
またまた所属しているBMWのクラブメンバー他と、お出かけしました。今回は私、副幹事です。主幹事は、クラブメンバーのGさん。
y氏のフェラーリに、他のフェラーリ・ランボルギーニの方もお越し下さり、華を添えてくれました。
写真はフォトギャラリーをご覧下さい。
行先は、群馬の横川。関越~上信越道経由で「鉄道文化村」を一応の行先に。
現地で「『おぎのや』の釜飯」を昼食に頂いた後、めいめい行動。
ちびっ子さん
大きなちびっ子さん(:電車に萌える、僕をはじめとする人々)
近所の秘湯を目指す人や、軽井沢や浅間山へ足を伸ばした人
途中まで仕事の都合をあわせて合流してくれた人
色々の、気楽なオフミです。
ただ一つお気楽でなかったのが、行きの事故渋滞&帰りの渋滞。久々の晴れの日曜日とあって、一気に世間の人も繰り出したようですね。先日の
「みちのくオフミ」に続き快走できない欲求不満の私、
或る方を連れて、圏央道で変態走行して締めくくり(笑)。
参加下さった皆さん、お疲れ様でした&ありがとうございました。
★関連情報★
鉄道文化村 http://www.usuitouge.com/bunkamura/
おぎのや http://www.oginoya.co.jp/
近場の秘湯 http://www.newtons-eye.ne.jp/kirizumi/
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★クロニカルなお話★
ここ横川。長野新幹線開通と同時に、軽井沢との間が廃線になり、有名な碓氷峠越えがなくなってしまいました。
昔は在来線の最急勾配(1000分の67)があり、電車に補助の機関車をつないで、運転していたのでした(現役の、歯車等を使わず車輪だけで登る電車の最急勾配は、箱根登山鉄道の、1000分の80)。
今なら、ゆるい勾配になるようトンネルを掘ってループして登ったりするんでしょうが、土木技術のまだ発達していなかった明治大正の時代には、そうもいかずに、急勾配の地上線路を造って登ることにした次第です。それでもルート選定には苦労があったそうです。
横川は、その機関車の車庫があり、補助機関車を付け外しした、鉄道の要衝でした。「鉄道文化村」は車庫(横川機関区)の跡地を活用しています。
おぎのやの釜飯も、「汽車の時代」には、機関車の切離しの待ち時間に、車両の窓越しに買ったりできたんですね。今は横川駅ホームの売り子さんはなくなりました。
…クロニカルな話は尽きないので、この辺で!
Posted at 2005/10/24 19:08:59 | |
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