
12月は母の命日があるので
先日は実家で三十三回忌の法要をしました。
あの時は、悪夢だとあってほしい。
死んだことは受け入れたくなくても事実で、
受け入れないといけない、
だけどそんな事は無理。
さみしい、苦しい、悲しい、
言葉では現せない深い悲しみや
絶望感でいっぱいでした。
「なんでお母さんいなくなったの、
なんで連れていってくれなかったの」
母親という見本となる人がいなくなり、
これからどうすればいいのか…これからどう生きていいか分からない…。
あの時と変わらない
自分でいることに気がつきました。
どう生きていけばいいのか、全く分からない
どうしたいのさえも考えられない。
長い年月が過ぎたんですけどね…。
父だって、お母さんの為に買ってあげた洋服のしまってあるタンスを片付け、仏壇を置くなんて辛かっただろうに…
いつも簡単な料理を実家に持って行くと、
(育ててくれた)おばあさんの味だ!
なんて喜んで食べくれる兄だって、本当の母親が作る手料理を
もっと食べたかっただろうに。
(私もほとんど母の味は覚えていないです)
仏壇の前に座りお経が始まり、
私は母の冥福を祈る余裕がなく
悲しいことばかり
考えてしまった
ずーっと泣くだけの
法要になってしまいました。
ごめんね。
母の言葉を聞いたというのは、
この日来てくれた母の妹の叔母が泣きながら
「きょんの傷の事は本当に申し訳ないことをしちゃったって…
言ってた…」
昔に母とした会話のことを言ったんです。
赤ちゃんの時の事故で、傷があるんです。
恥ずかしながら
よく母を思い泣くのですが、
この傷を見る時にも泣いてしまいます。
今でも傷がよくなればと病院にも行ったりしています。
そんな苦労話は叔母には話していません。
なんで急にそんな話しして、、?
もっと違う思い出話しがあるはずだけど…。
見えたりすることもあるし、叔母は知ってるはずだし
きっと今日も叔母は傷を見たんだろう…。
しばらくして
「あぁ、そうか…」
母がこの事でいつも泣いている私に
お詫びを言ってくれたのかなって。。感じました。
思春期になって傷の事は気にするようになったから
母がいる時には、原因とかその傷のことは何も話したことないもんね。
お母さんのせいでないから。
全て決まってた起こるべきことだから。
そう言えば、
母の言葉はずーっと前にも聞いたことがあります。
育ててくれたおばあさんは、
時々亡くなった人と話をしてるみたいでしたよ・・・。
母が死んですぐの話しです。
お母さんは、お前の事を心配してたよ
「きょんの事を宜しくお願いします」って私に言ってきたって…
亡くなってから
そんなようなことで
母の言葉を2回目ほど聞きました。
心配してること、心配させてることも分かりました。
それと、鈍感なきょんさんでも、あれっ?
て思うことがあるんです。
きっと合図をくれるんですね。
それは心配してる母かおばあさんからだと思っています。
今日改めて、
2人のお母さんの冥福を祈りたいと思います。
Posted at 2013/12/13 00:06:16 | |
トラックバック(0) |
家族 | 日記