損ねていたからです。
御前崎灯台からココ(浜岡原子力館)へのカーナビ推奨コースは真ん中。そのまま実走していました。だから海は坂の上から見えただけ。
Google Mapだって一番通りたいところを外しています。
国道150号線を再び東へ。
波が高いと海水をかぶりそうです。
御前崎灯台を右手に見えるあたりからのシーサイド・ドライブ。
(灯台が小さく見えます。上から見る景色とギャップを感じます)
もう少し車高があればなぁ。と思いながらもなかなかの絶景です。
すっかり景色は真夏のシーサイド。「どこかでクルマを停めて海辺を見に行こうか」なんて計画をしていましたが。頓挫しました。
みなさん海水浴スタイルなのに。完全に浮いてしまいますからね。
せめてアロハシャツとゴム草履と短パンと麦わら帽子くらいは持ってこないと。というわけで、海の絶景鑑賞は車内からだけにして。再び国道150号線に戻って。西へ走りました。
外気温は30℃を超えているけれど窓全開のノーエアコンで。
見えなくなっても海が近く潮風が吹いているから、汗をかいていても湿度は30%台をキープ。
天竜川を越える有料道路を通って。国道1号線(浜松バイパス)と合流。懐かしい景色が。
20世紀末に4年間名古屋に住んでいたあの頃、出張とかドライブとかでこの道はよく通っていましたから。「そういえばどこかにオービスあったね。」と思い出したので、流れに逆らわずに速すぎず遅すぎず。
そろそろ1時間半が経過して。どこかで休憩したいな。と道の駅を周辺検索。そこでHITしたのが【道の駅潮見坂】でした。
気分はシーサイドハイウェイ。
「いや~懐かしいなぁここのバイパス~!」と叫んでいました。
(調べてみると。前愛車NOTEで6年前の4月上旬に夕方頃通っていました。)
シーサイドドライブって基本は横目でチラチラ。
海岸線のワインディングでは正面に見えても景色を見ているよりも走る方を楽しんでいる(ホントは見る余裕がない)から。
せいぜい帰ってからドライブレコーダーで見る位。いっそもう一台買って、進行方向に垂直に設置してみようかと思ったことは数しれず経験していますが。
そんなことをしなくても。目の前に遠州灘の絶景がずっと拝めます。
普段は左車線を前方車について走ることが多いのですが。ついつい絶景優先で右車線に出たくなります。少しでも絶景を独り占めにしたい衝動にかられますね~。(ドライブレコーダーが撮った映像からなので。センタースピーカーが幻影のように写っているのが玉にキズですが。)
もうこれでもかというくらい潮風を浴びながら。
浜岡からおよそ2時間位で【道の駅 潮見坂】へ到着です。
ちょうどお昼どきだからか。ほぼ満車状態。
「歩いて海岸へ出られます」ってホンマかいな。
と思いながら歩いてバイパスをくぐると
左をみても右をみても
ぜーんぶ太平洋です。しかも御前崎灯台にいたときよりも快晴です。
「これだぁ。見たかったシーン」。
とりあえず停まっているクルマで水平線とのツーショット。
夏が終わったら。また来てみたいです。この場所へ。
水平線とのツーショットは背の低いクルマはお家芸ですから。
炎天下を無防備で5分位歩きましたが。駐車場へ戻る足取りは軽かったです。
車内は暑いのを通り越して 痛いくらいヒリヒリ。
帰りは浜名バイパスを東に戻って浜松西インターから東名高速道で帰ろうと思っていましたが。
ノロノロ運転で渋滞しているのはご勘弁なので。
この時はカーナビの仰せのとおりに走っていました。地図は新しいに限りますね。豊橋東バイパス(国道23号)をちょうどいい速度でスイスイと。
そして音羽蒲郡インターから東名高速道(旧道)から帰路につきました。
草津ジャンクション(新旧の名神高速が交差するあたり)からはお決まりのレジャーシーズン夕方の大渋滞にハマってしまいましたが。
日が暮れる前には無事に戻ってきました。
オチがないので少し【海の日】の由来とハッピーマンデーについて。
【山の日】もゆくゆくはハッピーマンデーが適用されるようですが。
今のところは8月11日。
それなのに【海の日】は7月の第3月曜日になってしまっていますが。
これを元に戻して「海の日は7月20日に戻して欲しいなぁ」と思っております。
灯台と海の日は縁があることを知ったからです。
Wikipedia ( 海の日 )より抜粋
*****
海の記念日
祝日化される前は海の記念日という記念日であった。海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941年(昭和16年)に逓信大臣・村田省蔵の提唱により制定された。
明治丸はその後、東京商船学校(現東京海洋大学)の練習船として使用され、現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。
海の日は、1995年(平成7年)に制定され、1996年(平成8年)から施行された日本の国民の祝日の一つである。制定当初は7月20日だった。2003年(平成15年)の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、7月の第3月曜日となった。 ただし、初年度の2003年は偶然7月21日になったため、振替休日と重なった。
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灯台巡視の汽船【明治丸】の歴史については
詳しくはこちら→( 重要文化財明治丸~東京海洋大学Web Siteより~)
この齢にして。かつて『小笠原諸島の領有権争い』があったことを。初めて知りました。
そして今年の 海の日に行った時のショット
「なんで今日は拝観無料なんだろう」とか「どうして万国旗が飾られているの?」と思って撮っていましたが。見比べてわかりました。
今度また海の日が近づいたら。どこかの「のぼれる灯台」に行きたいと思っています。
♪♪♪♪♪
意外と知らないクルマの安全ガイド~三菱自動車のサイトから~ カテゴリ:外部サイト 【クルマお役立ちサイト】 2016/05/05 21:50:38 |
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美しい言葉と精神、「凡事徹底」♪ カテゴリ:日本 2013/08/24 07:13:16 |
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今更ですが、ガソリンは「危険物」です。 カテゴリ:その他(カテゴリ未設定) 2013/08/18 22:34:08 |
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