予想通りというか、この手の書き物になると、色々と内容を詰め込み過ぎて長文になる傾向があるタケラッタ。
今回もしっかり内容を詰め込み過ぎて、1回では収まりませんでした。(汗)
「チャターマーク」、「カチカチ山のたぬき」、「電気あんま」
ロータリーエンジンの量産を阻む、幾多もの問題を解決すべく、ロータリーエンジン研究部が発足します。
松田社長からRE研究部長を任命されたのは山本健一氏、後の三代目山口組若頭にして、山健組初代組長……、じゃなくて!
後にマツダ5代目社長となった方であります。
ロータリーエンジン研究部には、既存車種の開発を担うベテラン社員ではなく、若手社員総勢47人が集まりました。
この47人という人数から、赤穂浪士にあやかって
『ロータリー47士』と呼ばれる様になりました。
ロータリー47士は、文字通り“寝ても覚めても”ロータリーエンジンの問題解決について考えていく事になったのです。
チャターマーク
NSUから送られてきた試作エンジンは、ベンチでの試運転中に突然停止しました。
エンジンをばらすと、ローター内の壁面に波状の摩耗が起こっていたのです。
これが“チャターマーク”、別名「悪魔の爪痕」です。
様々なテストを実施した結果、単に高回転で回すだけなら、然程 問題は発生しないものの、実際の走行条件に合わせて回転数を変化させると問題が発生する事が判明します。
マツダがライセンス契約するとき、NSUによるデモンストレーションでは エンジンを一定の高回転で回して「ほら、こんなに振動が少ないでしょ」と自慢していたそうですが……
当時、著名な学者の中には「ロータリーエンジンは絶対に不可能だ」という烙印を押す者さえおりました。
そんな厄介な代物、ロータリーエンジンの息の根を止めるチャターマークは、アペックスシールの固有振動数が原因ではないかと思い付き、アペックスシールの改良によって問題解決を目指す事になります。
アペックスシールに穴を開けてみたり、材質の見直しを行ってみたり……試した材質は 動物の骨 から 貴金属 までに及びました。
そして、アペックスシールに縦と横に穴を開ける「クロスホロー」、そしてカーボンにアルミを混ぜたカーボンシールによって、遂にチャターマークを克服したのでした。
カチカチ山のたぬき
試作車に積まれたロータリーエンジンがテストコースを走りだすと、もうもうと白煙を吐き出しました。
まるで、お尻に火が付いたような状態で走るテスト車。
その様子を見た技術者たちは「カチカチ山のたぬき」と名づけました。
白煙の原因は、燃焼室内に漏れたエンジンオイルが燃焼したからなのですが、それじゃ何故オイル漏れするのか?
要因は色々とありました。
ロータリーエンジンの肝とも言える繭型ローターハウジングとローターとの気密性も勿論 要因の一つではありましたが、主要因はサイドハウジングの方でした。(アペックスシールに関しては、チャターマークの問題の方が大きかった)
まずは、オイルシールでの気密性を確保するにはサイドハウジングの平面度が必要です。
加工精度、そして 耐摩耗性も製品寿命が尽きるまで確保出来ねばなりません。
しかしながら、一番の問題はオイルシールそのものでした。
本家 NSUのシール方法では上手くいきません。
マツダは、Oリングを追加、しかもその材質にゴムを使うという、常識外れの手を使ったのです。
常識的な考えでは、高温になるエンジン内部にゴム製パーツを使っても融けるだけ。
しかし、ゴム製Oリングは融けませんでした
燃焼室はともかく、ローターの中心付近は 意外と高温になっていなかったのです。
これにより、エンジン内部のオイル漏れ「カチカチ山のたぬき」問題も解決されたのでした。
電気あんま
「チャターマーク」、「カチカチ山のたぬき」と問題を解決していったロータリー47士に、最後の難問「電気あんま」が立ちはだかりました。
電気あんまとは、異常燃焼によって発生する振動問題で、さながらドライバーは運転中に電気あんまを掛けられているかのような振動にさらされていたのです。
量産されたロータリーは、レシプロエンジンに比べて振動の少ないエンジンとなっていましたから、「ロータリーエンジンで振動?」と思われた方も多いかもしれません。
また、NSUが開発に成功した“ヴァンケルエンジン”は、レシプロエンジンに比べて「振動が少ない」という触れ込みでした。
しかし、実際には低速時には上記の様な異常な振動があったのです。(NSUがデモンストレーションでは高回転で回していたのは前述の通り)
振動の原因は、吸気ポートと排気ポートが同時に開くオーバーラップによって燃焼が不安定になった事でした。(低回転域では、高温な排ガスと吸入された混合気が混ざる為、燃焼が不安定になり易い)
吸排気のオーバーラップを調整すると言っても、4サイクルレシプロエンジンの様なバルブが存在しないロータリーエンジンは、容易に吸排気のタイミングを変える事など出来ません。
しかし、マツダは発想の転換でこれを解決します。
給排気ポートはローターハウジングの内周面にあるものと言う常識から離れ、サイドハウジング側から吸気する事としたのです。(ペリフェラルポートから サイドポートへの変更です)
ちょっと上の図では判り難いので、RX-8に搭載された 13B-RENESISの説明図も貼っておきます。
上図は排気ポートのサイドポート化の説明ですが、NSUのオリジナルは両方ともペリフェラルポートだったので、オーバーラップが非常に大きかったのです。
吸気側をサイドポートとすることで燃焼は安定、また量産エンジンを2ローターとしたことで、振動はさらに安定しました。
三角形のローターなので、1回転する間に 各辺で爆発(燃焼)する為、3回の爆発が発生、2ローターなので6回爆発する事になります。
これって、完全バランスと言われる直列6気筒エンジンと同じですからね。(まぁ、そもそも ロータリーエンジンは始めから回転運動なので、完全バランスもクソも無いんですが……)
実用化に向けての 様々な難題を解決し、遂に世界初の実用・量産ロータリーエンジン搭載車としてコスモスポーツはデビューしたのでした。
それは、プロトタイプが 1964年の東京モーターショーで発表されてから3年後、1967年5月の事でした。
マツダ以外には、世界中のどのメーカーも成し得なかったロータリーエンジンの量産化。
コスモスポーツの登場によってマツダは技術力を示し、3輪トラックメーカーに過ぎなかったマツダは、トヨタ、日産に次ぐ 国産自動車第三位のメーカーとなっていったのです。
ちなみに、世界初のロータリーエンジン搭載車は、本家 NSUのヴァンケル・スパイダーです。
しかし、NSUはオイル消費量やアペックスシールの問題が解決できておらず、実用・量産という意味ではマツダ(=コスモスポーツ)に遠く及ばない代物でした。
NSUは Ro80という、ロータリーエンジンを搭載した4ドアセダンも出しますが、依然として問題解決には至っていませんでした。
Ro80は、オイルシール不良によるエンジン交換などのトラブル対応に追われ、会社経営を圧迫。
遂には、1969年にVW傘下のアウトユニオン(現在のアウディ)に吸収され、消滅しました。
もしマツダがロータリーのエンジンの開発に成功していなかったら、NSUと同様に、トヨタあたりに吸収されて消滅していたかもしれませんね。