1991年、マクラーレンMP4/6
ふたたびカーナンバー1となったセナ。
ホンダは昨年までのV10からV12にエンジンを切り替えました。
その際、大きくなった燃料タンクの為でしょうか、サイドポンツーンは高くなり中央部をラウンドするような―――まるでフェラーリの640シリーズのようなデザインになっていました。
セナはジョークで「フェラーリのような車に乗りたいと言ったらこうなった」と言ってました。(笑)
開幕直前にようやく完成したMP4/6は、開幕戦がシェイクダウンという状況でも勝ってみせます。
そしてブラジルGPでは遂にセナが母国GPで勝利を飾ります。
傍目には危なげない勝利、終盤は勝利を確信してのクルーズ状態―――しかし実態はギアを無くして6速トップギヤのみという絶体絶命の状態でした。
チームの無線を傍受していた現地TVがひろったセナの声にならない叫びが印象的でした。
開幕4連勝と最高のスタートを切ったMP4/6とセナですが、ウィリアムズが信頼性を増してくると、シーズン中盤は完全に勢いが逆転します。
この年、エイドリアン・ニューウェイが加わって空力的に洗練されたウィリアムズに、ホンダパワー頼みでウィングを立てるしかないマクラーレンは次第に敵わなくなっていくのです。
そんな状況で迎えたのが第10戦ハンガリーGP、直前に本田宗一郎氏が死去していて、喪章を付けて挑んだレースで、セナはポールトゥーウィンを果たし、6戦ぶりに優勝するのです。(この辺は、1988年のイタリアGPのフェラーリを思い起こさせますね)
その後、イタリア、ポルトガル、スペインと、ウィリアムズに3連勝を許しますが、ポイント上では開幕4連勝が効いていて、またしても鈴鹿でチャンピオンを決めたセナでした。
この年、セナは7勝、8回のPPを獲得します。
サーキットによってはウィリアムズに敵わなくなったマクラーレンMP4/6ですが、それでも全16戦の約半数で勝利、及び PPを獲得しているのですから、さすがセナと言えます。
1992年、マクラーレンMP4/7A
この年の前年、1992年でのウィリアムズ移籍に関する交渉が行われていました。
既にシャシー性能はウィリアムズが上回っていましたし、セナも乗り気でしたが、ホンダやマクラーレンに説得され、マクラーレンに残留します。
また、ハンガリーGPで本田宗一郎氏の死去に伴い、喪章をつけてレースに臨んだセナに、ホンダに対する強い思いがあるのを感じ取ったフランク・ウィリアムズは、セナ獲得を諦めたといいます。
しかし、「やはりウィリアムズに移籍しておけば良かった」と思わせる状況が、開幕戦から起こっていたのです。
ウィリアムズが、前年のFW14をベースにリアクティブサスペンションを装備したFW14Bが圧倒的な速さを見せるのです。(ちなみにウィリアムズはFW15を用意していたのですが、出す必要がなかったため、FW14Bのままシーズンを終えます)
マクラーレンは、シーズン序盤を新車MP4/7ではなく、信頼性を優先させて 改良型のMP4/6B で乗り切ろうとしました。
しかし、旧型のMP4/6B ではウィリアムズに太刀打ちできない為、急遽 第3戦ブラジルGPより新型のMP4/7Aを投入する事にしたのです。
MP4/7は、シーズン中のBスペック投入を前提として、当初からAスペックとしてMP4/7Aと名乗る異例の展開。(もっとも、MP4/7Bが投入される事は有りませんでした)
さらにはMP4/7Aを投入したブラジルGPのマクラーレンのピットには旧車MP4/6Bが3台と新車MP4/7Aが3台、 計6台が並びました。これはMP4/7Aがまだテスト不足で信頼性に欠ける為でした。 しかしセナは、MP4/6Bでは負けることは明白であると判断し、 敢えて新車を使うことにしたのです。
そのMP4/7Aですら2台のウィリアムズには敵いません。何とか3位をキープするもペースが上がらずセナを先頭に数珠繋ぎとなります。結局、新車特有のトラブルで母国GPをリタイアで終えます。
その後も勝ち続けるウィリアムズ&マンセルは、去年セナが成し遂げた開幕4連勝をアッサリと更新してしまいます。
そして舞台はモナコ、モンテカルロ市街地コースとなる訳です。
順調にレースをリードするマンセル。
しかし左リアタイヤのトラブルでピットインを余儀なくされる。
ラスト数周、セナのマクラーレンの後ろで、右に左にラインを変えてプレッシャーをかけるレッド5、マンセルのウィリアムズ。
しかし、セナはマンセルを抑え続け、遂に1992年の初勝利を挙げます。
マンセルの開幕6連勝も、モナコ初勝利も、ルノーエンジンのモナコ初勝利も、何もかもが消えた、モナコ50回目に相応しい熱戦でした。
しかし、この年のマクラーレンのマシンの劣勢は明らかで、セナはこの年、優勝3回、PP1回で終えるのです。
追い打ちを掛けるように、ホンダが、この年をもってF1活動を一時休止する事を表明します。
セナは、来期の展望が見えない状況に追い込まれていくのです。
1993年、マクラーレンMP4/8
ホンダエンジンを失ったマクラーレンは、代替エンジンに苦労します。
有力なエンジンは供給先が決まっていた為、フォードのV8エンジンをカスタマー契約で供給してもらう事に落ち着きますが―――カスタマー契約の為、型落ちのエンジンしか供給されません。
これは、当時の弱小チーム、ミナルディと同じ扱いでした。
そんなマクラーレンとセナは、シーズンが始まるまでに契約を交わす事が出来ません。
結局、レース毎に1戦1戦契約を交わすという前代未聞の状態となりました。
一方で、ウィリアムズは、1年休養し、満を持して復帰するプロストのチームメイトに、実績の殆どないデーモン・ヒルを選びます。ウィリアムズにとって敵らしいチームは見当たらず、そして唯一ライバルになりそうなチームメイトはデーモン・ヒル―――全戦プロストが勝ってしまうのではないか、という予想までされていたのです。
しかし、そんな予想は2戦目にして崩れます。
ブラジルGPの開催地 サンパウロの空から突然の雨。
この雨に、文字通り足元をすくわれたのがプロストでした。
プロストを失ったウィリアムズはセナを抑える事が出来ませんでした。
続く3戦目のヨーロッパGPも雨で、セナは勝利します。
皮肉にも、ホンダエンジンを失ったマクラーレンは軽量なパッケージングを得る事が出来、また、この年になってようやくライバルチーム並みのハイテク装備も進んだため、セナの予想を上回るポテンシャルを発揮するのです。
モナコもライバルの自滅(プロストのフライング=ペナルティ、シューマッハのトラブル=リタイヤ)によって制したセナは、この年、望外な5勝を挙げます。
しかし、驚くのは、圧倒的なマシンのポテンシャル差がありながらも、最終戦のオーストラリアGPでウィリアムズを上回り、PPを獲得した事です。
PPは、レースでの勝利の様に巡り合わせで取れる事はまずありません。
純然たる速さが無いと獲得は出来ないのです。
それを、最強マシンFW15Cに乗るプロストに約0.5秒の差をつけて獲得してしまうのですから。
ちなみに、これはあのシューマッハですら成しえなかった事です。(っていうか、シューマッハが初めてPPを獲得するのは、セナが亡くなった後、1994年のモナコGPまで待たねばなりません)
日本人として、ホンダからの縁が切れてしまった事は残念でしたが、この年のセナを見ていたとき、改めてすごいドライバーなんだなぁと思いました。
1994年、ウィリアムズFW16
タダでいいからウィリアムズに乗りたい。
そう言い続けていたウィリアムズに、セナはようやく乗る事が出来る事になります。
この年からスポンサーがロスマンズになったウィリアムズですが、色味自体は青ベースで前年から然程イメージは変わりません。
また、外観もFW14から続くイメージで、引き続き “強そう” に見えました。
しかし―――
FW16は、この年からのレギュレーション変更でアクティブサスペンションなどハイテク装備が禁止された影響をもろに受けます。
そもそもウィリアムズが強かったのは、エイドリアン・ニューウェイによる空力ボディがアクティブサスによって常に一定の姿勢を保てていた為です。
そのアクティブサスが禁止された為、FW16の空力ボディは姿勢の変化に非常にナーバスなマシンになっていたのです。
如実に物語っているのが開幕戦であるブラジルGP。
セナ地元中の地元サンパウロのインテルラゴス・サーキットでスピンしてリタイアしてしまいます。
扱い辛いマシンと格闘したセナは、それでもPPは獲得してみせます。
2位シューマッハとの差は約0.3秒。
しかし、チームメイトのヒルには約1.5秒の差をつけています。
セナだからこそ獲得できたPPだと言えるでしょう。
このマシンでの成績は、3戦中 PP3回獲得―――しかし、完走は0。
このマシンに乗ってセナは旅立っていきました。
アイルトン・セナにとって、本当に優れたマシンに乗っていたのは1988、1989の2年だけです。
もし、フェラーリ時代のシューマッハの様に―――
今のハミルトンの様に、最強マシンに長年乗る事が出来ていたら―――
そんな風に考えたのは一度や二度ではありません。
もっとも、強いマシンで勝つのは当たり前ですから、もし、そうだったら、今ほど記憶に残るドライバーにはなっていなかったかもしれませんね。
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