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五線譜のブログ一覧

2016年09月24日 イイね!

青い”ようこそ福井県”看板をハシゴしてきました~【後編】

青い”ようこそ福井県”看板をハシゴしてきました~【後編】明治17年(1884年)生まれの鉄道遺産を引き継いだ道路トンネルに行ってきました。
ある日、先日のドライブの時にゲットしていたものの使わなかった『ライトマップル福井県道路地図』を眺めていました。

電子地図が主流になった時代にもアナログの地図を好んで買ってしまうのはいくつか理由がありますが。



『走りやすい道』でも、わずかな遠回りになるために決してカーナビが道案内してくれない道を見つけて行ってみるのが楽しみでもあるというのも一つの理由です。



前から気になっていた道。北陸自動車道の刀根パーキングエリア近辺に並行している道です。いつ見ても空いているようでした

「いつかは行ってみたい」とは思うものの通ったことはなく。

ライトマップルを見るとその道は『黄色い色の道~一般府県道140号~』と書いてありました。ただ、ハードの地図では道幅まではわかりません。

そんな時に役に立つのがGoogleMapのストリートビュー。国道だったらよっぽどの酷道でも山あいを越える道は大抵みることができるし、一般府県道レベルの道でも見ることができます。この道の西の方から辿って見ていました。跨道橋をくぐる度に何度も上を走る北陸自動車道に行ってくれましたが(電子地図もカーナビも動きは同じですね)、なんとかトンネルの西側にたどり着きました。「これならなんとか走れそうだね」。

「でもトンネルの中って離合できないなぁ。もし対向車が来たらどうするんだろう。」と思ってもう一度ライトマップルを見てみました。

「交互通行信号あり。旧北陸線廃線跡」

もう一度ストリートビューを見に行って確かめて。行けると確信しました。

その後「この古びた暗いトンネル」が「柳ケ瀬トンネル(柳ケ瀬隧道)」という名称であることから色々とネットサーフィンしてみて。

先人の偉業を今に伝える近代化産業遺産の一つであることを知りました。

「130年余りの時を越えて。SL(蒸気機関車)気分で是非通ってみたい。」

燃料は石炭と石油違いはあるけれど内燃機関は走行中にはいつも動いているという点では共通点だし



愛車は500系の新幹線のような(居住性を犠牲にした)スタイルですが、



かろうじてボディ色は当時と同じですからね。いつもならドライブの前には洗車していることが多いのですが、ちょっとホコリで汚れていた方がSLっぽくていいかな~と思ってそのままでした。

今回のドライブの目的は、青い看板とのツーショットをハシゴする のもありましたが。この明治生まれのトンネルを是非通って見たかったからというのが大きな理由でした。

ここからは【前編】からのつづきです。



塩津街道(国道8号)の青い大きな看板をあとにして



敦賀方面に向かいます。



7%勾配の長い下り坂を降り、






ここから県道140号(敦賀柳ケ瀬線)を東へ。

このあたりは複線だったのかどうか、道幅はあり急カーブはありません。以前は北陸本線だったのですからそれもそのはず。



新しい刀根トンネルのスリーショット。左右の上方にあるのは、北陸自動車道の刀根トンネルです。



急カーブの先にある日本最古のトンネル小刀根トンネルを横目で見てしばらく走ると。



すでに廃線になってから久しいとはいえ、沿線はどことなく列車の車窓からの風景のように感じます。



トンネルが見えました。信号は赤で残り時間もしばらくありそうなので。



車外に出て トンネルとのツーショット。



幸い対向車は来ませんでしたが。撮り終えて後ろを見ると。後続の先頭車の方相当車間距離を空けて待っていてくれました。



待つことおよそ5分あまり。



ようやく念願のトンネルへ。



(5分25秒あたりで信号が青になります。音声は消してあります。)

かつて蒸気機関車の時代には苦難の勾配だったようですが、それほどの上り勾配は感じませんでしたが。後続車が離れる一方でした。

北陸自動車道を走っているとそれ程長いトンネルに感じないし、昼間なら無灯のまま走るドライバーもいそうな僅か1352mのトンネルですが。

ここはさすがに無灯では走るクルマはいないでしょう。最近ヘッドライトが暗くなっているので、安全も兼ねてハイビーム・キープで。それでもこんなに中は真っ暗です。窓は両方全開なので、トンネルからはヒンヤリと涼しい風がきます。



SLの時代なら窓を閉めていなければススで真っ黒になったんだろうなぁと思っているうちに福井県から再び滋賀県へ。



待っていてくれた対向車線の車列に思わずお礼の手上げをして。



トンネルを抜けて北国街道(国道365号)との変則交差点から分岐。
ここからはIMAバッテリー泣かせの連続する登坂路。



椿坂トンネルが開通(平成24年11月)しバイパスになってからしか通ったことがないのでありがたさと残念さがわからないままに通過。
トンネルを出てからは下り坂なのに気づいて、ここが峠だったことに気づきました。



中河内集落を越えると、目的地まではひたすら登坂路。



再びIMAバッテリーを新調したら是非走ってみたくなる道なので、
NORMALモードに切り替えて大人しく走っていました。

もちろんこんな時は譲ります。こういう手上げはうれしいものです。お互いにマナーよく行きたいものです。



冬ならば豪雪地帯であることを想わせる景色を見ているうちに。



この日3つ目の“ようこそ福井県”の青い看板に到着です。

北国街道(国道365号)にあり、ここは南越前町です。



琵琶湖の湖北からも遥か遠く、敦賀港よりもずっと北です。今まで行った青い看板とは異なるのは、すでに若狭を通り越して越前に入っていることを感じさせます。





日差しはまだ残暑ではあるものの、



一足早く秋真っ盛りの景色でした。



すぐ目の前からはじまる栃の木峠からのルートも考えましたが、



もう一度通ってみたくてUターンして。



来た道を戻りました。



エネルギーとスピードをセーブして走っても、



あっという間に柳ケ瀬トンネルへ。



「やった~信号赤だから撮りだめ~」
後続車がいないからと、モタモタしていたら、



あっという間に信号が気が付けば赤信号に。再び単線気分で待ちました。
上に見える北陸自動車道のトンネルと見比べると古さと狭さを感じますが。

明治生まれのトンネルが今でも使えていることにその偉大さを感じます。



後続車が来たので待っているうちに外に出て。



石碑を意味もわからず撮っていました。

『萬世永頼』(ばんせいながくたのむ)と読み、
「この鉄道が世のためにながくたよりにする」という意味であるそうです。
明治の政治家伊藤博文公の石額です。

今からさかのぼること132年前の明治17年につくられたこの隧道の持つ意味の大きさを少しは実感できた気がします。

東海道線 新橋~神戸間の全通が5年後の明治22年であるということですから。「凄いな~」の一言です。(語彙力不足でスミマセン)


およそ5分以上は待機して。再び1352mを体験してきました。

平成生まれのトンネルとは違った感慨深い真っ暗なトンネルに魅了されてしまいました。
すっかりドライブコースの定番になりそうです。

ようこそ福井県の青い看板も。できれば制覇したいところです。
 

(参考Webサイト)



 先人の偉業を伝える 【福井県建設技術協会Webより】 http://www.zenkenfukui.jp/inheritance/yanagase.php 

 「鉄道の鹿島」の礎築く/廃線跡に見る開拓者魂 【鹿島建設㈱Webより】    http://www.kajima.co.jp/news/digest/feb_2004/kajimakiko/kiko.htm

長浜鉄道スクエア【長浜・米原・奥琵琶湖を楽しむ観光情報サイトより】    http://kitabiwako.jp/tetsudou/watch.html

 柳ケ瀬線  【Wikipedia       https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E3%83%B6%E7%80%AC%E7%B7%9A 

♪♪♪♪♪

Posted at 2016/09/24 19:03:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2016年09月14日 イイね!

青い”ようこそ福井県”看板をハシゴしてきました~【前編】

青い”ようこそ福井県”看板をハシゴしてきました~【前編】8月の終わりに【”リリーフ・スーパーサブ”のアクティ号】で峠めぐりをした時に見つけた青い大きな看板
国道162号(周山街道)も国道161号(西近江路)も。
数えられない位に何度も通っているのに気がついたのはこの前が初めてでした。

「それだけ運転に集中していて前を見ていた」
というのが自分なりの言い訳ですが、

「視野が狭いのを歳のせいだけにしちゃいかんよ」という理由もあったのかもしれませんね。
もしかしたら他の国道の県境にもあったのかもしれない。いやきっとあるだろう。

ある日のことです。何の気なしに以前書いた自分のブログを見ていて。3年前の夏に自分で書いていた(書いたことを すっかり忘れていました~これは歳のせいかも~)のを発掘しました。


画像は3年前のブログからです。

「なんだしまった。あの日にもう1箇所(合計3箇所)行けていたなぁ。」
ここもよく通っている若狭街道(国道303号)の滋賀県との県境です。

「ようこそ福井県」は進行方向の右側にあったのです。「これは行くっきゃないね」

日曜日に出発したのは11時前でした。



『花園橋』交差から高野川(鴨川のもうひとつの支流)上流沿いの街道を。



まもなく京都市から大津市に入る手前で。久しぶりに遭遇しました。



この日は千客万来とはいかなかったようです。
この場所は一番スピードが出るところ(出したくなくても)なので、慣れないドライバーさんは要注意場所です。私が知る限り約30年前から土日祝日を中心にやっています。
ちなみにマシンの位置と停車命令位置はいつも同じ です。



個人的意見ですが、かつては追越禁止(黄色線)だったのを数年前から両方から追越可能な白線に変えてしまったことが違反を助長しているように思います。
幸いここでの重大事故はきいたことはありませんが、ここの下り坂(南行)で65km/h位で走る(厳密にはこれでも速度違反)前方車を対向車線に出て追越して疾走するウマシカを傍観したことがあります。

例えば登坂車線をつくるとか、下り坂に“速度落とせ”や“ギア落とせ”等々を道路に表示するとか、減速を促す路面標示をつけるとか
赤色回転灯を路肩につけるとか色々もっと先にやることがあるだろう
と常々思っています。

京都府内ではあまり見かけませんが、近隣の他府県に行けばあたりまえのようにあります。



すっかり定番の若狭街道~鯖街道~(国道367号&国道303号)のルート。私にとっては、ここはカーナビも地図もいりません。



かつては難所だったという峠がトンネルによって通りやすくなる。
水坂トンネル(1985年開通)もその一つです。



トンネルを越えると。そこは強烈な急勾配の下り坂です。

ワインディングロードでは制限速度以下でずっとブレーキランプを点けて走っていたア〇トのおぢさんがここではアクセル全開で走っています。
(ちなみにMyCarはトンネルを越えてから燃費計がほぼ全開です)



まずは車窓から”ようこそ福井県をゲット。後続車がいなかったのでありったけの重力だけで、それでも スピードキープで走れていました。



【道の駅わかさ熊川宿】がほぼ満車(予想通り)なのを横目に通り過ぎ。



熊川宿西口駐車場で一服。落ち着かないので、対面の広い駐車場に移動します。



しばらく洗車していないので、



今ひとつ輝きがありませんね。



今度来るときはここに停めていいツーショットが撮れそうです。
プロフィールショットにしたいぐらいだけれど。
残念ながら先代デ〇オ君。エアコン全開で休憩中です。



小さい面積ながらもキチンと手入れされている稲穂です。綺麗に実っています。



ここでUターンしてさっきと反対側の登坂路を走ります。



先ほどとは景色が真逆です。



まず一つ目の青い“ようこそ福井県”のツーショットを撮るべく停車です。



湖西と若狭を結ぶ快適ロードのため、往来が多く。なかなかいいツーショットが撮れませんでした。



そして次なる目標は塩津街道(国道8号)の県境へ。



若狭街道との分かれ目『保坂』交差を



今度は琵琶湖に向かって東へ。



昨年地図更新したカーナビにもない道がたくさんできていて。
かつては40キロ制限だったところ(旧道)が走りやすい新道に代わる。



生産財を輸送する大型トラックドライバーさんにとっても歓迎されますね。でも、走りやすいからといって、スピードを余計に出すのはいただけませんね。
(前のトラックさん飛ばし過ぎです。明らかに赤キップ位出ています。もしかして無免許?)



『弘川』交差から湖北バイパス(国道161号)へ。



自衛隊車両の救急車の右折待ち、この位慎重だったらまず事故になることはないでしょうね。(京都市内だったら3台位先に入られています)



北の空は晴れています。



右に行けば、桜の名所 ”海津大崎”です。



琵琶湖の絶景をバックの登坂路です。(後ろにもDrivemanが欲しいです)



そして『野口』交差で西近江路とは別れて木之本方面へ。



国道303号線に入ってここからは燃費計振り切りの7%勾配の下り坂
これから山間路を登ろうかと言う前のつかの間の直滑降。
メーター(もちろん燃費計)を振り切る絶好のチャンスですから。
ほぼIMAバッテリーはこれで満充電になりました。



『永原』交差を左折してからは



県道286号線(大浦沓掛線)を国道8号線の交差までのショートカット。
ここからは初めて通る道でした。3桁県道とは思えない位に整備されていて走りやすい道です。



今の気候ならば涼しくて快適です。



交差点の名前もなく、止まれの標識がある急勾配の下り坂でした。



国道8号線は北陸・越後へと続く一桁国道なので、滋賀県内はもちろん福井県内でもよく利用していますし、何回か石川県内も日帰りで通ったことはありましたが。意外にもこのあたりを通るのは今回が初めてでした。

県境は山間部のてっぺんあたりにあることが多く、ここもそうでした。
ここからはもちろんNORMALモードで。



まもなく本日二つ目の“ようこそ福井県”へ。



2時ちょうどの時報とともに到着しました。



京都市内の天気予報は一日曇りだったのですが、メチャクチャ晴れていました。



お蕎麦屋さんの駐車場かもしれないから・・・と思ったのですが、空腹感がなかったので。



プチ<>になるべく自販機で缶コーヒを買って。一服しました。



かつては敦賀市といえば、海のイメージがありましたが。ここも敦賀市内です。山あいもいいですね。



その後、この日3つ目の目標に向かって愛車を走らせました。
この日は滋賀県と福井県を行ったり来たりしていました。

【後編】へ続く
(たぶん敬老の日あたりです。明治時代の遺産が主役なので)


♪♪♪♪♪

Posted at 2016/09/14 21:45:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年09月09日 イイね!

生まれ変わって帰ってきたドライブレコーダー

生まれ変わって帰ってきたドライブレコーダー「人間は(保身のためなら)平気で嘘をつく」
「ドライブレコーダーは公平で嘘をつかない」


 もしもの時の転ばぬ先の杖としてのニーズを痛感したこともあって、初めて“衝撃感知録画型の一号機”を使いはじめたのは10年前からでした。
まだ当時は業務用が主体で、個人の自家用車ドライバーが取付けているなんて稀でした。
 その後“常時録画できる二号機”に移行して。
 3年前の年末からつい最近まで稼働しつづけてくれた“三号機のドライブレコーダー(Driveman1080)”が本日の主役です。

先週末のことです。



およそ3年半以上の長きにわたって“セーフティドライブの守護神”として活躍してくれたMyドライブレコーダーが突然作動しなくなりました。



「もしかして接触不良?」



「バッテリーの電圧が足りないのかな?」と色々やってみたものの成果なし。

「もうそろそろ寿命だったのかもしれないね」。
前愛車で約6,000km(5ヶ月)現愛車で約98,000km(40ヶ月)の間、およそ地球2周半余りのドライブ情報を記録しつづけてくれたセーフティドライブの守護神。

「しょうがないなぁ買い換えようか」。
きちんと作動しているときはそれが日常なのですが、録画できていないとわかっていると不安になる性分で。まるで自賠責保険だけで走っているような気分なので、その日のナイトドライブは中止



 早速次の日には地元のオレンジ色看板のお店へ。色々なタイプのものが陳列されていて、『実物大(実物重)のハリボテ』が化粧箱のあたりにそれぞれ転がっていました。あらかじめネットサーフィンしてある程度の小型化は予想していましたが、それ以上に小さかった



「ホントにこれでちゃんと映してくれるのかなぁ。」となんとなくモノ足りなさを感じて、パンフレットだけをもらって帰ってきました。
「帯に短しタスキに長し」なモノばかりのように思えて、なかなか欲しいものが決まりませんでした。

「なんとか直して使おうか。でも、ここの会社って自社工場じゃないし・・・」



と思いつつも、およそ3年半ぶりに発売元のWeb Siteに行ってみました。



「昔はもっとシンプルなページだったけれど。随分見やすくなったね。」
そして思わぬ嬉しいメッセージに目が行きました。



「廃番製品の場合は後継モデルへの本体有償交換になります。」
というくだりを見つけて。

「これなら里帰りさせることができて、新品も手に入るから一挙両得だね。」
ということで、めでたく”四号機選びはここで終了。
そして昨日無事に帰還(到着)しました。



一回り小さくなって手のひらサイズで軽量にはなっていますが。小さな巨人です。

話は飛びますが。「巨人軍この日ぐらいは負けてやりゃいいのにネ。虎球団の監督って元々どこの選手だったっけ?少しは意地見せて恩返ししてやれよ。やっぱり・・・(以下略)」と脱線はこのくらいにして。じゃなかった脱輪でしたね。(意味不明)

少しだけでも割安で手に入ったというメリットもありますが。それよりも何だか生まれ変わって戻ってきてくれたように思えて。ブログアップとなった次第です。

今度のモデルは後継機なので、基本性能は受け継ぎながら進化しているようだし。早速仮付けして”一走り”してみましたが。なかなかいいですねぇ。小さくなった分カメラの位置がわずかながらも上方に設置できるので、より肉眼の目線に近くなっただけでもイイ気分です。

遅まきながらではありますが、現愛車ではUPしていなかった(忘れていた)パーツレビューをUPしましたので、よろしかったらそちらもご覧くだされば幸いです。
 Driveman1080 For 五線譜’s CR-Z 

♪♪♪♪♪
Posted at 2016/09/09 02:34:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | カー・グッズ | 日記
2016年09月03日 イイね!

20世紀生まれの実用ミッドシップカー

20世紀生まれの実用ミッドシップカー外観はお世辞にもカッコイイとは言えないし、最新型のハイト系ワゴンと並べると古さを感じますが、古き良きHONDA車の片鱗を残す名車だと思います。
富士重工業製サンバー無きあとは、「軽商用車なんてどれも似たり寄ったりだろう」という私の先入観はことごとく覆されました。
「もう一度強くアクセルを踏もう」このフレーズの元祖とも言えるような楽しいクルマでした。


もし乗る機会があったら、また乗ってみたい一台です。

*****
Posted at 2016/09/02 21:38:33 | コメント(2) | 試乗記 | クルマレビュー
2016年09月02日 イイね!

『12ビート』サウンドをききながら快適ドライブ【Part3若狭湾から西近江路と鯖街道】

『12ビート』サウンドをききながら快適ドライブ【Part3若狭湾から西近江路と鯖街道】「ここまで来たら海(若狭湾)が見たいなぁ。」
「どうせ行くなら景観がよくてクルマとのツーショットが撮れるところがいい。」
「帰りにもう一つ『青い大きな看板』にもお目にかかりたい。」
そのルートを何箇所か思い浮かべました。
ただ、不覚にも地図を忘れて来ているから。
「やっぱりあそこかな。」以前通った時にチェックしていたところを目指しました。
周山街道と丹後街道の交差『湯岡橋東詰』までは国道162号線を行き。
丹後街道(国道27号線)を東へと敦賀方面に向かいました。



舞鶴若狭道の案内表示には目もくれず。



三方湖を少し横目でみながら、海はまだか~と走り。少し小腹が空いたのでコンビニを見つけて停まりました。



念願の福井県版のライトマップルをおにぎりと一緒にゲットし。



少しゆっくりしたいので(ちょっと疲れたか)場所を移動してちょっと遅めの昼食を車内で。


『黒とろろ昆布おむすび』なかなかの美味でした。スライドシートを開けると後ろから潮風が入ってきて心地よいです。



そしてさらに敦賀方面へ。ここの分岐で一旦国道から離れて。



「目的地に近づきました」



と頭の中のナビが言っています。



あいにくあまり天気はよくなかったですが。





地元のライオンズクラブさんが建てたというこのモニュメントと、



ちょっと早すぎる誰もいない海と景観とは不釣り合いな美浜原電へと続く送電線をバックに。

ちょっと脱線しますが。
若狭地方では行き先表示で『原子力発電所』のことを『原電』と表示しています。
高浜も大飯も美浜も敦賀も(でも原電銀座とは言わないみたいですが)。
元の呼び名は『原発』ではなかったようですね。
個人的には『原電』の方が呼び名としては響きがいい気がします。



そしてきょうはまちがえないように国道に戻って。
長い旗護山トンネルと金山バイパスの長~い誘惑の下り坂を燃費計振り切りモードで降りて敦賀市街をかすめて敦賀バイパスへ。
これだけの道路整備をしていて全部無料とはありがたいです。(もしかして原電の恩恵なのかも)。



湖東へ行く塩津街道(国道8号線)と湖西に行く西近江路(国道161号線)の分岐『疋田(ひきだ)』交差点。京都への近道は右車線です。
前のクルマは。アルトかと思ったらキャロルでした。



昭和世代の私としてはキャロルと言えばこっちだったのですが。マツダさんが軽自動車の生産から撤退して久しいですが。スバルさんと一緒に帰ってきて欲しいです。商用車はむずかしいでしょうけれど。登録車も大きくなっちゃったんだから。ついでに軽自動車も拡大版でつくって欲しいです。(ミラージュやマーチよりちょっと小さめの)サイズでつくって・・・。書くと終わらないのでまたの機会に。

画像はありませんが、ここからはまた登坂のワインディングロード。またあの頃のキャロルと同じ位エンジンが元気になってきました。みなさん大人しいのがちょっとモノ足りない位。

そして滋賀県との県境が近くなって。「あーっ見えた。」



左の方ばかり注目していたら右にありました。



慌てて横着停めしてしまっています。
ちょっと遠目ですがなんとか『青い大きな看板』とのツーショットが撮れました。



堀越トンネルの福井県側に続いてこの日二つ目の『青い大きな看板』ゲット。



このあとの直滑降のような下り坂を軽―くこなし。



この日は『道の駅マキノ追坂峠』を通り過ぎ。
湖北の絶景からバイパスを通り、『饗庭(あいば)』交差から高島市街方面(旧道)を通って、




朽木方面の看板で山の方へ。そして安曇川沿いを上流へ。



最後の休憩場所はいつものココです。『道の駅くつき新本陣』。
ここまで来れば、ここからは本日の締めにふさわしい『鯖街道』です。

『花折峠』~唯一の難所下り勾配のヘアピンが複数あります~も前方車につかず離れずの走行ペースで。着座位置が高く車高もあるのに安定しています。リヤミッドシップって。(雪道では富士重工製サンバーには負けるらしいですが)。

12インチの82扁平タイヤをビートに入るNEOVAに替えてエンジンとミッションを載せ換えたらもっと楽しいかもしれませんね。



ということで夕方には自宅に戻ってきました。



キリ番を逃しましたが給油して意外な結果にビックリ。
ほとんどが空いた道を走ったとはいえ。タンク容量は37リッターです。
この日に走った267kmと合わせてトータル352km走って4分の1位残っていますから。高回転型のエンジンとはいえ。これだけ楽しんでこの燃費はビックリです。

20世紀生まれの12ビートサウンド十二分に楽しませていただきました。


唯一困っているのは。点検と修理が終わってから自分のクルマに乗り換えて10日経ちますが。エンジン音が物足りなくて。五感が戻らないから。シフトギアを今までより1~2段落として走るようになってしまったことです。

まだまだ書ききれなかったことを
 クルマレビュー~20世紀生まれの実用ミッドシップカー~という題名でアップしています。よろしかったらご覧下さい。

♪♪♪♪♪
Posted at 2016/09/03 00:05:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

プロフィール

#緑色のクルマ 突然ですが、緑色のイメージのクルマっていうと何を思い浮かべますか? 《初代ダイハツ・シャレード》です。1977年発売で車重600kg台。今ならほぼ軽自動車サイズな5人乗りの「5平米カー」。これぞホンモノの「小さなクルマ、大きな未来」。 」
何シテル?   11/29 05:12
五線譜です。よろしくお願いします。 3ペダルM/T車をこよなく愛し、絶滅危惧種のIMAハイブリッドカー CR-Zを愛用しています。 そして日本が大好き...
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意外と知らないクルマの安全ガイド~三菱自動車のサイトから~  
カテゴリ:外部サイト 【クルマお役立ちサイト】
2016/05/05 21:50:38
 
美しい言葉と精神、「凡事徹底」♪ 
カテゴリ:日本
2013/08/24 07:13:16
今更ですが、ガソリンは「危険物」です。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2013/08/18 22:34:08

愛車一覧

ホンダ CR-Z 6段手動変速機付きの電動アシスト自動車 (ホンダ CR-Z)
7万キロ近く走行した羨望の3ペダルマニュアル車のハイブリッドCoupeと出会って3年半。 ...
その他 自転車 3段手動変速機付きの電動アシスト自転車 (その他 自転車)
平成24年(‘12年)の夏の日から使い始めて来月で4周年になります。 “ドライブ先でのサ ...
日産 ノート 白い五線譜壱号よ永遠に (日産 ノート)
今や絶滅危惧種になったNOTE 5速M/T車に3年2ヶ月の間 乗っておりました。 M/ ...
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