昨日の問責決議案について、各新聞社がいろいろと主張を書きたてています。
その中でも4大紙と言われる読売・朝日・毎日・産経は共通する…というか、まるで申し合わせたように同じかき方をしています。
「責任放棄」「無節操」「自らを貶めた」「この体たらく」と、とにかくなんかすんごく怒っているわけですが、その内容がどうも腑に落ちません。
各社重複して言われていることは・・・詳しくは
【昨日の各社の主張】を参照のこと。
「自民党は自らを否定する行為である」
「退席した公明党は筋が通っている」
「せっかく3党合意で決められる政治が始まろうとしたのに、もとに戻ってしまった」
「民主党も解散を引き伸ばしたいがために誘導した。国民不在である」
・・・などの記述です。
*「自民党は自らを否定する行為?」
問責決議案は自民党案に野党7党が反対し修正の上で7党案に自民党が賛成するという態度になりました。この7党の決議案には「消費税増税に3党が賛成した」ことを厳しく批判し、同時に「3党だけで乱暴な議運をすすめることは民主主義と相容れない」と運営そのものが国権の最高機関としてのモラルを問う内容でした。
当然、3党合意で消費税増税に賛成した自民党が、自らの政策に「不信任」を出したわけですから支離滅裂というか自虐的というか、わけワカメなわけです。そりゃ、批判されても仕方ないでしょうな。
しかし、そもそも3党だけで8割の議席を独占する「数の横暴」で消費税増税を強行したことが間違いの始まりです。それについては4大紙は何も指摘しようとはしません。
*「退席した公明党は筋を通した???」
朝日と読売が口を揃えて「筋を通した」と書いているのが気持ちが悪い(笑)。そもそも公明党は(支持母体の創価学会も含めて)消費税増税は反対を貫いてきたではなかったのですか?結局3党合意に至ったのは自分が「与党」でいたいからです。3党合意の時点で公明党は「与党になりたかったので、消費税は賛成にまわりました」と表明すべきでしたし、「民主・自民・公明は与党になった」と新聞社は書くべきです。その指摘もありません。
更に、公明党は3党合意を機軸にするならば、退席・棄権するのではなくて民主党に協力して堂々と反対すべきではなかったか?それこそ公明党ならぬ「コウモリ党」だといわれるだけだと思います。そうした本来の筋が通っていないことも4大紙は指摘しません。
*「決められる政治が断ち切られた?」
「決める政治」「決められない政治」などという表現はマチマチだが、4大紙とも決められない政治になってしまったことを嘆き、批判している。しかし、今国民が求めていることは本当に「決められる政治」なんだろうか?もっと言ってしまえば「国民そっちのけで勝手に決めていること」そして「すぐに決めなければならないことが放っておかれる」ということになっていないか?例えば、前者は消費税であり、後者は東日本大震災の暮らしと雇用・経済の支援である。
「決められる政治」=「国民の利益」という構図を4大紙は押し付けている。3党合意を手放しで評価して疑問を投げかけようともしない。そうであるならば、政治を勝手に進めさせないようにがんばっているのは「国民の運動」に他ならない。「国民を無視して勝手に決めるな」の声は官邸だけでなく、マスコミにも届いていないことになる。ここまでくるとマスコミは政治の矛盾を「指摘していない」のではなく、「耳を塞いで聞こえないふりをしている」としか言いようがないのである。
*「民主党も悪い?」
民主党も悪い…確かに悪い。「自民党のほうが3党合意を破棄した。解散は『近いうち』から遠い将来になった」と、してやったりの態度だ。しかし、そもそも「民主党も」ではなく、「民主党が」悪いのである。「自民党政治を変えて欲しい」という願いで出されたマニフェストをことごとく投げ捨て、4年間は上げないと約束していた消費税も上げてしまい、ことごとく古い「自民党政治」に逆戻りしたから、国民は怒っているのである。
それどころか「政権交代だけでは政治はよくならなかった」「2大政党制は失敗した」という「実験結果と歴史的瞬間」を私たちは目前でしているのに、そのことについて4大紙は何一つ指摘しない。これでは権力におもねて、国民を権力側に誘導するマッチポンプではないか。巨大マスコミに「国民不在」も「決められる政治」も語る資格はない。
こうしたそれこそ「情けない」「支離滅裂」なことしか書けない4大紙に対して、ローカル紙は率直であり、分かりやすく、がんばっている。
例えば、
東京新聞の昨日の主張は最たる例である。
民主党への指摘では「首相は二〇〇九年衆院選の民主党マニフェストにはない消費税増税を強行し、明確な安全基準を欠いたまま関西電力大飯原発3、4号機を再稼働させた。・・・内閣不信任にも値する状況だ・・・」とズバリと言い当てている。
そして、3党合意については「今国会は結局、消費税増税法が先に成立しただけであった。 「一体」であったはずの社会保障制度の抜本改革は先送りされ、改革案を検討する「社会保障制度改革国民会議」の設置も見送られた。政府や国会の無駄削減も口先だけで実現されていない。民主党ばかりか増税に協力した自民、公明両党の責任も重大だ」と当然の指摘をしている。
また、政権としての責任を「政権与党として民主党の責任はより重い。お盆休み明けの終盤国会の運営は強引にすぎた。民主党は、赤字国債を発行するための公債発行特例法案と、小選挙区定数を「〇増五減」し、比例代表定数を四十減らして一部に連用制を導入する公職選挙法改正の同党案の衆院採決を強行した。野党の反発で成立しないことを見越して、歳入不足で国民生活に影響が出たり、衆院を解散できない状況が続く責任を野党側に押し付ける。政権与党としてあまりにも姑息(こそく)ではないのか。」と断罪。結局、民主・自民・公明とも国民の声に応えていないことを指摘したのである。
更に国会の運営責任については「なぜこのような状況に陥ることが回避できずに放置されたのか。指導力を発揮したとは言い難い横路孝弘衆院議長の責任もこの際、厳しく追及されるべきである。」と民主的運営に程遠いことをしっかりクギを指している。ここまで書けばマスコミの「公器」としての仕事ぶりは100点であろう。
今回の問責決議案をめぐって、巨大マスコミがいかに偏っているか。権力や巨大企業に必要以上に依拠する必要のない地方ローカル紙がいかに健全かが炙り出されたように思う。末期なのは民主党や自民党だけではない。巨大マスコミこそ、自分の寄って立つ場所を見失っていることをよく考えるべきではないだろうか。
Posted at 2012/08/30 17:25:58 | |
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