うちの娘は あたしの人生において 『舵』でアルことが ままアル。
トキとして彼女達は、「わがままな正直」 と 片付けられない まっすぐな
そのもの現すような
利害や世辞等が 一切ナイ白刃のような 言葉を発する。
「おうちゃん 遊んで」のひとことで うつ病 が治った。
「おとうさんの卵焼きがたべたい」で 料理 を身につけた。
親兄弟は、おろか親友・かみさんに至るまで
嫌なコト・出来ないと想ったコトは 聴き入れ
ない あたしだが・・・
この娘達の一言に あたしの心が「そうか」 と、感じたトキ。
「しょうがねぇな」の間短く 「よし!」とキメて、やって来た。
たとえその時は 突拍子のナイことでも・・・妙に納得しつつ
なぜか使命感を感じつつ。
「どうして おとうちゃんはそれが 出来るようになったの」
の問いに
「お前が それを 望んでくれたからだよ」
って お礼を言えるように・・・・・。
まぁ「親馬鹿」と 笑ってクダさいまし♪
前置きが 長くなりました。
昨夜 夕食の席 家族と食事しながら、なんとなく この頃
やたらしっくりこない 今の生業
と、定年が少々近づいてきた将来を 想ってみた。
ふと かたわらの娘に 聴いた。
「おとうちゃんさぁ
仕事 なにが あってルかなぁ?」
「うーん。画家。」
即答の 飾りの無い 当たり前のような口ぶり。
それに「そうか」と想ってしまった。
この場合、障害・利害は問題外で決めます。
で 画題は 『むす眼』。
ちょおと気を入れた「証明」です。
なれますかねぇ 『画家』
Posted at 2015/02/09 23:10:09 | |
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