だいぶ前に「今年の汚れ、今年のうちに」っていうキャッチコピーのCMがありました。
汚れではありませんが、今年始めた連載ブログは、今年中に終わらせておきたいです。(汗)
と言う訳で、“トヨタ自動車物語”の最終回です。
元々、
トヨタ自動車って同族経営の会社なんだよねっていう話から、今回のシリーズは始まりました。
トヨタの歴代社長はと言うと……
1. 豊田利三郎
2. 豊田喜一郎
3. 石田退三
4. 中川不器男
5. 豊田英二
ここまでが トヨタ自動車工業。
そして、工販合併して トヨタ自動車 になってからは
1. 豊田章一郎
2. 豊田達郎
3. 奥田碩
4. 張富士夫
5. 渡辺捷昭
6. 豊田章男
となっており、現在の豊田章男氏は トヨタ自動車の6代目社長、工販合併前からだと通算11代目の社長という事になります。
青字になっているのが豊田家であり(まあ、苗字が”豊田” ですから 一目瞭然でしょうけど)、実に 11人中 過半数の6人が豊田家から出ています。
なお、
豊田の本家筋にあたるのは太字で書かれている人たちとなります。(創業者の“
喜一郎”、喜一郎の息子“
章一郎”、章一郎の弟 “
達郎”、章一郎の息子 “
章男”)
じゃあ、本家筋ではない “豊田” はと言うと……
初代社長の 豊田利三郎 は、創業者 豊田喜一郎 の義理の兄(豊田佐吉の長女 愛子の夫)であり、豊田家には婿養子として入りました。
豊田利三郎
トヨタ自動車としての
創業者は豊田喜一郎なのですが、当初は “豊田自動織機製作所 自動車部” だった為、豊田自動織機製作所の社長だった利三郎が 初代社長に就任したのでした。
もう一人の “豊田” である 豊田英二は、豊田自動織機の創業者 豊田佐吉の弟 平吉の二男で、喜一郎の従弟にあたります。
豊田英二
英二の名は、社長就任前においても技術分野の話でよく出てきますね。(
パブリカをFF車にしたかった件とか…)
また、英二は工販合併までの14年9か月に渡りトヨタ自動車工業の社長を務め、後述する 石田退三と共に「トヨタ中興の祖」と呼ばれています。
英二は、社長復帰を目前にこの世を去った喜一郎が遺したトヨタを世界的な自動車メーカーにまで育て上げ、喜一郎の息子である章一郎に “大政奉還” したのです。
豊田家以外の社長についても触れておきましょうか。
トヨタ自動車工業 三代目社長の石田退三は、豊田英二のところでも書きましたが 英二と共に「トヨタ中興の祖」と呼ばれています。
石田退三
本来、石田は社長と言うよりも 社長を支える“番頭役” であり、実際「トヨタの大番頭」と呼ばれる事もあります。
社長就任に至った経緯は、ドッジラインによるドッジ不況、その後の労働争議で 喜一郎が人員整理を行った責任を取って社長を辞してしまった為、社長に就任せざるを得なかったのです。
そんな状況で社長に就任した為、石田は無駄をとことん嫌い、無駄なお金を一切使わない経営を行い、その一方で、銀行に融資を断られたという経験から内部留保を増やし 銀行を頼る事無く経営できるようにし、「トヨタ銀行」と呼ばれる現在のトヨタに続く礎を築いたのです。
あとは、トヨタ自動車 三代目(トヨタ自工からの通算では8代目)社長の奥田碩でしょうかね。
奥田碩
奥田は、それまでの堅実な、言い換えると保守的だったトヨタに改革をもたらした社長です。
商品としては、世界初のプリウスの開発&販売を行いましたし、F1挑戦も奥田による決断でした。
経営面でも、ダイハツの完全子会社化を行いましたし、本業でも国内シェア40%超えを達成、世界第1位の自動車メーカーとなったのも奥田の功績と言って良いでしょう。
上記の歴代社長らによって、現在のトヨタ王国は作られたのです。
何しろ、ドッジ不況による経営危機を乗り越えた後は、2008年のリーマン・ショックまでの58年間に渡り、赤字を出す事はありませんでした。
2008年度こそ 営業赤字が4610億円という巨額の赤字となりましたが、僅か一年で黒字に転換。
昨年度は、新型コロナの影響で 世界中の企業が軒並み赤字に転落したのに、トヨタは黒字を維持しました。(黒字の維持と言うか、利益が2兆2452億円と 前年度より 2091億円増えてますが…)
トヨタと言えば『カイゼン』、乾いた雑巾を絞るとまで言われるコスト削減が真っ先に頭に浮かびますが、じゃあ 何故他のメーカーには出来ないのでしょうか?
分かっているんなら、他メーカーもトヨタと同じ事をすればいい。
他メーカーがトヨタの真似が出来ないのは、トヨタの活動は 単なるコスト削減ではなく、もはや“企業文化”としてトヨタ社員一人一人に根付いているからだと思います。
トヨタの強みは『人づくり』ではないか !?
河合満副社長 が出て来る動画を見た時、そう思いました。
河合氏は、一流大学卒のエリートではありません。
大学どころか、高校にも行っておらず、中学校を卒業後、お金を貰いながら学べるからという理由でトヨタ技能者養成所に入った苦労人です。
そんな人が重役、それも副社長に据えてしまうトヨタという会社も凄いですが、その河合氏にしても、後に続く社員を育てていくんだという思いがひしひしと感じられます。
昨今は、会社経営が厳しくなったら、コスト削減の為に社員をリストラする会社が多いです。
しかし、業績が改善した時や、攻めに打って出たい時に、社員がいないでどうするんですか?
大金を出して有能な人材をヘッドハンティングしますか?
でも、そういう人材は、お金で新しい会社に移ってしまいますよ?
結局、最後は人だという事。(あれっ、何か別のブログで書いた気がするな)
昨年亡くなった野村克也さんが、以下の言葉を遺しています。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」
元は、明治から昭和初期にかけて活躍した政治家、後藤新平の言葉なのですが、『仕事をして金を残すのは三流、名を残すのは二流、人を残すのが一流である』と言う意味です。
結局、雇われ社長では、自分の在任時の業績だけを気にする為(つまりは金の為)、かけがえのない財産である筈の社員(人ですね)も、単なるコストとしか考えずに切り捨ててしまうのです。
同族経営の会社だと、今は業績を圧迫する要因となる社員の賃金も、将来の会社にとって必要なコストと思えれば抱える事も出来る。
トヨタの強みは、同族経営であるが故という側面があるのかもしれません。
まあ、経済について勉強した事のない、ただの車変態が考えた戯言ですけどね。
という訳で、ようやく連載ブログ“トヨタ自動車物語”を終える事が出来ました。
長い間 お付き合い頂き、ありがとうございました。(←ブログ一話一話も長いけどな!)