• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

タケラッタのブログ一覧

2019年10月31日 イイね!

フェラーリのモデル変遷(V12編)

フェラーリのモデル変遷(V12編)今日はフェラーリの車の変遷です。


今回は、前以てV12編と断っておきます。


以前のブログ、フェラーリ、F1とロードカー で、275GTB/4まで取り上げました。



今回は、その続きとなります。





フェラーリ365GTB/4(1968年~1973年)



新参者のメーカーであるランボルギーニが、1966年に発表したミウラは、レーシングカーのようなミッドシップで、世界に衝撃を与えました。


それまで、性能的にはフェラーリ並みでも、フェラーリ並みの名声は得られていなかったランボルギーニが、一気に認知された瞬間でもありました。


ミウラに対して、275GTB/4ではいかにも古臭く、フェラーリのフラッグシップモデルとしても、新世代にチェンジする必要がありました。


しかし、フェラーリは365GTB/4を旧態依然のFR車として世に出すのです。


それじゃ、端から勝負にならない?


そんな事はありません。


365GTB/4には、レオナルド・フィオラヴァンティ(ピニンファリーナ)が手掛けた、ミウラにも勝るとも劣らない流麗なボディが与えられていたのです。


昨今、多少落ち着きを見せ始めておりますが、ヴィンテージカーはまだまだ高騰しており、ミウラと共に365GTB/4も高額で取引されているのが名車の証と言えます。


また、正式名称ではないにも拘らず、「デイトナ」という愛称で呼ばれる事も、如何に365GTB/4が愛されていたかの証拠ですよね。






フェラーリ365GT4BB(1973年~1976年)



遅ればせながら、フェラーリも365GT4BBでフラッグシップのV12モデルをミッドシップ化します。


BBという車名はベルリネッタ・ボクサー(Berlinetta Boxer )の略で、「2ドアクーペ」「水平対向エンジン」を意味しますが、実際には水平対向ではなく180°のV型エンジンです。


365GT4BBは、365GTB/4に引き続き、ピニンファリーナのレオナルド・フィオラヴァンティの手によるボディを纏っています。


この車、ランボルギーニ・カウンタックと熾烈な最高速度争いで、302km/hと僅か2km/h上回り世界最速車の称号を得ていますが、実際には両車ともせいぜい280km/hの実力だったようです。(この辺は、いかにもイタリアですね)


さて、折角ミッドシップ化したBBですが、以外にもリアヘビーで、180°のV12でありながら重心が高いという、バランスの悪い車になってしまっています。


その理由は、トランスミッションの上にエンジンを乗せるという二階建てレイアウトで、尚且つ前後位置的にも後車軸上にエンジンを配置した為、V12のシリンダーのいくつかは、リアオーバーハングに位置していたのです。



ミッドシップ車というイメージに対してハンドリングが良くなかった、それ故、後述する550マラネロで FRに回帰したのかもしれませんね。


フェラーリ512BB/512BBi(1976年~1984年)



新型と言うより、365GT4BBのマイナーチェンジと言っても良いかも。


大別すれば同じ世代に属します。


512BBは、排気ガス規制でパワーダウンが避けられない対策として、排気量を600ccアップさせた車と考えれば良いと思います。


外観での識別点は、フロントのアンダースポイラー形状、ボディサイド下のNACAダクトの追加、リアコンビネーションランプの丸6灯→丸4灯化などですね。


512BBi はキャブレターから電子制御燃料噴射装置(ボッシュKジェトロニックインジェクション)に変更した車です。






フェラーリ・テスタロッサ(1984年~1981年)



新世代ミッドシップV12フェラーリとして、BBシリーズの後継として登場した車。


正式名称が数字ではない車は、フラッグシップフェラーリとしては唯一の存在です。


ちなみに、テスタロッサとはイタリア語で「赤い頭」で、実際にエンジンのカムカバーが赤く塗られています。


これは、かつての名車250TRのヘリテージを利用したものです。


フェラーリ512TR(1991年~1994年)



テスタロッサのマイナーチェンジ版。


外観はほぼテスタロッサを踏襲しており、フロントバンパー形状が違うくらいにしか私には見えません。(汗)


Wikiによると、タイヤサイズが16inから18inに変更されたりと、操縦安定性に関する改良が行われているようです。


フェラーリF512M(1994年~1996年)



テスタロッサ・シリーズの最終版。


車名にMが付くのは、イタリア語の改良"Modificata"を意味しており、この車以外のフェラーリにも、しばしば付く事があります。


北米(カナダだけだったかな?)で昼間もライトを点灯しなければいけないという法規が導入され、急速にリトラクタブルヘッドライトから、固定式ヘッドライトに変更されていった時期であり、この車もその流れに従い、固定式ヘッドライトになりました。


また、リアコンビネーションランプも、フェラーリらしい丸型4灯に変更されています。


その他のメカニズムは小変更に留まり、基本的にテスタロッサ・シリーズ共通です。







フェラーリ550マラネロ(1996年~2001年)



フラッグシップカーとしては、365GTB/4(デイトナ)以来のFRに回帰しました。


まあ、大きく重いV12を積む車は、機敏な動きが求められるスポーツカーと言うより、GTカー的な性格が強いとの判断なのかもしれません。(前述のBB/テスタロッサのバランスの悪さも、FR回帰の要因の1つかも)


メカニズムとしては、V12の挟角がミッドシップ時代の180°から65°に変更されました。(V12で等爆とするには、通常は60°なのですが、65°というのはF1から導き出されたマシンレイアウト上のバランスに優れる角度なのでしょう)


550と言う名称は、フェラーリ風の1シリンダーあたりの排気量ではなく、メルセデス的な、総排気量(5.5ℓ)を3ケタで表した数字です。


フェラーリ575Mマラネロ(2002年~2005年)



550マラネロのマイナーチェンジ版。(車名にMが付きますね)


車名にある通り、排気量が5.75ℓにアップしています。







フェラーリ599GTBフィオラノ(2006年~2012年)



FR回帰後の第2世代のフェラーリです。


メカニズム的には550/575マラネロと大きく変わるところは無く(というか、2+2の 612スカリエッティ と部品共通化を図った)、排気量が車名の通り5.99ℓ(「それって6ℓじゃ?」って言わないように)にアップしています。


なお、日本では単にフェラーリ599と呼称します。


これは、「GTB」も「フィオラノ」も、既に他社の登録商標になっている為です。


個人的には、GTBなんてフェラーリがずっと使ってきた名前ですし、フィオラノに至っては、フェラーリの本拠地です。


他社(GTBがトヨタ、フィオラノがオートバックス)が登録してしまう方がおかしいと思います。


この件は、スティングレイをスズキ(ワゴンR)で使用していて、伝統あるコルベット・スティングレイを名乗れない時にも、ブログに書きました。


特許庁も、受理する前に、少しはその名称の由来や歴史を調べろよな。


フェラーリF12ベルリネッタ(2012年~2017年)



えーと、この辺から、タケラッタの知識も怪しくなります。


多分、599のマイナーチェンジ版だと思うのですが……それにしては、結構変わってる。(汗)


フェラーリ812スーパーファスト(2017年~)



F12で既に怪しいので、この車もよく分かりません。(滝汗)







途中で612スカリエッティが出てきましたが、紹介しているモデルに含まれていない事からも分かる通り、V12編ではありますが、フラッグシップモデルに限定しました。


よって、4座のV12フェラーリや、スペチアーレ・フェラーリは含めておりませんのであしからず。


(スペチアーレ・フェラーリ編は書きます。気が向いたら、4座のV12編も書くかも)


さて、次はベビーランボ? それともピッコロフェラーリにするかな?


―つづく―
Posted at 2019/10/31 22:16:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | Ferrari | 日記
2019年10月30日 イイね!

ランボルギーニのモデル変遷

ランボルギーニのモデル変遷予告した通り、本日から フェラーリとランボルギーニ 2社のモデルの変遷を取り上げます。


どういう風に進めようか、ちょっと悩みました。


両社のモデルの変遷を一気に紹介するか?


それとも、各モデルに絞って、詳しく紹介するか?(例えば、テスタロッサ系を512TR → F512M という変遷まで取り上げるか)


ただ、今回のシリーズをリクエストした方が、『フェラーリだと355、ランボルギーニだとディアブロくらいで知識が止まってる』と仰っているので、ここは流れが分かるように、一気に紹介するのが良かろうと判断しました。


そんな訳で、ランボルギーニ編のスタートです!







ランボルギーニ・ミウラ(1966年~1973年)



フェラーリのような車を目指して自動車メーカーを興したフェルッチオ・ランボルギーニでしたが、さすがに何の実績もない新興メーカーには、フェラーリのライバルとはなり得ずにいました。


そんな状態を一気に変えるモデルが、ランボルギーニ・ミウラでした。


1965年11月、トリノ・ショーにボディが架装されていないベアシャーシが展示されました。



当時のロードカーはFRが一般的で、ミッドシップ車はルネ・ボネ・ジェット(仏)が有った程度。


そんな時代に、V12をミッドに搭載する車なんて、レーシングカーくらいしか考えられませんでした。(当時は、まだ『ミウラ』という名前もついていなかった)


しかし、翌1966年、ジュネーブ・ショーに流麗なボディを纏ったミウラが登場するとたちまち大評判となり、世界中の富豪たちから注文が殺到したのでした。



その後、ミウラをベースとする、未だに全容は謎に満ちたミステリアスな車、イオタも製造されました。



写真は、イオタそのものではなく、イオタを模したファクトリー製レプリカの中でも、特に有名なミウラSVR。






ランボルギーニ・カウンタック(1974年~1990年)



ミウラで確固たる地位を得たランボルギーニは、ミウラの後継を探ります。


ミウラ程の大成功を収めたモデルの後継となれば、キープコンセプトで行くのが普通だと思いますが、ランボルギーニが選んだのは、全く違うタイプの車でした。


いや、それまでの“車”というものの常識から逸脱したクルマ、それがカウンタックなのです。


何しろ、“カウンタック”という車名が、イタリア北西部ピエモンテ地方の方言で驚きを表す感嘆符“contacc”から来ているのですから。(一般的にランボルギーニは、車名に闘牛にちなんだ名前を付けますので、カウンタックと言う名前の特別性が分かろうというもの)


当時、日本はスーパーカー・ブームの真っただ中で、ドアが上に開くというギミックもあり、カウンタックは子供たちのヒーローになりましたが、世界的にもカウンタックは大成功を収め、その後のランボルギーニのデザインテイストは、このカウンタックがベースになっています。


なお、ミウラとカウンタック、曲線と直線、流麗と斬新、相反する言葉が似合う両車ですが、デザイナーはどちらも マルチェロ・ガンディーニ(ベルトーネ)と言うのが、にわかには信じられません。(汗)


カウンタックに関しては、以前にもブログの話題にした事があります。こちらの記事も宜しかったら読んでみてください。




ランボルギーニ・ディアブロ(1990年~2001年)



1974年から1990年まで、17年に渡って作られたカウンタックに変わるモデルは、完全にキープコンセプトでした。


既にカウンタックは単なるモデルのイメージを越えた、コーポレートイメージと言って良いものだった為、キープコンセプトを選ぶことは悩む事など無かった筈です。


しかし、開発には紆余曲折がありました。


当時、ランボルギーニはクライスラー(現在はフィアット・クライスラー)の傘下にあり、マルチェロ・ガンディーニの手によるプロトタイプに、あろうことかクライスラーのデザイナーが捏ね繰り回し手を加えた為、マルチェロ・ガンディーニが怒り、「デザイナーとして名前は出せない」と揉めたりしました。


なお、ディアブロから4WDモデルが加わります。





ランボルギーニ・ムルシエラゴ(2001年~2010年)



ムルシエラゴは、ランボルギーニがアウディ傘下に入った後に発売された車という事もあり、大幅に信頼性が上がりました。


ただ、ガヤルドに比べると、アウディの影響の少ないモデルとなっています。


まあ、アウディにV12エンジンは無いし、影響を受けようがない部分も多々ありますからね。(笑)


潤滑方式をドライサンプにすることによって、エンジンの搭載位置を50mm下げているものの、相変わらず後方視界は絶望的です。(笑)


あ、そうそう、ムルシエラゴからは全車4WDとなりました。


ムルシエラゴをベースにした少量生産モデル、レヴェントン(2007年)も登場しました。



フェラーリがF40から始まったスペチアーレ・フェラーリを生産するのに対し、ランボルギーニは少量生産モデルで、特別な顧客の欲求を満たす道を模索し始めたのでした。






ランボルギーニ・アヴェンタドール(2011年~)




現行車であるアヴェンタドール。


アヴェンタドールSVJでは、6.5ℓ V12エンジンから770psを絞り出すまでに至りました。


この車から、タケラッタの大好きなMTが無くなってしまいました。(T-T)


まあ、ラインナップされていても買えやしないのですが。


この世代でも、少量生産モデル、チェンテナリオ(2016年)が生産されています。







フェラーリがV12モデルをFRに回帰させたのに対して、ランボルギーニは一貫してミッドシップに拘っています。


拘りと言う意味では、ターボに頼らず、NAに拘っているメーカーでもあります。


そんなランボルギーニでも『環境』とは無縁ではいられないのか、初のハイブリッドカーのシアンを今年のフランクフルト・ショーで公開しました。



ランボルギーニも電動化の波には逆らえないようです。


それでも、V12エンジンに拘っているところは、さすがランボルギーニと言ったところでしょうか。





長くなったので、V12 ミッドシップ以外のランボルギーニ車は、また別の機会に……。


―つづく―
Posted at 2019/10/30 21:16:47 | コメント(2) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年10月29日 イイね!

フェラーリ、F1とロードカー

フェラーリ、F1とロードカーフェラーリとランボルギーニ の続きです。


両社のラインナップを述べる前に、フェラーリの創設についても書いておきます。


ランボルギーニが、トラクター・メーカーがら自動車メーカーに進出したのに対し、フェラーリはレーシング・コンストラクターからの進出でした。


現在に至るまで、F1界を代表するコンストラクターであり続けるフェラーリだけに、その成り立ちは想像に難くないと思います。


しかし、ランボルギーニがフェラーリを強く意識していたのと同様に、フェラーリにもその存在を強く意識していたメーカー(この場合はコンストラクター?)がありました。








エンツォ・フェラーリは、アルファ・ロメオのレーシングドライバーでした。



1929年、エンツォはレース仲間と共に「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」を創設します。


1932年には息子のアルフレード(愛称:ディーノ)が生まれたことで、エンツォは現役を引退してチーム運営に専念、アルファ・ロメオがワークス活動を休止した為、セミワークスチームとして活躍します。


その後、合併や、経営陣との対立などがあり、「フェラーリの名では4年間レース活動を行わない」という誓約をして独立しますが、第二次世界大戦で活動は中止。


戦後の1947年に現在のフェラーリを興し、「スクーデリア・フェラーリ」の名のもとにレースに参入、1950年から始まったF1世界選手権は、「本家」アルファ・ロメオと「分家」スクーデリア・フェラーリの対決となったのでした。


1951年、イギリスGPで遂にアルファ・ロメオを破って初勝利を挙げます。


この時、エンツォは「私は母親を殺してしまった」と複雑な心中を洩らしたのでした。








現在、アルファ・ロメオ名義でF1を戦っているチームがありますが、このチームは旧ザウバーであり、フェラーリエンジンを積む関係性から名称だけを冠している、言わばスポンサーに過ぎません。


エンツォが『母親』と言ったアルファ・ロメオとの関係は、今や完全に逆転してしまっている事に時の流れを感じますね。


ちなみにコンストラクターを示す時の「スクーデリア・フェラーリ」、このスクーデリアと言う単語は、イタリア語の厩舎から転じたもので、「チーム」「ワークス」に当たる言葉です。


以前、F1に参戦していたコンストラクターに「スクーデリア・イタリア」と言うチームがありましたが、これはイタリア・チームという意味だったんですよ。



当時、職場の同僚が「スクーデリア・イタリア」の事を略して言うとき、『スクーデリア』と呼んでいましたが、それだと固有名詞ではなく「チーム」と呼んでいるに過ぎません。


いや、イタリア語で『スクーデリア』と呼ぶと、一般的にはむしろ「スクーデリア・フェラーリ」の事を示します。


そんな事も知らずに「俺、F1に詳しいもんね」と知ったかぶりをしている同僚を、憐みの眼差しで見ていた事は内緒です。(汗)








話をフェラーリに戻しましょう。


フェラーリの名を冠した最初のロードカーは 125S で、F1での初勝利から遡る事4年、1947年に3台が生産されました。



搭載されたエンジンは1.5ℓのV12、そう、フェラーリらしく、第一号車からV12エンジンを搭載していたのでした。


125Sの“125”は、シリンダーあたりの容積125ccを示しており、この車名の付け方も第一号車から行われていたのですね。








その後のフェラーリ ファクトリーから生み出された全ての車を紹介することは出来ませんが、250シリーズは 250GTE




250GT SWB




そして、伝説のマシン 250GTO などがあります。




250シリーズの後継、275シリーズ辺りまでが旧き良き時代のフェラーリって気がします。



ちなみに、写真の275GTB/4から フェラーリのロードカーとしては初のDOHCが採用されました。


V12である為、各バンクに2本、合計4本のカムがある事から、車名に“4”が追加されました。


なお、ドライサンプエンジンの採用もこの車からです。(うーむ、この車から近代フェラーリと言ってもいい気もするなぁ)









次回からは、いよいよ ランボルギーニとフェラーリのモデルの変遷です。


さて、どうやって進めようかな?


―つづく―
Posted at 2019/10/29 23:50:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | Ferrari | 日記
2019年10月28日 イイね!

フェラーリとランボルギーニ

フェラーリとランボルギーニ私のブログは、自分の事を書くだけではなく、メーカーや車の情報に関して書く事が結構多いです。


昨日も、新型フィットを話題にしましたしね。


そして、メーカーや車の遍歴について書く事もあります。


先日、GC8について書いたりもしました。


ま、この手のブログは、自分が好きな事をつらつらと書いているだけだったのですが、意外な事に、これらのブログを高く評価してくれる人がいて「今度、フェラーリやランボルギーニについても書いてくださいよ!」とリクエストを受けてしまいました。


いや、フェラーリとランボルギーニは、自分に縁のないメーカーなので、詳しくないんだけど……。(汗)


とは言え、期待されちゃうと応えてしまいたくなるタケラッタとしては、頑張って書いてみようと思ったのでした。(←そのやる気、仕事で見せろよ)


さて、今回のブログは、フェラーリ編、ランボルギーニ編をお届けする前に、2社の因縁について書いてみたいと思います。








よく言われる話で、ランボルギーニは、創設者フェルッチオ・ランボルギーニの、フェラーリへの怒りがスーパーカー業を開始するキッカケだったという話。


フェルッチオは、第二次世界大戦後に軍払い下げのトラクターを修理・販売。これで儲けて、製造にも乗り出し、成功を収めました。

alt

成功を収めた者、そしてイタリア人です。当然、フェラーリに行き着くのですが……。


エンジニアとしてフェラーリを見て、意外にレベルが低いと感じたフェルッチオは、改良の直談判をする為、エンツォ・フェラーリのところへ行きます。

alt

しかし、いくら成功者とは言え、たかがトラクターメーカーの経営者が天下のフェラーリの創設者に会ってもらえるものでしょうか?


はい、当然のように門前払いを食らいます。


この時の怒りで、フェルッチオは自らフェラーリを超えるスーパーカーを作ることを決意したのでした。








結構有名な話で、聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?


しかし、実際には、そんなドラマチックなものではなかったらしく


「なんだ、この程度なら、俺たちでも作れるぞ」


くらいのノリで自動車製造に乗り出したのだそうです。(汗)








まあ、フェラーリを意識していたことは間違いなく、フェラーリ同様のV12エンジンを搭載する車でデビューしますし、エンブレムもフェラーリの跳ね馬に対して、低く構える猛牛が選ばれています。(もっとも、単にフェルッチオ氏が牡牛座だったからという説もあります)


デビュー作となる 350GT(1964年) 。

alt

正直、あまりカッコイイとは思えませんけどねぇ。(汗)


これなら、プロトタイプの350GTV(1963年)の方がカッコ良かったと思うのですが……。

alt


ランボルギーニが名声を博したのは、やはりこの車からでしょうね。

alt

―つづく―
Posted at 2019/10/28 21:44:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | Lamborghini | 日記
2019年10月27日 イイね!

HONDAのデザインが変わった!?

HONDAのデザインが変わった!?昨日のブログで、東京モーターショーへの、各メーカーの力の入れ具合(の無さ)を嘆きました。


そんな中、東京モーターショーで発表された数少ないブランニューモデルが、HONDAの新型フィットでした。


新型フィット、クリーンなデザインになったと思います。


まあ、昨日もブログに書いた通り、東京モーターショーには行っていないので、実車を見たわけではないので、あくまで写真での印象でしかありませんけどね。

alt








HONDAのデザインに関しては、私は今まで酷評してきました。


ガチャガチャした、洗練からは程遠いデザインは、まるでガンダムの様でした。

alt

シビック Type-Rに関しては、私以外にも同様にガンダムチックと表現する自動車メディアがあったと思いますが、Type-Rでなくてもガチャガチャ感はぬぐえないデザインだと思っています。

alt

その原因の1つは、HONDAが好んでフロントマスクに使用するクロームメッキやアクリルパネルだと思っていました。








このHONDA車に共通するフロントマスクが、マイナーチェンジされたフリードから変わりました。


これが……

alt


こう変わりました。

alt


どうにもアクが強かったフロントマスクが、クリーンで優しい印象になったと思いませんか?








そして、このデザイン言語が、新しいフィットにも展開されました。

alt
alt
alt
alt
alt
alt

不必要なまでにエッジを効かせた細部の処理、例えば先代フィットのサイドを抉る様なキャラクターラインなどは鳴りを潜め、シンプルな面で構成されたスタイリングには好感が持てます。








ただねぇ……


シンプル過ぎて、何の感動も生まないんだよなぁ。


マツダ3はシンプルな面構成でありながら、ハッとするような美しさがあります。



デザインに定評のあるMAZDA並みにとは言わないけれど、もう少しデザイン性を持たせられないものでしょうか?


何故、こんな事を言っているかと言うと、HONDAにもデザイン性を持たせた作品があるからなのです。




カッコイイかどうかは人それぞれで感じ方が違うでしょうが、少なくてもデザイン性は新型フィットよりも濃厚にあると思います。


奇をてらう必要は無いけど、もう少し訴えかけるデザインをしてもいいと思う。


八郷社長、もう少し頑張って!

Posted at 2019/10/27 22:04:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | HONDA | 日記

プロフィール

「嵐の様な週末+1日がようやく終わった。
ただ、事の顛末をブログに書けるのは一体いつになるやら…」
何シテル?   01/21 02:35
タケラッタです。 子供の頃からの夢、ポルシェを手にしただけでは飽き足らず、遂にロータスまで買ってしまいました。 実用性はないかもしれないけれど、運転する事自...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2019/10 >>

   1 2 34 5
6 78 9101112
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22232425 26
27 28 29 30 31  

リンク・クリップ

ポルシェ終活、始めました 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/10/01 12:47:07
房総半島ドライブ 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/11/19 19:05:40
#ポルシェ止まり 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/03/11 18:23:53

愛車一覧

ポルシェ 911 ポルシェ 911
2014年に買った997 GT2。 購入時にはオレンジ色のラッピングを纏っていましたが、 ...
ポルシェ 911 ポルシェ 911
ポルシェ乗りになってから、ずっと興味のあった空冷ポルシェを、遂に購入してしまいました。
アルファロメオ ジュリア ジュリア 初号機 (アルファロメオ ジュリア)
2台目のアルファ・ロメオ、アルファ・ロメオ ジュリア クアドリフォリオです。 家族を乗 ...
BMW M5 BMW M5
前々から気になっていたE60 M5ですが、病気を機に、楽しめる物は楽しめるうちにと考える ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation