この週末、世界三大レースのうちの2つ、モナコGPとインディ500が開催されました。
モナコGPが、前に立ちさえすれば絶対に抜かれることは無く、淡々と周回が進んでいったのに対し、インディ500は非常にエキサイティングなレースになりました。
2年前の勝者である佐藤琢磨は、予選こそ14番手に終わりましたが、レース前のテストでは好調が伝えられていて、実際に一回目のピットに入る前にはトップに立ちます。
しかし、その最初のピット作業で、ホイールがしっかりとはまっていなかったという痛恨の作業ミスで、レース序盤にして周回遅れ、それも2周遅れになってしまいます。
勝負あったかと思いましたが、他車のクラッシュによるフルコースコーション(黄旗)に助けられ同一周回に復帰、そして残り22周の時に発生した多重クラッシュで赤旗中断となり、再スタート時には5番手と優勝も狙える位置につけていました。(もっとも、クラッシュが起きる直前にピットに入った琢磨は、その時点でトップを走っていたので、クラッシュが1周早ければ、トップでレース再開出来たんですけどね)
残り12周で再開されたレースで、琢磨は2台をかわして3位に浮上、残り10周で優勝は、シモン・パジェノー(チーム・ペンスキー)、アレクサンダー・ロッシ(アンドレッティ・オートスポート)、琢磨の3人に絞られました。
しかし、車の性能では、予選でポールも獲得していたパジェノーのペンスキーが一枚も二枚も上。去年のウィル・パワーに続き、ペンスキーの2連勝で幕を閉じました。
琢磨は3位に終わりましたが、前述のとおり、一時は2周遅れの31位に落ちていたし、インディ界の二大トップチームの2台に次いでの3位は、望みうる最高の結果と言えるでしょう。(生放送のGAORA(CS放送)のインタビューに答えていた琢磨には、地元のインタビュアーも殺到していたそうです)
さて、そのインディ500に、自身のトリプルクラウン達成の野望を実現させるために挑んだフェルナンド・アロンソが、予選通過もならずにサーキットを去ったことは、24日のブログで触れました。
かつてホンダユーザーでもあった私にとって、2017年にホンダに対して行った行動が許せなく、インディ500の予選敗退を含め、ブログ後半は批判のオンパレードになったわけですが、アロンソに関してのブログでありながらマクラーレンへの批判も混ざってしまっていました。
ホンダに対して行った非礼の数々が仇となった今回のインディ500予選敗退は、ブログのストーリーとしては、アロンソ、マクラーレンの両者が同罪だったわけですが……
ホンダエンジンで走れなかった事以外は、全ての責任はマクラーレン側のものであり、アロンソは被害者でした。
マクラーレンは、資金力など、走る事以外に関しては、インディ500においても紛れもなくトップチームでした。
豊富な資金力は、さらにチーム、及び アロンソのネームバリューによってスポンサー枠も完売し、万全の体制が整っているかのように見えました。
マクラーレンは、現地に入るとパドックの床を塗装し、F1テイストのつい立てでマシンを隠すというヨーロッパスタイルも導入、異彩を放っていました。
チーム運営も完璧―――実際にマシンがコースを走るまではそう見えていたものの、実際にそこにあったのは、自分たちは一流チームであるという傲慢さだけでした。
マシンがコースを走り始めたときに明らかになったのは、二流、いや、三流チームとさえ言えるまでの体たらくだったのです。
プラクティス初日に電気系トラブルが発生、オルタネーターと配線の交換作業のために走行時間を大幅に失いますが、マクラーレンは前の月のオープンテストでも電気系トラブルに見舞われていました。
その時、マクラーレンは電気系担当の従業員を解雇。しかしトラブルの責任を取らせただけで、肝心の対策を施すことは出来ていなかったのです。
2日目にはアロンソがクラッシュ。マクラーレンは修理を諦め、提携先のカーリンのスペアカーを購入しますが、そのマシンはマクラーレンのためにオレンジに塗装されてはいたものの、マクラーレンの適切な“パパイヤオレンジ”ではありませんでした。
このカラーリングの問題で、マクラーレン&アロンソはほぼ2日間の走行時間を失うことになります。
予選敗退後、マクラーレンCEO ザク・ブラウン(タイトル画像 左)は、この件で「再塗装を強いられた」と言ってカーリンを非難しましたが、パフォーマンスに影響しないカラーリングがそんなに大事だったのでしょうか?
走り込み不足でセッティングが決まらないマシンで挑んだ予選1日目。
アロンソは、予選通過が決まる30位にあと一歩及ばず、31位で終わります。
アロンソは、最初の走行でタイヤのパンクに見舞われますが、チームが間違ったタイヤセンサーを購入していた為、事前にそれが検出できなかったとの事です。
残り3枠を巡って争われる予選2日目を前に、チームはそれまでのセッティングを捨て、アンドレッティ・オートスポーツからダンパーのデータをもらうなどしてマシンを再構築します。
しかし、ここでもチームはミスを犯します。メートル法からインチ法への変換にミスがあり、予選前のプラクティスで修正を強いられたことでアロンソは5周しかできませんでした。
度重なるミスはあったものの、その資金力と政治力で手に入れた他チームのセットアップとアシストによって、マシンはスピードを上げ、予選通過ギリギリの暫定33番手につけて、最終走者のアタックを待ちます。
最終走者は、前日にクラッシュを喫している弱冠23歳カイル・カイザー。
カイザーが所属するフンコス・レーシングは、マクラーレンと正反対の弱小チームで、スポンサー喪失による財政難に陥っており、クラッシュしたマシンの修復すら不安視されましたが、キッチリと自力でマシンを修復してこの日に臨みました。
カイザーとフンコス・レーシングは、さまざまな逆境をはね退け、金満チームのマクラーレンを破ってラストグリッドを手に入れました。
予選後、ザク・ブラウンは、負けた理由の1つにギア比の設定ミスを挙げています。
「我々は229mphを出せるクルマを持っていた、ギアは227.5mphのものだった。ほぼ成し遂げていたが、再び自分自身に負けた」
アロンソのタイムは 227.353mph なので、ブラウンの言うギア比の問題だけだったなら確実に予選を通過していたでしょう。
しかし、229mph は予選5番手に相当します。オールセッション30位以下に終わっていたマクラーレンにその力があったとは到底思えません。
マクラーレン・ホンダの頃から続く、低迷の理由が自分たちにあるとは認めようとしない、責任を他人の所為にするマクラーレンの体質が言わせたものでしょう。
ここまでの話だけでも、マクラーレンの傲慢さがよく分かるのですが、予選敗退決定後に、我々レースファンをさらに驚かせる話がありました。
ザク・ブラウンが、フェルナンド・アロンソにインディ500の出場権を他チームから購入することを提案したというのです。
インディ500のエントリーはドライバーではなくマシンであるため、ルール上は予選敗退したドライバーでも、決勝に進んだマシンに乗ってレースに出走することも可能ではあります。
ブラウンは、具体的な名前―――アロウ・シュミット・ピーターソンのオリオール・セルビアの名まで提示していました。
この提案に対して、アロンソは「誰かのシートを奪うのは非論理的だ」と言って拒否したと言います。
この件で、ブラウンは スポンサーの義務を果たす為と言う理由で、他のマシンのエントリーを購入する事を提案した事実を認めましたが、最終的にアロンソの意見に従ったといい、最後にこう締めくくります。
「フェルナンドとマクラーレンには多くのプライドがある」
プライド? 恥の上塗りにしか思えないんだけど??