
トヨタを語る上で避けて通れないものの中に “ハイソカーブーム” があります。
「えっ、それほどのものか?」ってお思いの方は多いと思います。
あくまで、タケラッタ的な視点から申しています。(汗)
何故、トヨタを語る上でハイソカーブームが外せないかというと、この時の販売成績によって、トヨタの強さ(言い換えると、トヨタと日産との差)が決定的になったと思っているからです。
ハイソカーブームが起きる前、トヨタは中古車市場の“ある動向”に注目していました。
それは、スカイラインやローレル、セドリック/グロリアといった、日産の大型車が若者に人気があったというものです。
トヨタはこれを好機だと感じていたらしいのです。
もちろん、日産車が売れていた事に対してではありません、大型車が売れているという事に対してです。
そもそも、トヨタはこのクラスで若者の支持を得られていませんでした。
何と言っても、スカイライン人気には対抗する術もなく、マークⅡベースのチェイサーを出したものの スカイライン人気には及ぶべくもない状況でした。
しかし、トヨタは次の手を打っていました。
モデルチェンジしたマークⅡ/チェイサーに、クレスタという新たな兄弟車を加えたのです。
ボズ・スキャッグスのBGMが流れる中、山崎勉の声で「トヨタの最高級パーソナルセダン クレスタ」と言われると、本当に高級車の様に見えました。
「クレスタ、なんと私的なクルマだ」
すみません、分かる人が限られる内容でした。(汗)
もちろん、マークⅡ/チェイサーもクレスタに準ずる力の入れようで、セダンとハードトップでは完全に別の車と言えるほど性格の異なる車に仕上げられ、フォーマル派、パーソナル派の需要を取り込んだのです。
一方の日産では、ローレルに欧州調のクリーンなデザインを採用しますが、押し出しが弱かった所為か 大して売れませんでした。
(何故だろう、前期のハードトップの写真が見当たらない……黒歴史なのか?)
この差は、次世代ではさらに顕著になります。
マークⅡ
チェイサ―
クレスタ
セダンが売れない現在では考えられない事ですが、3兄弟合わせれば毎月2万台以上という驚異的な売り上げを誇っていました。
巷でも「ハイソカー」という言葉が生まれ、スーパーホワイトのマークⅡ3兄弟が街に溢れました。
日産も遅ればせながら、このブームに乗ろうとしましたが……
確かに、ボディ色は 流行のホワイトで、直線基調で立派に見えるけど、上品さが皆無です。
さらには、マークⅡ対策としてスカイラインまでハイソカーに仕上げてしまいました。
2ドア車を廃止し、4ドアセダンと4ドアHTに絞った結果、スカイラインにスポーティさを求めていたユーザーにそっぽを向かれてしまいます。(日産は、慌てて2ドアクーペの“GTS”を開発し、4ドアから1年遅れで登場させるのでした)
当時の日産車は、デザイン性も四角いだけでセンスが乏しく、当時の流行色が白だった事もあり、当時のツーリングカー・レースに出ていたボルボがFlying Block(空飛ぶレンガ)と呼ばれていた事をもじって、日産車は『空飛ぶ豆腐』と揶揄されるありさまでした。
ハイソカーブームは、元を辿れば日産の大型車人気から始まったものでした。
これを、トヨタがマーケティングで「大型車は売れる!」と判断し、その市場を根こそぎ持っていったのです。
そう考えると、日産は、自分たちの強みも理解できず、むざむざと自分たちを支持してくれていたユーザーを失ったんじゃないかとも思えます。
その後、日産は901運動で一時的に盛り返しますが、一度開いたトヨタとの差は埋める事は出来ず、破綻に向かっていくのです。
あれっ、最後は日産の話になっちゃった。(汗)
Posted at 2021/10/27 21:53:53 | |
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