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ゆーりっく2のブログ一覧

2014年12月30日 イイね!

民主主義は上手くいかないんだってば

さて、民主主義をテーマにした記事、第3回目になりました。

前回までの記事では、政策圧力という概念と、経済膨張に対する立法府の処理しきれなくなった負担をボトムアップに託したのが、民主主義の本質と、そして民主主義の対義語でもある権威主義的なボトムアップとトップダウンの誤認について書きました。
置いてけぼりになってる読者は居ないかな、居ませんね。
今回はボトムアップを立法に押し上げる中間集団と数の論理について書こうと思います。

・ボトムアップを世論形成から立法に押し上げる中間集団

実は今回の記事を書くにあたり、中間集団の大体の構造を想定してしまおうと中間集団を学び直していたんですが、中間集団自体がどうにも録なものではない上に、構造概要も掴めないぞと。
それで、記事の投稿が遅れたんですが、まあ大体掴めたので本投稿と相成りました。
中間集団とは、一度走り出した車のような指向性の定まった集団です。
これがですね、中々言い得て妙といいますか、これ以上を中間集団に何を期待してもその定義からは外れるだけだろうと、何故なら政治において中間集団に期待されてる善意性というのが結構大きな課題でして、そんな物はそもそも想定さえ出来もしない物だからです、ですから本来からして中間集団なんて録なものではないという話ですね。
一言で言えば中間集団とは動き出した巨大な歯車のような集団です。
間に入った異物を粉々に砕くだけの前進する歯車。
中間集団には善意も悪意も無いのです。
この中間集団を例のごとくWikiから拝借しようとしましたが今回ありませんでした。
コトバンクさんから
>個人と全体社会をつなぐ、中間的な人の集まり。
これが中間集団です。

ボトムアップ(現場主義)によって問題提起された事例は、その事例が属する中間集団を通して世論に認知され、立法まで押し上げられます。
例えば、子育ての問題なら、子育てという現場から家族という中間集団を経て、親族か、さらに上の中間集団、日本なら政党ですか、政党という中間集団に問題が認知された後に世論が形成され、その問題が真に対処すべき問題であると世論に認知されたなら立法なり行政なりの動きがとられます。
私たちは、日々、様々な現場の最前線となり様々な体験をする事によって、問題となる事柄を開拓し続けているのですが、その問題が属する中間集団にもまた属してる事になります。
また、中間集団に属していないのであるなら、問題は問題として認知されず、解決は得られないという事になります。
そしてまた、中間集団に問題を提起をせずに、認知させようとしないのであるなば、その問題は無いものとして扱われます。

・それぞれの中間集団は、自己の利益の最大化を目指す

まるで中間集団とは企業であるみたいな言い分ですが、その通り、中間集団同士が対立しない物であれば、企業は中間集団から除外されます、所が中間集団というものは共闘もすれば対立もするのです、企業も中間集団の仲間と言えます。
今回の記事の名前にさせて頂きました、民主主義は上手くいかないんだってばは、実は、中間集団が決定的に対立する場合においては、数の論理は正統性を失い、民主主義は上手くいきませんよという内容にしようという意図からつけました。
中間集団はその単位から、他の中間集団の権利を犯してでも、自己の利益の最大化を目指そうとします、誰かがその中間集団の暴走を止め、社会全体の利益を補完しなければなりませんね。
その是非を問うのが、数の論理なんですが、中間集団の単位規模が大きすぎる場合、例えば民族レベルでですね、利益対立があり、片方が片方の利益を一方的に侵害出来るようになると、民主主義はその正統性を完全に失います。
つまり議会制民主主義とは、社会全体の中間集団の集合体による是非の取り合いでもある訳です。
中間集団を失ったに等しいと言われる我が日本の政治ですが、中間集団の復活が望まれる背景も書いておきましょう。

・トクヴィルの思想

トクヴィルはフランス革命時代(1805ー59)の人です
民主主義が安定的に機能するためには中間集団が不可欠と説きました。
説明したとおりに中間集団は動きだした後の巨大な歯車で、個々では抗えないような圧力を発揮します。
これに対してバラバラの個人は、思想自体が不安定で、すぐにデマゴーグや独裁者に操作されます。
人は中間団体に属し、というか中間集団に属さないと問題提起の権利自体を持ち得ないのですが、中間集団において議論を交わし、お互いの立場について想像しあうことによって、政治的な能力を高めていく。
そして、中間集団で人間が交際、議論することによって社会全体の利益を理解出来るように相互性が育成されると説きました。

以上ですね、民主主義について、民主主義とは、社会全体の中間集団による個々のボトムアップ(現場主義)の集積方法である。

民主主義のテーマはここまで。
Posted at 2014/12/30 20:46:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2014年12月14日 イイね!

民主主義は上手くいかない

さて、民主主義をテーマに掘り下げた第2回目の記事です。

前回では、政策圧力というものを考えた時に、それを越えないと政策は変えられませんよという提起と共に、
民主主義の本質とは、当時の経済膨張を背景にした立法府の機能不全、これを従来のトップダウンからボトムアップに変える事によって解決しようとしたのが本質であり、ボトムアップこそが民主主義の本質ですよとしました。

今回の記事はボトムアップの欠点、そして数の論理の欠点から、民主主義が上手くいかない理由を掘り下げてみましょう。

・ボトムアップが上手くいかない

ボトムアップ型の統治制度(ガバナンス)の欠点は、いくつか挙げることができます、まず、ボトムアップしようにも、人は専門外の事はそもそもまともな問題提起さえできない、そして専門外の人はとんちんかんな事を主張し始める。
前回でも書きました、アメリカの知的財産権の裁判ですね、裁判官は現場の問題提起を無視して判決を下してしまいました。
これ実はトップダウン方式でのミスなんですが、ボトムアップの定義という物は調べてみた所、非常に曖昧な物です。
本来の定義は、問題提起を最前線からしますよという物、つまり、現場主義。
ボトムアップは現場主義です。
この現場主義をですね、組織図という物があるんですが、組織図上で、権威的に下から提起された問題をボトムアップだと勘違いしてる層がある一定数居るようです、つまり反権威主義と言えるような訳の解らない物をボトムアップと定義し、反権威主義と現場主義を混同して定義として使っているから、ボトムアップは訳の解らない物に成り下がっているようです。
えーと、現場主義というのは最前線からの問題ですから、例えば経営、経営の最前線に立ってるボトムは誰ですか?
経営者でしょう、自分が最前線に立っている自覚が無いから経営におけるボトムアップで、自分をトップだと勘違いするのです。
こういう事を本気で言う経営者は経営者としての才覚が無い。
トップダウン方式での成功例と言われる地球温暖化対策、これね、問題提起したのは学者で権威が国民より上に見えるようだからトップダウンになるんですか?
最前線に立ってる専門化がボトムアップしたんでしょう?
だから導入に至ったんでしょう?

このような混同から、トップダウンはボトムアップに間違えられ、ボトムアップはトップダウンに間違えられているようです。
では、定義をしっかりした上で、ボトムアップが失敗視する例を挙げてみましょう。

・ボトムアップがまともかどうか判別がつかない

えーと、立法では無いんですが、というか立法でないからこそ問題になってるように見えますが、前回挙げたYouTubeですね、ボトムアップは透明性や公平性を担保にしないとまずまともに機能しないんだと。
これは立法に置き換えると、専門外の人間の立場からすると現場から挙げられた問題提起は実は妥当かどうかも解らないことが多々あるんだと。
大きな問題ですが、社会が複雑になるにつれ避けられない問題になります。

・ボトムアップするような問題提起が見つからない

昨今のリベラルで批判されてることですが、リベラルのかつての理想は既に現実になってしまっていて、問題提起の力がなくなっていると、私からすれば財政問題に負けてるだけのように見えますが、その時、民主主義はどうなるのでしょうか?
この論理を持って民主主義を最高のガバナンスとしてる主張もありますね。
もっともボトムに問題を見つける力が無いだけかもしれません。

・ボトムアップ同士で対立する

経営というボトムと人権というボトムで、時おり起こる賃金対立は、双方のボトムが利害の上で決定的に対立しております、実は中間集団同士で利害の決定的な対立がある場合、異なるアプローチが強力に作用しなければ民主主義は機能しません。
機能すると仮定した上で採決をとる、そう、これが数の論理です。
多くの人が民主主義の本質と勘違いしてる論理ですね。
この数の論理を持って、トップとボトムの対立だと主張してるのは愚の骨頂です。
ボトム同士の対立です、定義を勘違いしてるんです、権威主義もしくは反権威主義の立場を取っているから、トップとダウンに見えるだけです。
民主主義の機能しないボトムとボトムの対立それがアラブの春でした。
中間集団同士が経済問題、宗教問題で利害を乗り越えられなかったのです。
この中間集団も掘り下げてみたい所です。

話しは横に逸れますが、皆さん、民主主義の対義語をご存知でしょうか?
これ調べてみると、民主主義の対義語は権威主義なんですね。
トップとボトムの対立構造に見たがる層が、権威を持ってボトムをトップだと定義する。
面白い事ですが、民主主義を否定してるように見えるんですね。
ボトム(現場)同士の問題提起を権威を持つ側がこちらの方が権力は上だよ、だから俺は民主主義はやらないよと言っているのです。
まあ専門外なんでしょうから、とんちんかんな事を主張するのは当たり前の事と言えるんですが。

ではついでに、ボトムから出た問題提起を立法に押し上げる中間集団、これを掘り下げなければなりません。

長くなりましたので分けましょう、次回の記事では、民主主義の鍵を握る、中間集団、そして数の論理ですね。

以上
Posted at 2014/12/14 15:41:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ
2014年12月12日 イイね!

民主主義って何だろう?

長らく放置して居ましたが、民主主義というテーマを少し掘ってみましょうかね。

という記事になります。
前の記事を放棄してですが。

切っ掛けというのが、政策圧力というものを考えた時に、政権交代でも変わらない事案、つまり政権交代でも変革させるのに政治的な圧力が足らない事案があるとします。
例えば労働基準法の尊守ですね、出来ていなけれどという話、これは政権交代程度の政治圧力で変わりません、政党政治の限界でもありますが。
つまり意思決定に至るまでの必要な圧力が政策毎に違うと仮定したんですね。※以降当圧力を政策圧力とする
これね、至極当たり前の話なんです、反対する人が少ない法案は簡単に通りますよ、反対する人が多い法案は通りませんよと、政策毎に違うんですよと、そういう事を書いてます。
ところが誰も個々の政策圧力について評価されてませんよね、我々の政治体制は民主主義で政策圧力は重要な論点になるにも関わらないなのにです。
さて、この政権交代でも変えられない事案は、政策圧力において数の論理を超越することになりますが(※時に政権維持を考えない場合になりますが)、ではこの事案、政権交代でも変わらないなら、一体何で変わるのでしょうか?

本来の命題はこちら、いったい何と交換なら政策圧力は意思決定と釣り合うのか?

政権交代でも変わらない事案は、何と引き換えなら変える事が出来るのかです。

これは類推によって力学的な観点から、ある種の仮説が立てられる事になります。
それで、当然やってあるであろう力学的な政治圧力を軽く探してみたんですが中々見つからないんですね、埒があかないので民主主義の原理についてを調べた所、そもそも民主主義って一体何だろう?そんな疑問にぶち当たりました。
とにかく、納得出来るようなまともな事を書いてる人が居ない。
これが今回のテーマ民主主義とは何だろうの動機です。
リベラル内のイデオロギーで定義される民主主義ではなく、ガバナンス(統治制度)における民主主義の本質とは。
ここら辺に迫ろうと思います。

・ガバナンスにおける民主主義の定義とはなんなのか?

私みたいな考え方の人間は、他の制度に対する優位性と差異から定義を抽出します。
先に書きましたが類推的に言えば、民主主義でよく言われる数の論理は圧力関連を当てはめるのが通例なんですが、恐らく、力学的政治圧力というのは、軍事力学が当てはまる分野になるかと思います。
えーと、政権交代を越えるような個々の政策圧力にも越えてる上でさらに差異がありまして、その圧力を受け止める弾力性のある部分が人となるからですね。
そこで圧力の最前線となる議員が、責任を取らなくて良いなら任務は果たせず、圧力は瓦解する。
与えられてる役割は軍隊と同じでしょう?
この圧力に対する弾力性において、軍事力学を類推に当てはめられるであろうと、まあこれまた肝心の軍事力学が見つからないんですが。
民主主義の採決においての数の論理とは、利害の戦争であると仮定した訳です。
よく秘書等が死んでる世界なので戦争と変わらない世界なのかもしれませんね。
ここまでは誰でもたどり着けるような比較的単純な類推。
普段民意民意と言いながら、今、ガバナンスの定義として政策圧力の差異をベースに考えないで、何故、民意の反映が何故されないのか、どうこう言われてないのはもう謎としか言いようがない。
民意が反映されないのは、政策圧力に釣り合うような圧力が加えられてないからです、そして政権交代でなしえないならその圧力は既存の選挙、政治体系では得られない。
こういう事になりますね。
政策圧力という物にたどりつけた人からすればですが。
この政策圧力の概念をうやむやにしてる事が、昨今の日本における世間の政治不信に繋がっている原因なのです。

・歴史背景からする民主主義のガバナンス(統治制度)としての特徴的な優位性

リベラル的なイデオロギーから定義しようとしてこれを考えない人が多すぎる、要は他の制度と完全に違う部分での民主主義のメリットです、旧支配層が権力闘争から敗北して出来た制度が民主主義です。
敗北した理由は、被支配層の経済拡大による支配層の相対的な経済的敗北による物だと勘違いしがちですね。
これね、私も勘違いしてました。
有りましたよね、一人辺りの生産性が何ドルを越えると、その社会では民主主義への転換が起こるんだと。
演繹の弱点なんですが、仮に旧支配層の経済的敗北が現実に起ころうとも、統治機構の概念(三権)からして、単なる支配者層の経済的敗北だけでは権力の移譲される確たる理由にはなりません。
何故なら三権が上手く機能してさえいれば、統治制度として権力の移譲はしなくても良い、世の中は上手く回るからです。
では、何故支配層は被支配層に政治の分野で敗北したのか?
この何故の部分が民主主義の本質となるハズですね。

私自身、納得出来るような物を探しておりまして、これは決め手だろうなというものを見つけました。

選挙前ですべきでは無いかな?今何をされてるかは存じあげませんが
録な資料が見つからないので、YouTubeで遊んでた時にですね
https://m.youtube.com/watch?v=NaQXMXmxXIY&itct
題は透明性です、透明性なんですが、ボトムアップの公平性が社会を良くするんですよと、そういう事を言ってます。
えーと、発言されてる方は片山義博さんですね、取り上げさせて頂きましたので一応紹介しておきます。

このボトムアップですね、先ほど書きました支配層敗北した理由は、被支配層の経済拡大による支配層の相対的な経済的敗北、これは論理上、明確な理由にはなりえませんよと書きました、でもですね、背景にはなるんです。
経済膨張が背景にあるんですね、当時新しい産業が世の中に凄い勢いで増えたんだと、そういう時に間に合わなく物が現代でも三権の中にありますよね?

そう、立法だけは、経済膨張の世の中では確実に間に合わないんです。
支配層というのは封建制度下の貴族ですね、専門外の、というか世界に生きる全員が専門外ですが、何故なら新しい産業に対する立法に専門も何もないからですが、新たに産まれ続ける問題に対処できるような立法はまずトップダウン方式では産まれようがありません。
問題提起自体が出来ないからです。
何も解らないまま差配を決めるトップダウン方式の立法は、問題を何も解決しないどころかむしろ大きくするだけという事が多々あります。
これはそう、共産圏の失敗ですね。
共産圏の失敗を持ってトップダウン方式は民主主義に敗北しました。
今はその共産圏は立法をコピーして都合良く使って巻き返しています。
立法には確実に現場の意見が必要になります、これはアメリカでも知的財産権の裁判において、現場の意見を無視して判決を出したりしていますが、これは民主主義の特徴的な優位性とはかけ離れてますね、民主主義の新たな象徴的な問題にもなりますが、それは置いておいてつまりはボトムアップ方式。
御用聞き(ボトムアップ)がガバナンス(統治制度)としての特徴的な民主主義の優位性になりますよと。
リベラル的なイデオロギーではなくね、これが民主主義の本質なりますよと。
支配層は経済的敗北によって権力を放棄したのではなく、経済膨張によって不可能になった立法をボトムアップ側に委託したのです。
フランス革命もその過程の混乱と見て良いでしょう。
ろくに統治出来ないのであるなら統治するなという事ですが。
その上でですね、初めて数の論理を取り入れなくてはなりません。
まあ、同じようにボトムアップは民主主義で良く言われる事ではありますが、経済膨張における立法をボトムアップでサポート出来るからとにかく強いんだ、他とは違う民主主義の強みであり強みであるからこそ民主主義の本質なんだ、問題はそれ以外にあるんだと理解して頂けたら幸いです。
因みに、取り上げた動画で言われてるのは行政に近い司法的なボトムアップによるサポートです。

さて、このボトムアップ、民主主義ではボトムアップから中間集団を通して多数決によって、その問題提起を立法にまで押し上げるんですが、強みの性質から上手くいかないケースがいくつか考えられます。
では、ボトムアップが上手くいかないケースとは何でしょう?

次の記事は、民主主義は上手くいかない、そんなテーマで書こうかと思います。

以上
Posted at 2014/12/12 19:01:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | モブログ

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