今週末こそは車に乗ろうと思っていたのですが、雨模様で断念。
ドライブしていないので、ブログネタがありません。
というわけで、3回連続の日産ネタです。(汗)
前回のブログでも取り上げた日産の名車と言えば「スカイライン」と「フェアレディZ」です。
実は、車に興味を持ち始めた頃、この2車種にはあまり良い印象を持っていませんでした。
スーパーカーブームで車を覚え始めた時、スカイラインはC210(ジャパン)、フェアレディZはS130が登場したのですが……
ジャパンは『カッコ悪い』
S130は『大きく、重くなった』
そんなマイナスイメージしかありませんでした。
ですが、車に関する知識が深まっていくと、2車のもつ歴史を知り、それと同時に、日産という会社のイメージも変わっていったのです。
そんな訳で、2車の歴史を振り返ってみましょう。
まずはスカイライン。
そもそもスカイラインは日産の車ではありませんでした。
まあ、ある程度の年齢の方ならご存じでしょうが、日産自動車に吸収された『プリンス自動車工業』の車として登場しました。
ただ、スカイラインの名を有名にしたのは2代目のスカイライン、それも 本来1.5ℓ4気筒エンジンを積む車に、グロリア用の6気筒エンジンを搭載した“スカイラインGT”でした。
1964年の第2回日本グランプリにおいて、生粋のレーシングカーであるポルシェ904を相手に、スカイラインGTは 一瞬ではありましたがポルシェの前を走ったのです。
まあ、実力差があり過ぎるので、ポルシェがすぐに抜き返し、最終的には大差をつけてポルシェが優勝したんですがね。(実は、ドライバー同士が仲良しであったため、スカイラインに乗る生沢に頼まれて ポルシェの式場がわざと先に行かせたという話もあるのですが)
何にしても、直6エンジンを積んだ車にGTを名乗らせるというスカイラインの不文律は、この時に誕生したのです。
続く3代目は、プリンス自動車時代に開発がスタートしたものの、日産スカイラインとして登場しました。
そして、ハコスカと呼ばれたこの3代目の時に、伝説の名車 GT-R が誕生したのです。
スカイラインGTには、合併に伴い 日産系のL型エンジンが搭載されましたが、GT-Rには、プリンスが開発したレースカー R380に積まれたエンジンをベースにした S20型エンジンが搭載されています。
このGT-Rはレースで「49連勝」したことで伝説となりました。
4代目は、CMで「ケンとメリーのスカイライン」というキャンペーンを行ったことから、ケンメリと呼ばれました。
大きく、立派に見えるボディになった事もあって、ケンメリはスカイライン史上最多量販車となったのです。
このケンメリでも GT-R は用意されましたが、排ガス規制に対応できず僅か3ヶ月で販売打ち切りとなり、販売台数は197台に留まりました。
ハコスカと打って変わって、スタイリッシュなファストバックスタイルとなりましたが、個人的には大きく重い印象があって好きではありませんでした。
うーん、ガキの頃からライトウェイト好きだったんですねー。
5代目は、これもCMの「スカイライン ジャパン」というキャンペーンから、通称ジャパンと呼ばれました。
ケンメリも同様ですが、排ガス規制で牙を抜かれ、スポーツセダンと呼べるような性能ではありませんでした。
ツインカムエンジンを復活させていたトヨタに、「名ばかりのGT達は、道を開ける」とCMで挑発されたりしていました。
そんなスカイラインも、ターボエンジンの搭載で一矢を報いますが、スポーツセダンとしては物足りないものでした。
冒頭でも書きましたが、この“ジャパン”はカッコ悪いと感じました。
ハコスカのようなノーブルな3BOXスタイルでもなく、ケンメリのスタイリッシュなファストバックスタイルでもない、ジャパンのスタイリングは意味不明な尻下がりで、まるで定規で線を引いただけのようで細部の処理にも丁寧さを感じませんでした。
カースタイリングについて勉強した事のない小学生の頃なので、直感で「カッコ悪い」と感じたのですが、今見てもカッコ悪いかなー。
6代目は、CMキャラクターだったポール・ニューマンから、ニューマン・スカイラインと呼ばれました。
直線基調のクリーンなスタイリングには好感が持てます。
なお、このスタイリングテイストは、それまでデザインで混迷を極めていた日産にとって、久々のクリーンヒットとなった 910ブルーバードのものに準じています。
510 や 910 など、奇をてらわずにオーソドックスなデザインをすれば、日産もいいデザインが出来るのに、と思ったものです。
なお、ニューマン・スカイラインでは、直4のDOHC 4バルブエンジンであるFJ20を積んだ RS が追加されました。
個人的には、「何故、4気筒?」と思ったのと、「4気筒なら、ブルーバードに積めばいいじゃん」と思ったのですがねぇ。
7代目は、そのものズバリ 7th(セブンス)スカイラインと呼ばれました。
日産は、7thスカイラインを、ハイソカー・ブームで大ヒットしていたトヨタのマークⅡ3兄弟のライバルとして仕立てました。
長らく設定していた2ドアをラインナップから外し、4ドアセダンと4ドアHTの2本立てにしたのです。
ですが、市場からはNOを突き付けられます。
結局、1年後に2ドアクーペが追加されました。
この頃の日産の混迷は、6気筒エンジン群にも表れていて、セドリックにはV6(VG型)、スカイラインには直6(RB型)、ローレルにはV6/直6の両方を搭載するというちぐはぐさでした。
8代目からは、型式である R32 で呼ばれることが多くなりました。
R32では、遂に伝説の車 “GT-R” が復活しました。
レースでは、ハコスカの49連勝には届きませんが、29連勝を飾りました。
もっとも、日本ツーリングカー選手権(JTC)というカテゴリーが終わってしまった為、29連勝で止まっただけで、R32 GT-Rはカテゴリー終了まで無敗のままでした。
9代目の R33 は、3ナンバーサイズとなりました。
GT-Rも引き続き設定されていたものの、大きく重くなってしまいました。
これは、スポーツカーとしては高評価だったものの、セダンとしては決定的に狭かったR32の反省のもと、ホイールベースを100mm以上延長したためです。
一説には、2ドアクーペはショートホイールベースの予定だったものの、コストカットの為にセダンと共通化することになったんだとか。
大きく重くなったR33は不評で、R33型が発表されたとたんに在庫のR32に注文が殺到したそうです。
10代目の R34は、不評だったR33のネガを消すべく、ホイールベースを短縮します。
R34でも GT-R は設定されましたが、これが最後のスカイライン GT-R となりました。
一方の4ドアセダンはというと、ホイールベースの短縮は居住性に響きます。
ところが、全長は R33 と大して変わらないんですよね。
ホイールベース短縮分は後輪が前に移動した感じで、リアオーバーハングが異様に長く感じました。
モデルチェンジのたびにチグハグさを感じたスカイラインは、R34の後継車種の開発が行われておらず、このままラインナップから消える筈でした。
その一方で、日産は新しいスポーツセダンとして XVL というコンセプトカーを、1999年の東京モーターショーに出展していました。
ブランニューのスポーツセダンになる筈だったXVLに、カルロス・ゴーンがスカイラインのネームバリューを利用することにしました。
こうして、11代目スカイライン V35 が誕生しました。
もっとも、予定外の次期型が登場したことにより、R34スカイラインは GT-R を除いて、わずか3年で生産を終えることになってしまいましたが。
その後のスカイライン、V35、V36、V37 は もはやスカイラインと言えないような気もします。
まぁ、V37のマイナーチェンジで登場した 400R は、往年のスカイラインっぽい感じもしますけどね。
続いて、フェアレディZです。
もっとも、フェアレディの名を冠しているのは日本だけで、世界的には Z であり、北米では Z-Car(ズィーカー)と呼ばれています。
その Z の誕生は、1960年代当時、米国日産の社長だった片山豊氏が、北米市場拡販のための強力なイメージリーダーとなるモデルとしてスポーツカーの開発を要望したことから始まります。
この辺の開発経緯は NHK のプロジェクトX で紹介されましたから、詳しく知りたい方はそちらをどうぞ。
初代のS30 は北米で大ヒットしました。
足掛け10年の間生産されたS30は、世界総販売台数55万台を記録、世界で最も売れたスポーツカーと呼ばれました。
2代目のS130は、特徴的なヘッドライト形状なども踏襲した、キープコンセプトで登場しました。
スカイラインのところでも書きましたが、S130もボディが大型化し、一方で排ガス規制のためパワーダウンしており、スポーツカーらしいパフォーマンスは期待できませんでした。
3代目のZ31は、ロングノーズ・ショートデッキという Zらしいスタイリングではありましたが、Zの特徴だったヘッドライト形状をセミリトラクタブルヘッドライトで表現するなど、イメージは大きく変わりました。
また、エンジンも 長い直6エンジンから、V6エンジンに変更したことで、重量配分を考慮した車になった(筈)でした。
Z31では、3.0ℓターボのVG30ETで 230psを誇り、S130の2.8ℓ(L28E)155psから一気にパワーアップを果たしました。
ただ、あれだけV6エンジンの優位性を訴えていたのに、マイナーチェンジで直6のRB20DETを搭載してしまいます。
この辺が、日産車に拘りを感じられなかったところですね。(まぁ、日産社内で V6に拘る人と 直6に拘る人がいて、お互いに拘り続けたからこうなったんでしょうけど)
4代目のZ32は、文句なくカッコいい車になりました。
正直に言うと、私はZ32のデザインはジウジアーロだと思っていました。(実際は、前澤義雄氏など日産自動車デザイン部の作品でした)
Z31が登場した時、「何故、ミッドシップにしなかったんだ」という声が聞かれたそうです。
スポーツカーとしての Z31 に満足できない層が少なからずいたのです。
しかし、Z32が出た時には、ミッドシップ化を求める声は無かったと言います。
それだけ、スポーツカーとして完璧だったのでしょう。
ホント、901運動の頃は、デザインでも世界一だったんじゃないかと思います。
Z32が登場した1989年は、日本車のヴィンテージイヤーでした。
R32スカイライン、初代セルシオ、初代マツダ(ユーノス)・ロードスターといった名車たちが誕生したのです。
しかし、セルシオ、ロードスターが順調に後継車にチェンジしたのに対し、日産はR32のモデルチェンジに失敗、Z32に至っては後継車の開発も行われず、2000年に生産を終了しました。
しかし、カルロス・ゴーンが Z の復活を指示、2年後の2002年に5代目のZ33が登場します。
Z32が、途中から改良もされずに放置されて11年を過ごした反省から、Z33は年次改良が加えられていきました。
そして、6年半で次期型のZ34にチェンジされるのです。
2008年に登場した 6代目のZ34は、多少灯火類のデザインに癖はあったものの、基本的にキープコンセプトでした。
Z32の時の放置を反省した筈でしたが、日産はまたしてもZ34を放置します。
Z34は今年で12年目を迎えており、Z史上、最も長期間モデルチェンジせずに作り続けられている車になってしまいました。
9月16日、ようやく新しい Z が発表されます。
もう、日産には Z を作るような余裕は無いのかもしれないと思っていただけに、新型Zの登場はうれしく思います。
噂されるエンジンは 3.0ℓV6ターボだと言いますから、スカイライン 400Rのエンジンでしょうか?
Z には MTも用意されると言いますから、スポーツカー好きにも受けそうです。
あとはデザインが魅力的ならば、Z は売れるんじゃないでしょうか。
Z は販売台数が稼げる車ではありませんから、日産の利益には繋がらないかもしれません。
ですが、イメージリーダーカーが売れればマインドは上がります。
新しい Z には頑張って欲しいですね。