父の葬儀を終え、少し気持ちが落ち着いてきたのですが、手続き等のやらなければならない事が待ち受けており、そちらの意味では落ち着かない日々は続きます。
さて、みんカラですので、父の 車にちなんだエピソードを振り返ろうかな と思います。
父と車とは言ったものの、子供の頃の思い出に我が家の車はありません。
それと言うのも、父も母も車の免許を持っておらず、自分で免許を取得するまで、我が家に車はありませんでした。
それ故、どこに行くにも 電車等の公共交通機関を使用していました。
父の実家がある長野への帰省の時も、国鉄時代の電車だったり、JRになって本数が少なくなると高速バスを使っての帰省でした。
前述の様に、我が家で最初に免許を取得したのは私であり、我が家で最初の車は、練習用の車として購入した「カローラ 1500GLサルーン」でした。
写真はネットでの拾い物で SEサルーンですが
それまで車とは無縁の生活だった為、中古車の買い方も分からず、とりあえず通学時の京急の車窓から見えていたトヨタの中古車センターに父と2人で行きました。
車種選択は私に一任されましたが、使い勝手を考慮し「4ドアセダン」、トラブルの心配の少ない「新しめの車」として、上記の車を選びました。
確か80万円くらいで、上記の条件でその店で一番安い車でした。
お金は父が出してくれるというので、私なりに遠慮したんでしょうね。(笑)
父は「それでいいのか?」って言ってましたけど…。(汗)
カローラが納車されると、父が初心者マークをつけての練習走行に付き合ってくれました。
自分では運転しないのに妙に道に詳しく、練習コースをナビゲートしてくれました。
「高速道路も乗っておいた方がいい」と言って、横浜横須賀道路の朝比奈ICー逗子ICの一区間を走りました。
その走りで『大丈夫』とでも思ったのか、免許取得早々に、父の実家のある長野県まで車で帰省する事になり、逗子から駒ケ根ICまで走りました。
その時、初めて「もう少しいい車(高い車)にしておけば良かった」って思いましたね。
何しろ、カローラ 1500GLサルーンは “4速MT” だったので、中央道の制限速度80kmでもエンジンがうなりを上げていました。(汗)
初心者で高速道路の運転経験も横浜横須賀道路の一区間のみ、そして制限速度でうなりを上げる車ですから、運転に余裕などある筈もありません。
ただひたすらに、後席の父からの指示に従って運転していました。(ちなみに、助手席には母が乗っていました)
全く運転に余裕のない初心者でも無事に運転できたのは、やはり妙に道に詳しい父のナビゲートのお陰でした。
その後、車が「アコード 2.0Si」になり…
こちらの写真もネットでの拾い物
「プリメーラ 2.0Tm」になっても、父は後席から行き先を指示してくれました。
こちらの写真もネットでの拾い物
お陰でカーナビが無くても道に迷う事は無かったですね。(まー、まだカーナビ装備は一般的ではありませんでしたけどね)
何でそんなに道に詳しいのか?
「仕事で車に乗る事が多いから」的な事を言っていましたが、銀行マンが職業柄車に乗るかというと、出張で車移動するくらいでしょうから、実際は「仕事で車に乗る事もある」程度でしょう。
きっと、旅行計画と共に、道路マップを見ながら旅行のルートを調べてくれていたんだと思います。
計画的なところ、そして、事前調査するところも、父らしいと思っています。
そんな、ナビゲータとしては最高な人でしたが、一点だけ難点が。
ちょっとでもスピードを出すと「そんなにスピードを出すなよ」と言うのです。
4速MTのカローラの時ならいざ知らず、GT2で長野へ帰省した時も 100km/hを超えると「そんなにスピードを出すなよ」って…。(汗)
お陰で、GT2でも“キープレフト”、営業車のプロボックスにぶち抜かれてました。(爆)
そんな父の影響か、今でもどんな車に乗っても基本は “キープレフト” です。(笑)
ドライブ中に常に正しい行き先を示してくれた父。
ある意味、正しい人生を示してくれた『最高のナビゲータ』だったのかもしれません。
うーん、我ながらきれいに纏められたナ。
Posted at 2023/08/18 01:41:14 | |
トラックバック(0) |
家族 | 日記