2012年04月18日
経済を一つの流れと評した時に電流に置き換えると
付加価値は電圧となる。
それは一概的には末端価格の問題だ。
物価が安くなるとどうなるのか、ダイヤモンドを例にあげてみよう。
現状の物流システム下で自由貿易を推し進めると、賃金の低下圧力によって、末端価格は低下し続ける。
自由主義経済の主張は自由貿易や自由経済によって一人に最低一つのダイヤモンドを『それが次世代の正義だ。』だ。
彼らの主張は共産原理主義とどう変わるというのだろうか?
彼らの主張が通るときダイヤモンドはガラス細工と変わらない価値になるだろう、ところがそれは誰もが欲しがる物だろうか?
たとえばダイヤモンドの末端価格はそこら辺に転がる石ころと同等になるだろう、真の問題はそこら辺に転がる石ころを売っても誰も生活が出来ないという事だ。
ここで今一度全ての人が自分の頭で考えて欲しい、石ころと、自分の生活のどちらが大切なのかを。
付加価値を電圧とした場合に、末端価格の低下は電圧の低下に繋がる。
電圧がなければサプライ≒電子は動かない、電流が無ければ回路は止まる。
つまり経済は停滞する、今、私たちの抱える生活への危機感と本質的には同じ物だ。
付加価値の低下によって、先進国の経済は停滞しつつある。
新興国を見てみよう、あらゆる物の付加価値が増大したから、彼らは成長してきたのだ。
自分の扱う商品の付加価値の低下を望む者は世界中に誰も居ないという事を、貧困ビジネスを押し進める13番目にも再確認させなければならない。
私から言わせれば商売なんてのは高い物を価格が崩壊しない程度に程よく売れば良いだけの話だ。
何故必要を越える供給を行います安売りをしなければならないのか、苦境に立たされている国内の製造業に従事する人はそう思うだろう。
繰り返して言おう、サプライは充分なのだ。
サプライは市場を充分に満たしている。
私たちは物が足りなくて困ってはいない。
その証左に物がリサイクルショップでどんどん減価しているではないか。
途上国を見ろ、足らなければ過剰な減価などはしない。
労働力という商品の相場を崩壊させ、安く買い叩く誰かの行為は奴隷商と変わりはしない。
これまで世界が法という秩序を必要としてきたのと同じように、新しい世界にも法という秩序は必要なのだ。
秩序が世界に必要か必要でないかを今一度はっきりさせよう。
裏切り者を裏切り者と評価する必要がある。
貨幣価値が付加価値に依存する以上、労働価値の相場はかつての金や銀、貨幣の流通と同じように管理されるべき価値である事が次第に明かされる時が来るだろう。
秩序の無い中で奴隷商が活躍するのは謂わば歴史の必然であり、私の倫理観からすれば奴隷商は犯罪者だ。
雇用も無いのに全ての人の手にサプライが行き渡るなんて詭弁は私には通用しない。
元より裏切り者の戯れ言に貸す耳など私は持ちはしないのだ。

Posted at 2012/04/18 23:41:08 | |
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