2012年04月11日
概念の話になります。
再構築のために全体を簡単な概念にしてみよう。
経済というのは、時間と物質のモラトリアムである。
私たちの生活を振り返ってみよう、これが、モラトリアムそのもので無かったら他に何と呼べる物になるんだろう。
※精神的なモラトリアムの問題もあるが経済問題とは少し論点がずれる
この有余を産み出すのが、サプライと付加価値である事に誰も異存は無いと思う。
時間的モラトリアムは我が国でよく叫ばれている労働環境に直結する。
サプライに有余があるのに何故私たちの(労働)時間には有余が無いのか。
もしくは有余が無くなっていくのか。
全ては付加価値が原因だったのだ。
※細かくは付加価値に含まれる労働環境
・ディマンドという幻想
究極的に言えば需要という言葉は、時間的モラトリアムを含む虚実の塊になるだろう。
物質的モラトリアムがサプライであるなら、
時間的モラトリアムは付加価値だ。
ディマンドはサプライと付加価値を合わせ持つ物であるが、その内の付加価値は幻想そのものに近い。
あらゆる幻想が時間と共に立ち消え、時間的モラトリアムというディマンドを私たちは必要とする以上に失っていく。
それは物語りが完結に進むのと同じような現象だ。
・時間的モラトリアムという幻想への解決
幻想を立ち消すのが仕事であり、正義であるという妄信的な共産原理主義者がスイスの世界経済会議で世の中を闊歩している状態で、我々に出来る事は少ないかもしれないが、過去には時間的モラトリアムの解決という画期的な試みが成されてきたように思う。
それは中世における我が国の座であり、労働環境への当然と言える範囲内での規制だった。
付加価値が競合関係にある地域内での労働市場にかかる係数である以上は、過去に指摘されているように、このままいけば私たちは競合関係にある地域を狭める羽目に陥るだろう。
もしくは破滅的な解決を求められる羽目に陥る。
それは合理的な判断だとも言えるのだが。
付加価値を増せば時間的モラトリアムも増していく、それは今我々が抱えている問題の解決とは程遠いが、モラトリアムとは有余である。
解決のための時間ととる事は出来ないだろうか?
これから経済学での問題の焦点はサプライサイドと付加価値に向かうが、本質的な問題は増え続ける人口に対する資源の枯渇だ。
技術的な成長を終えた今、資本主義による世界的な消費経済は終えなければならないのかもしれない。
だからと言って、問題を踏まえた次の経済をどうするかのアイデアを誰も出せてはいないのだが。
高々30年程度なら、その方法も呈示できますが、長期的には難しいと。

Posted at 2012/04/11 22:30:01 | |
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2012年04月11日
利潤がどこから生まれているか、色々な仮説を作ってしまっています。
減価率に注目したのはまあまあな視点でした、減価率の低い生産物への在庫移項が我々の考える富である。
その証左に我が国では米が通貨代わりになっていた時代がありましたから。
一方でフローの増大に従って、利潤が増えると仮定すると、両者が本質的には同じ物である可能性もありますね。
貨幣価値には時間が含まれるかもしれないと言いました。
利潤が時間的有余、つまりモラトリアムによるフローの拡大である可能性も否めません。
支払いの前に投資して利益を出すという事でいいでしょうか。
この時間的有余が無くなった結果、流動性と言うのが正しいかもしれませんが、
信用収縮による金融機能不全が起こり
二次と三次産業へ波及相乗したのが世界恐慌とも言えます。
・貨幣価値を清算すると、現在と未来のサプライと在庫の保証と等価である。
※仮説の提唱とします。キャリートレードにより両者は乖離していると予測していますから
在庫は現フローに従ってある程度は保証されますが独立して増え続けたりはしません。
つまり在庫は現フローに従って、増える。
※フローに入れて破棄し続けるとも見れますが。
利潤も現フローに従って増える。
※消費行動によって貨幣と在庫の価値が是正されると利潤はフローに吸収されます。
減価率を起点に正反対になりますが、まったく同じような関係である事に気づかされます。
ここで注目しなければならないのが付加価値による利潤の格差です。
「減価率の低い生産物への在庫移項の究極の形態が
貨幣経済である」
として生産物と貨幣の交換には付加価値が必要になりますから。
付加価値にはマルクス経済学派が好む労働価値が含まれますね。
サプライこそがディマンドであるという話は既にやったのかな?

Posted at 2012/04/11 22:26:02 | |
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