2012年09月25日
フロー部分であるドミノモデルに対してストックの評価とドミノモデルからの予想のために、貨幣中立説のまとめからいきましょう。
Wikiから引用
・貨幣数量説
『貨幣量の増減は物価にだけ影響を与え、生産活動や雇用の増減などには影響を与えないとする説。古典派経済学の中心的な命題のひとつであり、経済活動の本質は全て物々交換であり貨幣はその仲介を行っているに過ぎない、貨幣量の増減は貨幣錯覚による混乱をもたらすが国富・国民経済の観点では中立的であり、国富の増大には貨幣量の拡大ではなく生産・供給能力の増強によるべきとした。中立説によれば貨幣は社会的な分業や効率性をもたらす以上の役割はないとする。
数量説はこの貨幣の中立性を前提にしており、物価の乱高下は流通貨幣量の管理によって一義的に押さえ込むことが出来るとする。現代の我々には直感的に理解しにくい事であるが、管理通貨制度が定着する以前では「社会」に存在する貨幣の総量は誰にも計測できない(把握されていない)ものであり、金塊が採掘されるなり、難破などの事故により貴金属(金銀など)が喪失されるなりといった確率現象や、貯蓄のために金塊を退蔵するといった個々人の経済行動は、物価に対して深刻な影響を与える要素であった。
貨幣中立説というのは歴史的には大航海時代以後スペインなどが重金主義を採用したことによる反動ともいえる。新大陸の金銀財宝こそが富の源泉であり、その金銀を本国へと持ち帰り、その量こそが富だとしたのだが、後の絶対王政以後のフランスで重商主義つまり貿易黒字による差額があれば、金銀は自然と自国に蓄積されてくるという考え方であった。特に重農主義は貨幣と農産物を交換することで、金銀よりも農産物の方が優位であるとした。その理由は毎年生産され続ける農産物などとその後の発掘に手間がかかりあまり増えない金銀とでは農産物のほうがはるかに優位であり、しかも人間にとって重要な食料である穀物の量を確保すれば自然と金銀と交換され、貿易差額の黒字により蓄積されるという考え方である。言い換えれば鉱山よりも肥沃な田畑の方が効率がいいというものであるが、その後の議会制が整い始めたイギリスにおいて工夫や農夫のどちらの労働も価値があるとされ、「富の源泉は労働力」であると帰結されるに至った。要するに本来は無価値でしかない大地から金
銀を抽出する作業も農産物を収穫する作業も人間の労働力があってこそ成り立つのであるのだから、金銀の貴金属や穀物などの農産物に限らない非生産業である、力を蓄え始めてきた交易に従事する商人にとっても受け入れやすい理論だったのである。』
貨幣数量説自体は19世紀末からの提議で、歴史背景に大航海時代と産業革命を含めなければなりません。
命題上は重農主義の自由放任が入っているように思えます(貨幣増刷による財政支出の雇用の否定があるため)、特に労働価値説に注目したい所。
鉱山の労働から得られる金銀が、従来の農作物による労働価値説に繋がり、重農主義と重商主義はここで労働価値説として一部が繋がっています。
対立する重金主義も出してみましょう。
・重金主義
『重金主義(じゅうきんしゅぎ、英: Bullionism、ブリオニズム)とは、貴金属のみを国富として、その対外取引を規制し流出を防止し、同時に対外征服や略奪、鉱山開発を推し進め、国富たる貴金属を蓄積させようとする政策。取引差額主義とも。16世紀のスペイン、ポルトガルの代表的な政策で、のちフランス王ルイ14世に仕えた財務総監コルベールがとった経済運営(コルベール主義)が有名である。
東洋に向かったポルトガルは王室国家権力による独占貿易をはかりカサ・ダ・インディア(インド庁)を設立した。リスボン到着の香辛料はすべてインド庁の倉庫に納入され転売益が国王収入となった
。新大陸に向かったスペインにとっては交易の成立しない異文明との遭遇は掠奪と破壊の対象となった(
スペインによるアメリカ大陸の植民地化参照)。』
アフリカ、インド、アメリカと植民地と貿易を広げた大航海時代の国家政策が重商主義で、その内の貴金属の蓄積(兌換貨幣の増量になりますね)を重視した物が重金主義です。
現代社会でいう不換貨幣の増刷による、需要の水増し特需の部分もあるのかなという所。
※貴金属の裏付け制限が残る分こちらの方が安定感が強いか
重金主義の発展である重商主義はもうやりましたね、貿易収支重視の低賃金国富論です。
これらは現代では労働価値説と、投下する財によって生産財の価値が決まるとする貿易モデルから、アダムスミスの提議した高賃金国富論に帰決すると思われましたが、現代ではそうは進んでいませんね(笑)
新古典の問題は、貨幣の中立性に根差した需要理論の欠落です。
では貨幣の中立性が何に根差しているか、キリスト教の流行りであった自由意思による、労働価値説と自由放任以外にはないでしょう。
ここら辺の議論は日本にはない質のものです。
例えば、日本は思想輸入と理論の加工一辺倒で同一賃金同一労働なんて、概念的な議論には見向きもしません。
それが宗教的な背景か、労働闘争の高まりから来てるのか気になるところですね。
以下、貨幣数量説のアイデア
『フィッシャーの交換方程式
現実の統計値から貨幣量と物価の相関関係を分析するためのツールとしてアーヴィング・フィッシャーの"交換方程式"がある。これは貨幣量と物価の関係を、貨幣の"流通速度"あるいは"取引水準"といった概念を導入することで記述するもの。いわゆる
貨幣数量説の代表的なアイデアである。:
M*V = P*Q
M はある期間中の任意の時点tにおける流通貨幣(通貨)の総量
V は貨幣の"流通速度" (特定期間内に人々のあいだで受け渡しされる回数:貨幣の回転率のようなもの)売買契約の約定回数
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Q は"取引量" (特定期間内に人々のあいだで行われる取引量(quantity)の合計)
交換方程式は逐一個別の取引(単価pの商品をq個だけ取引するため、貨幣mを1回支払う)をマクロ経済全体で合計(∑v=1→V)したものとされる。これは数学上非常に明晰な記述であるが、現実にはマクロ経済全体における
流通速度V
(PQ/M)や取引量Qといった経済統計としては非常に観測・推計しにくい概念を導入しなければならない困難がある。』
貨幣の退蔵が明確に問題になる式ですね。
経済学も、定量評価のために、概念の仮説提議から入りますよという話でもあります。
フローとストックの間にある利潤という概念に、この貨幣の総量が関わってきますよという事で他の式も見てみましょう。
『現金残高方程式(ケンブリッジ方程式)とマーシャルのk
フィッシャーとほぼ同時代のイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルも、独自に貨幣量と経済水準の相関関係に着目していた。1871年頃には着想を得ていたとされ、1923年に文章化、完全な定式化は弟子の
アーサー・セシル・ピグー
によって公刊された。貨幣数量説を批判的にとらえる論拠とされるアイデアである。
M = k*P*Y
M はある期間中の任意の時点tにおける現金残高(=ストック)
k は「マーシャルのk」(比例定数)
P はある期間中の任意の時点tにおける物価水準(通常は基準年度を1としたデフレータ)
Y は実質GDP
PYは名目GDPであり、ケンブリッジ方程式の要諦は「現金として保有される残高は名目GDPに比例している」というものである。人はある年間所得(PY)の水準に比例する程度に、つねに手元に投資や貸付、消費に回してしまわない資金量を一定(M)確保していることが予測できる。その割合比率(k)は貨幣選好であるが、マクロ経済全体で合計した場合にも同様の傾向があるはずである。そこで経済全体をおしなべた結果としての貨幣選好をkとすればM=kPYと記述される。なお、このマーシャルのkの逆数(PY/M)は、貨幣の
所得 流通速度と呼ばれる。フィッシャーの交換方程式とは異なり、特定時点での現金残高Mや、期中での名目GDP(名目総生産=名目総所得)は直接の統計や推計により比較的容易に計測することができる。また、kやPが変化しないという仮定の下では、Mを増加させることでYを増加させることができるという関係を表している。』
19世紀当時物価は安定していたのでしょうか、そうでは無いですよね、欠陥理論。
私が思うに、貨幣数量説には重金主義による貴金属から生まれる需要理論が入ってます。
※大まかな見解としてはケインズと等しいのかな
特に当時は兌換通貨でしたから、経済の規模が貨幣によって制限されやすい物でした。
需要理論と貨幣の経済的制限が混ざったのが、当時の貨幣数量説の内容だと思います。
再び議論を載せたい所ですが長い、割愛。
以降は、現実を無視して貨幣中立説に基づく貨幣数量説を古典派が展開。
物価と貨幣量の長期的な安定傾向をフリードマンが主張するまで、貨幣数量説は財政政策の根拠以外に日の目もあびませんでした。
特に19世紀辺りの貨幣数量説に基づくインフレ論は現代の議論と変わりがありません、これはタイムスリップを味わっている感覚(笑)
さて、貨幣数量説の問題の核は信用創造の規模と物価です。
こいつらが統計を邪魔するという物。
一つは貨幣的な制限がストックに従ってありますよと、これは貯蓄、退蔵があるからですね。
書きたいのは利潤との繋がり。
もう一つは、信用創造。
制限を需要に従って銀行が伸ばしたがりますよと、その伸びしろは増えるのか。
そして物価。
伝統的な限界効用と二つのベクトルの兼ね合いだと書きました。
ドミノの出力の一部分です。
最後に財政政策に代表される、需要理論。
新しいドミノが生まれます。
労働分配率の是正、インフラ整備でドミノが生まれるという物。
これが私から見た貨幣数量説
4つの論点。
今回書きたいのは、利潤(笑)どこに入るのでしょうか
さて、貨幣数量説すべての考えに共通する事は、貨幣の総量に制限があるということです。
この考えでは、利潤が生まれてこないんです。
利潤とはフローからの貨幣の退蔵の事以外で答えはあるのでしょうか。
これが今回重用な論点。
仮に利潤が新たに産まれて来ない性質の物であるならば、貨幣の総量に経済は制限を受ける。
まあ、主流にのっちゃいましょう、利潤とは貨幣の退蔵です。
それを投資か消費で回してるのが経済。
ここら辺は私のブログを見てる方なら予想出来る答えでしょう。
ケインズと見識は同じなんです。

Posted at 2012/09/25 19:24:55 | |
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