2006年03月20日
バックする事も許されない事態に陥った75。
その日はひとまずクルマ屋に75を預け、ヤフオク等で中古ミッションを探したり、
オーバーホール費用の算段にアタマを痛めたりしていた。
ところが、翌日。
担当のメカニックから予想外の知らせが届いた。
「ウチのお客さんで、部品取りの75持ってるヒトがいるんだけど、
場合によってはミッション譲ってくれるかもよ。」
と。
なんですと?
そう言うコトは早く言いなさいそれはありがたい。
「でも.....」
と、メカさんの言葉が続いた。
曰く、そのお客さん、長い事75に乗り、車体のヤレも激しくなってきたので、
別のクルマに乗換えたそうな。
ところが、乗り換えたクルマってのが
アルフェッタだという。
まぁ、なんというかちょっとアレな御仁だというのは想像に難くない。
なんでも、フェッタの足回りを75から移植して5Hのホイールを履かせられる様にしたり、様々なモディファイを行う為に75の骸を保存しているのだそうで、
ミッションはフェッタのギアに75の3速ギアを移植して
クロスミッションを作るおつもりだとか。
(ついでにLSDも移植すると言ってた。)
それゆえ、ミッションの譲渡に関してはかなり交渉が困難になりそう。と。
だが、身近にこんなチャンスがあるのを看過できるハズが無い。
ダメもとで交渉に挑む事にした。
次の週末。
その御仁と会った。
ワタシより5つ程年上だろうか、カジュアルなカッコながらも、
端々にセンスを漂わせる、中々の伊達男。
濃ゆいエンスーさんをイメージしてたワタシに、彼の風貌は少々意外だった。
クルマ屋の専務は、彼を「Iさん」と紹介してくれた。
早速要件を切り出したワタシに、「Iさん」はにっこりと微笑み、こう言った。
「私が必要なのは、75の3速、デフ、それとデフケースをかねる形状の75のミッションケースだけです。それ以外であれば、うっちさんが払える金額でお譲りしますよ。」
全く予想外の展開にあぜんとするワタシ。
そう、「Iさん」はワタシの75の3速は生きている事も織り込み済みだったのだ。
聞けば、彼のフェッタもモディファイのため、近々に入庫するという。
ワタシは半ば申し訳ないキモチで可能な支払い金額を伝えた。
「Iさん」は間髪置かずに返答してくれた。
「OKです。お譲りしますよ。」
ハナシはその場で決まったのだ。
それから約一月の間、
クルマ屋のガレージには、「Iさん」のフェッタ、ドナーの75、
そしてワタシの75と、3台のトランスアクスル・アルファがウマの上に並んでいた。
その間、クルマ屋で「Iさん」と顔をあわせる事はなかった。
ワタシの75が修理を終えてガレージを出る日、
「Iさん」からメールが届いた。
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『75は手の掛かるクルマだけど、キチンと手を入れてやれば、
キチンと応えてくれるクルマです。
お互いこれからも色々あるでしょうが、頑張りましょう。
75復帰、おめでとう。』
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
感激した。
彼に真のエンスー魂を見た気がした。
時は流れて、その年の秋も深まった頃、ばったりと「Iさん」と出会った。
フェッタもハード部分のモディファイが済んで、現在オールペンの仕上げに入っていると言う。
彼も相当に「走り好き」で、サーキット走行も嗜む、というハナシは以前から聞いていたので、
「来年は一緒にサーキットで走りましょう。」と話し、その場は別れた。
それが、「Iさん」と交わした、最後の言葉になった。
次回はいよいよ最終回。
Posted at 2006/03/20 21:17:01 | |
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2006年03月19日
そもそも、付き合いのあるクルマ仲間には
アルファ乗りが多かった事もあり、
75を購入してから、「走り」のステージは
峠道からサーキットへ移っていく。
そう、「アルファチャレンジ」への参戦である。
とはいっても、FFモダンアルファに混じってのグリッドスタートや
3台並んでコーナーに突入していくようなバトルなんて、
ワタシには自信が無いので、
走行会形式の中でベストラップを競う「AR100」クラスだ。
2年間、計3戦を走った中でのベストリザルトは
「AR100クラス優勝」
(出走2台)
そのときのシャンパンの壜はまだ飾ってある。
ま、そんな良い思い出もあるが、
75をサーキットで走らせて明らかになった問題点。
クラッチフルードが沸くのだ。
75のミッションは前述した通りエンジンから切り離されて車体後方に配される。
つまり、クラッチハウジング、ミッション本体、デフケースが一体式なのだ。
そして、ミッションとデフ(機械式LSD)の潤滑系は共用。
使用するオイルは90W-140という硬さで、元々シンクロの脆弱なミッションは
ギアがとても入りづらい。
H/Tやダブルクラッチを多用しても、
重いプロペラシャフトが等速で回転している為、
慣性が働き、アクセルレスポンスが今ひとつで、回転合わせも難しい。
ストレートエンドから1コーナー進入で一気に4速から2速へシフトダウンする場面では、
どんなに気を遣っても盛大なギア鳴りが発生するのだ。
実測データはないが、ミッションオイルの温度は
恐ろしい程上昇していたハズだ。
その上、デフ出口にはインボードディスクブレーキがあり、
その右キャリパーのスグ横を排気管が
我が物顔で堂々と通っている。
これら熱源のカタマリに対しての冷却対策は
ありません(涙)。
これが、
「疑惑の組立て」
と言われる所以か.......
クラッチスレーブシリンダーが弱っていたこともあり、
50分枠の走行会を走ると、ブレーキフルードとリザーブタンク内でつながっている
クラッチフルードはベーパーロックを起こすのだ。
ワタシャ、クラッチフルードが沸くなんて想像もした事が無かったですよ。
とにかく、そうなったらクラッチペダルは抜けた状態になり、自走も困難になる。
えーとね、
冷やせばなんとかなるんですけどね(爆)。
そんな事を繰り返すうち、
ついに、
ミッションブロー(血涙)。
シンクロがボロボロになった2速ギアを酷使した為、ついにはシフトフォークが折れて、
その破片はミッションケース内を自由遊泳。
その結果、すべてのギアの歯を
片っ端からなぎ倒してくれたのだ。
最終的には1速と3速のみが辛うじて入る状態で緊急入院(自走で)。
さあ、ミッションのオーバーホールなんて、とてもじゃないが予算がありませんよ。
どうする?降りるか?
と、悩みのさなかに、救世主が現れたのだ。
その出会いが、生涯忘れる事の出来ないものになる事など、
この時は誰も知る事は出来なかった.......
シツコイようですが、なにしろヒマなので、
つづくのデス。
Posted at 2006/03/19 14:55:39 | |
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2006年03月18日
あくまでも理想を追求した設計の75。
だが、それゆえに皺寄せが来ることもある。
エンジンとミッションを切り離したレイアウト。
つまり、
その間を取り次ぐプロペラシャフトは
常にエンジンと等速で回転し続けるのだ。
75のプロペラシャフトは3箇所のゴムジョイントで接続されているが、
モチロンこのゴムも
常にエンジンと等速で回転してる。
つまり、ある一定の間隔で、
ゴムが切れるのだ。
ええ、切れたのですよ。
一月足らずで。
あのな、
毎年ペラシャ降ろす乗用車ってどうよ。
そして同時に、
クラッチを切ると
ドコン!
というデカイ音が後ろの方から聞こえる。
これは、
ミッションマウント切れ。
納車一ヶ月にして、
はやくも
ミッションが降りました
オレ、こんなクルマ維持できんのか?
見てるヒトが少ないのをイイコトに
まだまだつづく。
Posted at 2006/03/18 07:47:11 | |
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2006年03月17日
初めてのFR車を峠に連れ出したその日。
ワタシはアルフェッタから連なる75の血脈をたどってみた。
DTMで大活躍し、アルファロメオブランド復活の立役者となった155以降の
モダンアルファ、
クラシックアルファとしてコアなアルフィスタ達から憬れの的であり続ける
ジュリア系105シリーズ。
その狭間に、地味に、しかしながら恐ろしい程マニアックな設計のクルマが存在した。
それがアルフェッタである。
その設計はレーシングカーさながらに、前後重量バランスを限りなく50:50に近づけた物である。
このブログのタイトルにも用いられている「トランスアクスル」とは、
フェッタに始まり、ES-30SZ/RZまでのモデルを象徴する言葉なのだ。
具体的にはエンジンとトランスミッションを切り離し、
それぞれを車体の前後に配置する事で重量バランスを保つレイアウトの事だ。
しかしながら、これらトランスアクスル・アルファを語る時、その量産車としてありえない程の徹底された重量バランスの哲学はこれだけにとどまらないのだ。
サスペンションアーム上の重量物を排除する為に、
フロントサスのバネはトーションバーを採用し、
リヤブレーキはインボードディスク式とするコトでバネ下重量を軽減している。
また、車体ロール時のタイヤ接地角変化を嫌ったのか、リヤサスペンションはドディオンチューブを使用し、ボディから吊り下げる形でチューブ中央部にミッションが配置されている。
量産乗用車に採用するにはあまりにも贅沢な設計だ。
だが、
それらの情報を集めた後、TA系アルファを評した
この言葉が出てきたのだ。
「魅惑の設計、疑惑の組立て。」
それから一月も経たないうちに、ワタシはその意味を身を以て理解するのだ.....
続きはまた明日。
Posted at 2006/03/17 21:04:48 | |
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2006年03月16日
約4年前。
いつもの週末、いつもの峠道。
残り2分山程にすり減ったGRIDⅡは、半年前に新品で購入したタイヤだった。
わずか75psのSOHCエンジンだが、750kgの車体重量は大いなる武器だ。
下りなら峠道で後続車に道を譲る必要はない。
その日も、ほとんど直管のエキゾーストパイプから盛大に爆音をまき散らし、
ワタシはAXを駆っていた。
背後には有り余るパワーで迫る国産ターボ4駆スポーツ。
ブラインドコーナーにさしかかった刹那、
センターラインを割って対向車が飛び出してきた。
その瞬間、ラインギリギリに定めていた立ち上がりに迷いが生じた。
「このままでは衝突する。」
その迷いが、全てを決した。
タイヤ1本分アウト側にラインを変更したが、
そのラインは既に路側帯だ。
砂埃を溜めた所に目一杯トラクションの掛かったフロントタイヤを突っ込む事になる。
結果、対向車との正面衝突は避けられたが、橋の欄干にオフセット衝突し、
AXはその機能のすべてを停止した。
2週間後、いつもお世話になってるクルマ屋さん。
「うっちさん、少し気分変えてさ、フランス車から離れてみない?」
そう言ったのは、いつも用もないのにオジャマしてるのに
クルマ談義の相手をしてくれる専務。
今時珍しい、人情肌の親分ってカンジで、
気に入った客とは、商売上、多少損してもとことん付き合うという人だ。
ワタシの懐具合を察してくれての提言で、
長期在庫になってるパンダ、75なら仕入れ値で出す。
というのだ。
そんな訳で、フランスのハッチバック以外眼中に無かったワタシが、
75を選んだ。
理由はただヒトツ。
最後のFR「リアル・アルファロメオ」。
これからおこる様々な出来事も予想すら出来ない、
殆ど「出来ちゃった婚」的な選択だったのだ。
納車日の帰り道、2速でレッドゾーンまで引っ張ってみた。
魂を奪われた。
これほど感情に直に訴えかけるエンジンをワタシは知らなかった。
アクセルを深く踏み込む事を要求してくるかの様な回り方。
トランスアクスルの何たるかを知る事も無く、
ワタシはそのままいつもの峠道へステアリングを切っていた。
※306の納車までしばらく時間があるので、できるだけ毎日
75との思い出を綴っていきます。
スルーの方向でヨロシクどうぞw。
Posted at 2006/03/16 22:36:38 | |
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