2012年11月01日
さて、アダムスミスのお復習
セイの法則の命題整理から、
需給曲線を通し、供給は目的(需要)にそって行われる。
という事が解りました。
私は市場原理主義者ではないのですが、セイの法則の命題整理を通してアダムスミスの見えざる手に言及しています。
見えざる手、その内容はやりましたね、
『誰が』『何を目的とし』『何を』『供給するのか』
これが需給曲線の命題の側面にありますよと。
変に知識人ぶった解釈をしないでさ、解らないなら解らないなりに、当たり前の解釈をしようよ、という物。
その中で、『物価を決める契機』がだれであるか、
パン屋(個人商店)であるか、パン屋組合(商店組合)であるか、企業であるか。
これらをセイの法則の命題に組み込むと、
『誰が』
の部分になりますね。
では、『誰が』にそれぞれの立場を当てはめて、
『何を目的とし』
つまり、需要したい物は何なのであるか。
『個人』が需要したい物(目的)は消費にそった生活水準です。
じゃあ、個人商店の組合の目的も、自ずと生活水準にそった消費に準ずるものとなりますね。
これをアダムスミスは功利主義による、高賃金型の自由放任である、見えざる手、国富論と主張しました。
※この背景には重商主義という国家の需要したい物が、貿易黒字だったという前提の下の国民生活の貧窮でのキリストでの価値観という対立がありました
パン屋のおっさんが、自分の需要したい物のために、供給を通して物価を決めるんだと。
アダムスミスの見えざる手というのは、物価を決める契機を個人において、その上で功利主義による自由放任を主張してるんですよと、そして、私の意見も同じ、貨幣の減価は何処かで必要だけど、成長の余地のなくなった市場から、物価を決める契機を個人に置いて本来の自由放任に戻すか、または政府か企業による価格的な規制が必要だよねとしています。
※この政府による価格の統制とは、世界恐慌によるデフレから回復するときの各国の対応から出した物。
この個人の欲求、つまり目的に対して企業の欲求、つまり目的というのは、特殊な立場になりますよ
と、私は書きましたね。
・企業の需要したい物(目的)は利潤である。
さらには、利益の最大化。
この命題は非常に面白いとも書きました。
さて、この命題に対する批判が、ドラッカーさんで真っ先に浮かびましたので、
この命題は、まず倫理に引っ掛かるとして説明しておきます。
性善説において、企業の役目、つまり目的は必ずしも、利潤にならないという反論が可能でしょう。
彼が言うには
・企業の目的は顧客の創造である。
これらの倫理的な反論に対しての方程式もすでに書きましたね、利潤の確保のための、方法は、企業の需要したい物(目的)となり得る。
つまり、目的と手段は入れ替わります、
企業の目的とは、利潤の確保であり、その方法には様々なものがある、それらの方法は、企業の目的となりえる。
例えば、企業の需要したいものは
安価な労働力である。
この方程式に、顧客の創造が当てはめられるとします。
というか方程式なんだから、何でも出来ますよというもの、つまり説明済みです。
企業の需要したい物(目的)は、顧客の創造である。
ドラッカーはその方法論を説いた訳で、即ち顧客の創造を需要するために供給するのは至上命題で大変ですよと書きました。
顧客の創造も、安価な労働力も、利潤の確保のプロセスに当てはまる事になります。
方法の一つでしかない物は、本来の目的とすりかわらない。
先に反論を押さえておきましょう。
その上で、企業の需要したい物、つまり利潤とは何であるか。
即ちお金とは何であるかですね。
これが面白い命題になります。
では本題。
具体的に企業という集合体は何を、需要したいのか?
デフレ不況の中で、仮に苦しんでるんなら、自分達で考えるべき事でもあるんじゃない?とも思うので当分持ち越しで。(笑)
これで、最近話題にのぼる企業の目的意識の変化が、アダムスミスと繋がりますね。

Posted at 2012/11/01 23:46:08 | |
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2012年11月01日
最近話題の維新の会の橋下さん、経済政策においては、再分配の強化を名目としてますから国民の味方と言えますね、まあ通商視点が欠けてると。
これで橋下さん自体が、歴史的な経済の勉強をしてないのはほぼ確実だと思うんですが、経済の歴史というと、債権(戦争)の歴史と基幹産業の歴史だったりします。
歴史より正確でない理屈を優先したがってどうするのと。
それこそ、債権と基幹産業以外は、アダムスミス型の高賃金国富論の自由放任で放置しときゃ良いと私は思ってまして、
それだとインフレが問題になりますから、江戸期の米相場における貨幣の減価について考えたりしてます。
再分配の強化なんてのは、国家主義にも繋がりまして。
全部政府が悪いってのも、私からすれば国家主義。
正直に言えば、人権が充分に保証されているなら、再分配、つまり税制の問題は、もはや経済上では『小なり小なりの問題しか無い』んですから、マクロの視点からすればどうでも良いんです、前提としてこれを理解出来ない層が多い。
他国の人権保証問題はありますよ、でもこの人らはそれに言及してないじゃんと。
WTOに問題があるんですよと、主張する人が皆無じゃんと。
私はWTOやIMFに問題のあることを知ってますから、対立というか、次元が上でも下でもない異なる所で訳の解らない指摘をしてる事になります。
でも、解りやすくこれだけは言える、これからの国家経済は、通商と内需で語れ。
国内の再分配と税制を重点にした政治家が政治を続けて来て、(まあそれで逆進性が強化されたのは笑えるけれど)
この20年、日本の経済は何か好転しましたかと。
それで新しく出てきたこの人らは改革派ですか?
この人等も、税制と再分配、つまり政府によるお金の統制で経済が間違いなく好転すると勘違いしてる。
これでは何にも変わりませんよ、かつて日本の政治家というのは、『普通に』経済を基幹産業と内需拡大の両輪として通商なんだと見て回す政策をしてきて、実際に経済というのは発展してきました。
まあ、今は政治家にとって目的の解らない時代なのかもしれませんが、普通の発想、つまり原点に立ち戻る事が出来なくなってます。
両輪が無いのにお金だけで、ガガガガと車を進めたい、財政均衡も守りたいと、お金は統制したいと、これ財政政策の乗数効果が今は得られてないって理解出来てるんですかね、加速もしませんよ。
世界恐慌におけるフランスの政策を確認してみて下さい。
為替の問題が大きすぎて、結局国内だけで解決出来て無いでしょう?
共産主義の失敗しか思い出しません。
この当たり前の理解に欠ける理由は、縦割り行政の欠点と同じです。
行政としての責任を、完全に縦割りとして考えるから、目的意識と知識に欠けてしまって本来の目的も忘れてしまう訳で、手段のための縦割りを守るための目的と化してしまう、これは旧態の日本の政治となんら変わらない体質なんですね。
そう、自民の公共事業も、橋下さんの、資産課税の考えも、私からすればやり方の違うだけの同質の物なんです。
というか、需要として見たら何ら変わらない物でしょう?
平時ならともかく、世界中が不調な時に、どう違って見えるんだか解りません。
最近だと日銀の金融緩和が上手くいってないのも、縦割り知識が理由。
維新は今何を叩いてるんだか私は知らないんだけど、その縦割り知識がブレーンのせいだかも解らない、だけど全部、他と全く変わらない旧態依然の考えと体質でしょ。
本人らはどういうつもりなのかは知らないけど、主張でそう書いてあります。
ただ、反発というのは、その反発自体が正しくて、また反発を生みます。
政治というのは消去法ですから、何を誰がどう言おうが、それで確実に支持率としては成長するでしょう。
米大統領選のロムニー氏対オバマさんなんかでも思いましたが、市場原理主義なんて無責任主義には、論理上で勝つことはけっして出来ないんですから。
貧乏な時代というのは反発が目的になります、自民党がなにかを好転させるとも思えないし、日本にとって好転の無い、あやうい時代なのかもしれませんね。
そのなかで旧態がどんぐりの背比べをしてるのを、知識的なボトルネックの上で誰かが支持しても、何も変わらないでしょ。
だから、政治の話なんてのは私からすれば無駄なんです、覚えるつもりにならない。
立場を明確にすれば、私は今回選挙には行きませんよ、非国民ですから(笑)
ただ、今、どうでも良いと解ってる橋下さんに反発するのは、彼の支持母体を自ら育ててるような物に見えるんですよね。
私からすればですよ。
だから、民主主義ってフシギなんですねと思います。
よって、仮に私は何に賭けるかとしたら維新のオッズにかけるとします。
その理由は、単純に確率が高いから。
もっとシンプルに適当に考えましょうよという話ですね。
アメリカのシュンペーターヴィジョンなんてのも、縦割りを抜け出した話です。
何故そのような力学が働いたのか、ちょっと調べて見ましょうかね。
といった話の方が、今の政治のどっちか話より遥かにマシなんじゃないでしょうか。
少なくとも私には支持できる内容を提示してる、政党があるようにはとても思えない。
ナンセンスな話です、世界恐慌でも主な問題になったと解ってる、為替の話はどこに吹っ飛んでるんでしょうね、吹っ飛んでるのは、やつらの頭のネジでしょう?
仮にネジを探してはめ込んだとしても、直るとも思えない。
そんな穴には、ネギでも差し込んどけば良い
熱が下がりますからね。

Posted at 2012/11/01 20:55:06 | |
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2012年10月31日
さて、かの著名な経済学者ジョンメイナードなんとかさんは、貨幣の歴史を、借金の歴史と位置付けました。
交換と言うよりは、信用の歴史である。
それが1930年の貨幣論。
まあどっちでも良い、貨幣では交換も信用も成り立つんだから。
そして、ジョンメイナードなんとかさんは、その借金の歴史で最も大きな契機、つまり、財政支出、大っぴらに言えば戦争の経済への影響の経験則と貨幣論、及び貨幣数量説から
特需景気の理論である、ケインズ経済学を打ち立てます。
私達からすれば、とにかく仮説である理論側だけを学ぶ必要なんか無いから、とにかく根拠の方から残せ、解析はこっちでするから。
と言いたい所ですね。
で、戦争の側面での話でとにかく借金をお復習したいなという所、古くはローマ帝国から、
7年戦争※1756ー
フレンチインディアン戦争※1755ー
のイギリスの多額の戦費による負債、植民地からの取り立てを原因とした
アメリカ独立戦争※1775ー
この対植民地で財政危機を解決する構図は、日本の薩摩藩の財政危機の解消※1827ーにおける、奄美群島での植民地政策※砂糖の専売制の側面で、島民は奴隷として搾取された
や、
財政危機は絡まないけれど、奄美群島型の欧米資本による、アフリカの外貨獲得によって破壊された食料自給率などを連想させます。
※奄美群島では、薩摩藩は島民に食料の自給を禁じ、サトウキビの生産を強要、サトウキビは安値で買い取られ、島民は薩摩藩の統制する物価の下低水準の生活を強いられた。
これはアフリカと変わらないよね。
じゃあ、植民地の無い他のケースではというと、
一国で財政危機を乗り越えるのですから、緊縮財政→増税がいかに経済に厳しい物であるかと解ったり。
かの有名なWW1※1914ー欧州の戦費債権問題
→アメリカの金融恐慌の欧州への波及※世界恐慌1929ー
を通して、兌換紙幣の問題は、こちら側を知ってるから定義出来るんだとか。
では、WW1の物資の供給国側だった日本とアメリカはどうだったのか。
特需景気とは実際に何なのか。
さらに、保護貿易が何故その時、問題になったのか、
そして問題になった保護貿易が何故、今、アフリカでは適用されてないのか
※ジャマイカ楽園の真実などね
そして、アメリカの財政問題やニクソンショック、及びプラザ合意の原因とかね。
そういう基礎的な根拠、つまり歴史を覚える方がね
何を言うにも、とにかく先なんでは無いのかと
知識的なボトルネックは、ここにこそあるんですから。
これが無いと、何を言っても通じないよと。
だから、まあ
こんな本はあって当然なんですがあれ?本当の飯の種だから見当たらないな?
という記事。
凡百の糞理論より、債権の歴史本なんてのの方が今の世の中には役にたちそうですね。

Posted at 2012/10/31 22:14:55 | |
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2012年10月31日
さてセイの法則について。
供給は需要を産み出すとかで、労働価値説のネタ元の話、セイの法則を続けてみます。
細かくやろうって話。
これ正しくは、
供給は需要を産み出す『可能性がある』
退職したおじいちゃん達の老後の無料サービス、ボランティアが既存の地域ビジネスを破壊する事例がありまして、お金の発生しない供給、これはサービスの交換を経済上ではしてませんから、需要を産み出してません。
おじいちゃん達による供給の増大と物価の圧力で需給曲線に影響でますよ、これは反証ですねって簡単な話。
供給は必ずしも需要を産み出さない、重要な命題です。
対して間違いの無い命題、『需要するには、供給しなければならない』
これはやりましたね、破られない、破りようがないプロテクト。
真理と仮定して扱いましょうという確実な命題。
まあセイの法則も複合命題です、需給の命題はいくつかやっておきましょう。
『需要したいだけ(需給曲線から物価と限界効用に従って)供給する(したい)』
この命題から、誰が、何を需要したいのかという話は、面白いかもしれません。
労働力が需要したい物は、消費、つまり生活水準ですね。
アダムスミスはこの労働力が欲する需要に対して、見えざる手を主張してます。
パン屋のおっさんが、功利主義で物価を適正にするよと言ってるんですね。
つまり、パン屋のおじさんが、需要したい分を供給するために、値段を決めますよと言ってます。
この命題の面白いところは、実際に正しい命題は、需給曲線と限界効用側だという事。
供給側を減らす日本の需給調整からも解りますよね、今回は言葉とした方が面白いので、こちらの言葉の命題としてます。
さて、私はこの物価を決める契機部分を重要視して、見えざる手は、契機部分でこそ働くんだよと書いてます。
元締めが世の中の利潤を決めるんだとしてますね。
この命題からは、物価を決める所、つまり元締めが何を需要したいのかが、市場原理において最も重要視される事が解ります。
私はデフレを、競争ベクトルと書きましたが、
見えざる手の内容的からすれば、企業化によるウォルマートのようなデフレは
『企業が何を需要したいのか』によって、物価が決まりデフレになっている事になります。
この根拠が差異を無くして、擬似完全競争を産み出す事になりますね。
たとえば、企業が需要したいのは、利潤なんですが、まあお金だけを目的とするというのも、実は面白い命題。
利潤の確保のため方法は、たくさんあり、安価な労働力や効率化もその方法の一つです。
この方程式に乗っかると、企業が需要したいのは、実は安価な労働力であると、手段と目的が逆になるんですが、そういう事にもなります。
安価な労働力による需要→物価が、他の労働力の欲する需要→物価と対立して、マクロ的な利潤を減らすんだと、
つまり、労働価値説によるマクロ的な需要の消失、デフレが進むんだと、そういう事になりますね。
これで完全競争に近づくというのはあくまで結果論。
供給をエントロピーの類いにするのは、もうそろそろやりましょうか。
では、通常労働力の産み出す需要(セイの法則ね)とは、まあ企業の商品ですね。
労働力の需要と企業の欲しい利潤とは必ずバランスしてしまいますから、いずれ企業は安価な労働力を需要出来なくなります。
もしくは、安価な労働力を需要し続ければ、利潤側が破綻、これが均衡です。
所が、一度利潤がそうなってしまうと物価は簡単に上げられなくなってしまうんですね。
これが需給曲線の下方シフト、つまりデフレの問題。
この利潤の確保の方法論である、安価な労働力に対しては、先にやった物だけが勝てる、利潤を手にいれられるという非対称性に問題があります。
これがユニクロやサムスン、他には外食チェーン店の優位性でした。
デフレで世の中的に需要は減り文化さえも需要、消費出来なくなり始めているのだと、まあ、アダムスミスの命題整理だけでも考える事が出来ますね。(需給曲線使ってますけど)
つまり、俗に言われるデフレスパイラルの原因を、『普通なら』アダムスミスの理解の時点で完全に説明出来ると。
選好率よりは納得出来る説のはずです。
限界効用に従って効率化が云々で資本主義がは、スミスを越えるので放置。
・じゃあ、今回整理するセイの法則の命題は3つ
供給は需要を産み出す『可能性がある』
『需要するには、供給しなければならない』
物価を決めるところが『需要したいだけ(需給曲線から物価と限界効用に従って)供給する(したい)』
これこそが市場原理です。
けっしてバカに出来る命題なんかではないんですけどね。

Posted at 2012/10/31 20:55:26 | |
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2012年10月30日
山口二郎さん編書のポスト新自由主義という本がありまして、
アメリカの現状と政策について書いてあります。
認識として私と変わらないレベルでの話なんなんですが、
シュンペーターヴィジョン、つまり産業あっての経済政策という認識の欠落が、日本の経済学や政治特有の物であると書いてあります。
お隣韓国も基幹産業の基礎技術に関して防衛が徹底してますよね。
はい、低レベルなのは日本オンリーでした。
というか、経済面の政策は戦前では産業の育成はきちんとしてましたから、退化してるという。
まあ、産業の話は聖域なんだよね、属国だからという話。
あれは別のステージだから、声はかけちゃいけないよ、日本だけね。
非常に簡単な話。
その制限の中で、自分は正しいとかバカ言ってるのが日本の政治経済ですと。
さて、為替差における日本の雇用の流出は、アメリカドルの量的緩和の規模から、仮に金融緩和と財政政策を併用しようと為替面でのアプローチからの短中期的な解決は、不可能であると、まあ勝手に結論付けています。
この根拠は、その前に為替で雇用を途上国とバランスさせようとするなら、これ影響はプラザ合意からあるんですもの(笑)
という事なんですが。
大体属国がそんな事出来るかっての。
ですから、現時点での政策からの為替へのアプローチは物理的に無理難題、かつ、雇用は流出し続けますよと、恐ろしい事になってます。
他のステージからアプローチするしか無い訳で、こんな簡単な事も理解出来ない知識人が左にも右にも溢れています。
まず、政策に聖域つくってどうするの?宗教的理由からですかって話ですが。
ですから、笑える事に日本にはお金がありますが、方法がありません。
財政政策での延命以外にはね。
現状でこれが一番まともな結論と相成ってます。
延命策が正しい訳では無いですけどね。

Posted at 2012/10/30 23:39:56 | |
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