今週末はF1 モナコGPですね。
今までモナコGPは木曜日から開催されていたので、例年通りならば 今日から開催されている筈でしたが、今年から他のGPと同様、金曜日からの開催となりました。
そもそも、モナコGPが木曜日から開催されてきた理由は、キリスト昇天祭の祝日となる5月の2週目か3週目の木曜日に日程を合わせるというものでした。
その為、他のGPと異なり、初日のプラクティスが木曜日に実施された後、金曜日が休息日となる4日間の日程となり、それがまた F1モナコGPの独特な雰囲気を作り出していたのでした。(金曜日には、F1パイロットはレーシングスーツからタキシードに着替え、VIPが集まるパーティに参加したのです)
あれっ、何の話だっけ?
あ、そうそう、「伝説のモナコGP」です。
この時期になると、ネットでも過去の名シーンが度々取り上げられますが、やはりダントツに多いのが 1992年のモナコGPです。
今年も、こんなWeb記事が出ていましたよ。
【伝説のモナコGP】アイルトン・セナが”ライオン”を飼い慣らした日
記事の原文は、Jonathan Nobleという英国人が書いたようですが、折角なので、Web記事の紹介ではなく、自分なりに 1992年 F1 第6戦 モナコGPを振り返ってみましょうか。
1992年のF1は、開幕戦からウィリアムズ FW14Bが猛威を振るい、マンセルが開幕5連勝、第4戦でパトレーゼがリタイアした以外は全戦 1,2フィニッシュと、他を全く寄せ付けない状況でした。
前年のチャンピオンであるアイルトン・セナをもってしても、ウィリアムズには全く歯が立ちません。
そんな状況下で迎えた第6戦のモナコは、特殊な市街地サーキットであり、一般的にはマシンの差が出にくいドライバーズ・サーキットと呼ばれていますが、ホンダのエンジンパワーだけが頼りのマクラーレンMP4/7Aにとっては、味方になってくれるコースではありませんでした。
予選でもウィリアムズのマンセルがP.P.、2位にもパトレーゼが続いてフロントローを独占。
3位となったセナとP.P.のマンセルとのタイム差は 1.113秒もありました。
1992年のモナコGPは、50回目の開催となる記念すべきレースでもありました。
そのレースでは、スタート直後の1コーナー(サン・デボーテ)で、セナがパトレーゼのインを突き、2番手に浮上します。
最初の数周こそマンセルについて行けたセナでしたが、マシンの差があり過ぎました。
すぐにマンセルは見えなくなり、一旦は差をつけた筈のパトレーゼがセナのマシンの背後に迫ります。
その後ろには、フェラーリのアレジや、F1参戦2年目でモナコ初見参のシューマッハ(ベネトン)らが続いていました。
しかし、レースが落ち着いてくると、基本的にはマンセルがトップを独走、セナもパトレーゼを引き離す事に成功し、2位を単独走行となっていきます。
その間、3位以降ではバトルが繰り広げられていましたが……。
レース序盤は、アレジvsシューマッハという若手同士のバトル、
アレジが接触のダメージでリタイアした後は、200戦錬磨のパトレーゼ vs 初めてモナコのシューマッハ(←命名は今宮さん) というベテラン対若手のバトルが TVの放送時間の大部分を占めていました。
そうそう、カペリのフェラーリがガードレールに乗り上げるなんて珍事もありましたっけ。
後方のドタバタも、トップのマンセルには関係なく、ルノー&マンセルのモナコ初優勝は盤石かに見えましたが……
「そのウィリアムズなんですが、ピットの方が騒がしいですね。タイヤを用意していますね」
当時のフジテレビのF1中継では、現在は解説者席で解説している川井一仁氏が、現地でピットレポーターをしておりまして、ウィリアムズチームの変化を察知してレポートを上げてきたのです。
当時の国際映像は、ウィリアムズのピットの変化に気付いていませんでした。
間もなく、フジテレビの独自のカメラがピットインしてくるマンセルの姿を捉え、実況の三宅アナが絶叫!
フジテレビの隣の放送ブースでは、その様子を見てギョッとしていたそうです。
ピットインした原因は左リアに異常を感じた為でした。
一応、パンクチャ―という事になっていますが、放送中の川井ちゃんのレポートによると、GoodYearのエンジニアは「圧は抜けていない」とコメントしていたそうですが…。
川井ちゃんのレポートは続き、左リアのホイールにアップライトが当たったのか、内側が削れているのを発見!
残念ながら、カメラが切り替わるのが遅く、ホイールの内側は一瞬しか映りませんでした。
このシーズンに入ってから、初めてウィリアムズの前に他のマシンが走りましたが、絶対的に速いマシン、そしてニュータイヤを履いた訳ですから、マンセルのマシンはとんでもない勢いで迫ってきます。
「マンセル、22秒!」
73周目、マンセルは
1分22秒974のファステストラップを刻みます。
あと5周あれば追い付くかもという放送席の予想は、次の周にあっさりと更新されます。
「この勢いです、この速さです、なんと1分21秒598!」
残り3周となったところで、マンセルはセナのマシンの後ろについてしまいました。
しかし、セナは決して抜かせたりはしません。
「ホンダの方も『ボタンを押せ!』と言ってますね」
ここぞという時に押すオーバーテイクボタンを、防御の為に使えというのです。
放送時の川井ちゃんのピットレポートは上の通りでしたが、実は裏話が有って、実はこの時、セナのマシンの走行可能距離はマイナスを示していたそうです。
このペースでアクセルを踏んでたら、ゴールまで燃料持たないって事。
ただ、ホンダのエンジニアとしても
「千載一遇のチャンスを逃す訳には行かない! 行けるところまで行け!」という事だったそうです。
「完全に速さではウィリアムズの方が上」
コースマーシャルは、速さが違い過ぎる事からブルーフラッグを提示します。
しかし、セナが譲る訳がありません。
「マンセルが外から、どこからでも行く、どのコーナでも行くが…抜けない」
「セナ、スライドしながら抑えていく!」
今も昔も変わらない、モナコの唯一といっていいオーバーテイクポイント、トンネル出口のシケインも、セナはマシンを横にしつつ抑え込みました。
「レッド5が、右に左に、懸命にプレッシャーを掛けますが…抜けない!」
「どんなにしても抜けない、ここはモナコ、モンテカルロ、絶対に抜けない!」
いやー、覚えてるもんですねぇ。
50回目のモナコGPは、歴史に残る伝説のレースとなりました。
出来過ぎな感じがするのは、ゴール直後にホンダエンジンが煙を吹いた事ですね。
「最後の最後、ギリギリいっぱいのところまで、マクラーレン・ホンダは我慢しました!」
もっとも、ウィニングランから帰ってきた後、最後にバーンアウトかましてましたから、エンジンは全く問題無かったんでしょうけど……
放送の締めに今宮さんが言った
「50回記念伝説」、しかし、30年経っても伝説のレースとして語り継がれる事になるとは思いませんでした。
ただ、最近のモナコGPってつまらないレースが多いんですよねー。
「どんなにしても抜けない、ここはモナコ、モンテカルロ、絶対に抜けない!」
1992年はそんな状況に大興奮したのですが、今ではそれが大問題なのです。
先頭に立ちさえすれば抜かれないので速く走る必要は無いばかりか、むしろタイヤを使ってしまうのを嫌って、意識して遅いペースで走るようになった。
2018年などは、トップを走るダニエル・リカルドのマシンのMGU-Kが機能せず、200ps近いパワーダウンとなりましたが、誰にも抜かれる事なくトップでチェッカーを受け、前に居座ってしまえばどんなに遅いマシンでも勝ててしまうって事を証明しちゃいましたからね。
ホント、パレードランの様な、クソつまらないレースが多くなりました。
空力的にオーバーテイクしにくくなっているっていう事もあるんでしょうが、物理的にマシンが大きくなり過ぎたので、狭いモナコのコースでは もうレースをする事に無理があるのかもしれないですね。
今週末のレース、面白いレースになるかなぁ……