2011年03月20日
まずは・・・メールを下さった皆様本当にありがとうございました。
私も旦那も家族も皆元気です!
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本当に沢山のことが起きたので、何を書けばよいか・・・
同じ宮城なのに、
こんなにも被害状況が違うのか・・・とラジオやテレビを聞いては見ては、
茫然として過ごす毎日です。
私の住んでいるところは、被災地?と疑うほどの安全な場所のようです。
でも、やはりモノ不足、断水、電気・ガスが使えない場所も多く、
私も昨日は開店前にお店に並び、なんとか食べ物を買うことができました。
でも、買い物をしたり、食べ物が少しでも手に入るだけで、本当に幸せと思います。
ただ、女性ならではの問題・・・「生理用品」が買えなくて、
月経の量がとにかく多い私にとっては不安です、
とりあえず、大人用のオムツが手に入ったので、それを代用しようと思います。
あの日、正午まで新港にあるイベント会場の「夢メッセ」に旦那と私の両親の4人でいたんです。
旦那が「夜勤」と言うことが幸いだったのか、早めに帰ろうと、正午には夢メッセを後にし、
旦那とふたりで自宅に居たのが、何よりの救いです。
犠牲になった方々には、本当に申し訳なく思いますが、
あと2時間もゆっくりしていたら、私も津波に流されていたかもしれないと考える度に、
九死に一生を得たんだ・・・と思います。
「ここで地震きたらどうしようね?この間の震度5弱の地震も怖かったし・・・
津波なんかきたら海のそばだから大変よね・・・」
って、母親と話していたのですが、あれから数時間後に、現実のこととなるとは思いもしなかった。
あの日居た、夢メッセ、車を停めた駐車場、通った産業道路、通過した三井アウトレット、見たたくさんのトヨタの新車、石油コンビナートの煙突、東北電力の煙突、大きなお船、すれ違ったであろう車、すれ違ったであろう人々・・・
津波にのまれ、破壊され・・・。
あの時、目で見たものが、すべて無いのです。
福島の放射線で物資が届けられていない状況、
関東の被害はなかなか放送されない状況、
残酷な現状、でもこれが現実なんですね。
知り合いも、津波に流され、残念ながら帰らぬ人となりました。
毎日毎日、口にする食べ物、「食べてていいのかな?生きてていいのかな?」って、戸惑います。
おにぎり1個を、1日1回、3人で分け合ってる避難所の話を聞くと、
とてもじゃないですが、悲痛です。
町内では、班長として安否確認をとったり、被害状況を把握したりしていたのですが、
そこで知った、人の冷たさと残酷さ。。。
町内会館を避難所とし、旦那さんと連絡が取れない母子が数世帯3日間滞在していたのですが、
パン・水・おにぎり・バナナ・スポーツ飲料が沢山運ばれてきていました。
見た目で、ここに避難してきている人用とは言え、かなりの量でした。
でも、それを「あくまでも避難所に来た人のものだから」と、隠すのです。
「食べ物ないですか?」と来た町内の住民に、バナナしかありませんと平然な顔で言う会長や役員。
たしかに、賛否両輪あります・・・食べ物に殺到してしまい、混乱を招くかもしれないなど・・・
でも、こんなに沢山あるのだから、困ってるなら差し出してもいいんじゃないうだろうか?
と、私は思ったのです。
会長や役員さんが見ていないすきに、「食べ物が全然ないの」「子供もインフルエンザになってしまって」と言う母親が来た時に、袋に詰めるだけ詰めて、渡したりしました。
勝手な判断だったとは思いますが、私は後悔してません。
最終的に、3日後に会館を閉めた時には、大量のパン・おにぎり・飲み物・バナナが残されたのです。
おにぎり、ざっと80個
パン、さっと50個
バナナ、ざっと100房
ポカリ、ざっと30本
天然水、ざっと90本
唖然としました。
パンは、その日その日の賞味期限だし、
なんとおにぎりは、1日半前のもの。
なんて、贅沢な!
なんて、ひどい!
もっともっと大変な被災者が沢山いるし、町内の人も食べ物がなくてとても困っていた。
予備として会館に置いておきたい気持ちも解るけど・・・今をどうにかしなきゃいけないじゃない?
ここの町内会は、バカか?全然なってない!
と、旦那と話し、私は悔しくてなりませんでした。
今朝、早くに、弟が来たのですが。
弟は自衛隊の衛生隊なのですが、上司に、「もう少しで、次の部隊が被災地入りする予定だが、
人足早くに地元に帰れっ、被災地入りする時は連絡をする、その仙台の自衛隊病院で合流しよう」言われたらしく、岐阜から車いっぱいに、沢山の食べ物・薬・水・生理用品・オムツを積みやってきました。
宮城の被災地を順番に回ってくるんだそうです。
今日が宮城野区の避難所に行き、午後からは南三陸の被災地に行くとのこと。
白衣を着てお年寄りや子供への簡単な診察をしてまわったそうです。個人からの支援・物資となってしまいますが、嘘をついてでも被災者の為に少しでもと思い、弟が個人で動いてくれてる、実行していることが、とても嬉しく思います。
文句も言われるかもしれない、トラブルもあるかもしれない。
でも、人手不足な今そんなこと言ってられないんだ、簡単な問診しかできないけど、少しでも助けたいんだと言う、弟の気持が、何より暖かかったです。
私には、いま何もできない、だから少しでもと思い、カイロ・温かい衣服と子供用の飴などのお菓子を詰め込み、弟に託しました。
少しでも、援助できたら、嬉しいです。
半分愚痴にもなってしまい、大変申し訳ないです。
とにかく頑張しかない!
私も微力ながら協力したい!
Posted at 2011/03/20 11:57:36 | |
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