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2009年06月09日 イイね!

ホンダミュージックその後…6・9の日

ホンダミュージックその後…6・9の日日付が変わってしまいましたが…今日は6月9日…

ロックの日

なんですって。

いやらしい事を想像した人は手を挙げる。

特別な事は何もないし、最近特にロックな生活を送っておりませんがとりあえずロックを愛するものとして一言記したいと思います。なお、これがエアギターを超えるコマツギターです。なんたって弾けませんw

そろそろ…本気でギターも練習しないとなぁ…

と今更なにを本気でギターなのかは分かりませんが、新しい弦は買ってきてあるのですが、何かと理由をつけて張り替えておりません。

しかし、分かる人には分かると思いますが、見て下さい…

リバースヘッドですよ(懐かしいw
アイバニーズは日本の星野楽器というところのブランドですが、スティーブ・ヴァイやポール・ギルバートが使っていたことで有名です。

これで…

友達から教えてもらった「長渕剛」や「クラプトン」を練習したという事実www

そんななのに何故にこんな攻撃的なギターなのかと言えば…このアイバニーズのギターはネックが異様に細いのです。なので、指の短いボクでもこれなら…と思ったことに始まります。

でもね、細ければ良いってもんじゃなくて(汗
ある程度の太さがコードを握るにはあった方がいい。なのでヤマハのAPX(エレアコですが)が今でも欲しいのですなぁ。か細い音も嫌いじゃありませんでした。太さもベストでしたしね。

ま、弾けないんですけどねw

そんな訳でロックに自己満足シリーズホンダミュージックです。この間は書いた後に色々思い出しまして、あれもこれもと考えていたら眠れなくなりました(汗)なので3部作の第2部ですw

1990年のF1は、個人的にはベストな一年だったかなぁ。セナ・プロ対決もチームが分かれて白熱度を増し、ベルガー・マンセルが可哀そうな感じのする一年でしたね。



MP4-5Bでしたかねぇ?コックピット周りのカウルの独特な形状と(バットマンディフューザーなんかも話題にw)、サイドミラーの位置の低さでMP4-5との違いが分かります。意外とエンジン音は変わっていないようにも思えますが、この年のホンダエンジンはかなりパワーが出ていたようで、メキシコGPではベルガーが周回遅れのマシンではありますし、メキシコのストレートは長いのですが、たった1本のストレートで2台のマシンをパスするという離れ業をやっているのが国際映像のオンボードカメラで写っていました。凄かった(汗

で、前年のチャンピオンであったプロストさん。ボクはセナよりもプロフェッサー・プロストが好きだったのですが、彼のクレバーな走りはそのメキシコGPでもいかんなく発揮され、次から次へのパッシングショー。見ていてホント凄いなぁと感心することばかり。

で、最も素晴らしいパス・シーンといえば、この1990年フランスGP、ポールリカール・サーキットで、あれはカペリをパスしたシーンでしょうか。

何周か後ろでじっとチャンスをうかがい、ミストラルストレートでスリップに入ってなかった感じでしたが、次のコーナーで吸い寄せられるように前車に接近、その後インを差してパスするという、あれがとても印象に残っています。



そんなプロストさんとF641/2です。フェラーリV12エンジンはもはや快音になっており、プロストが移籍したのはこのエンジン音が聞きたかったからなんじゃないかと勘ぐってみたくなってしまうw



そして1991年のF643でのこの音です。
これはもう…官能的…素晴らしいエンジン音ですね。

しかしマシーンの方は今一つで、美しかったジョン・バーナードのデザインから離れ、マクラーレン時代のプロスト担当エンジニアであったスティーブ・ニコルズによるF643は優勝を飾ること無く、プロストは最終戦を前に解雇されてしまう始末…

その後ウィリアムズに移籍したり、成績が上がらないとなんか強いチームに移籍して良いとこどり…みたいなプロストさんですが、彼のマシン開発能力は高く、1988年に16戦15勝を飾ったMP4-4は、間違いなく彼の作品だとも言えると思うし。

そして1993年に引退。1994年のセナの死もあって、ボクのF1への興味も一時シャッターが下ろされることになります。

とまぁ、ホンダの話は何処に行ったんだ!という話になってしまいましたがw、この頃ホンダもどこかに行ってしまったわけでw。ホンダもずっとF1をやっていたらどうなっていたのかと思いますねぇ。そしたらトヨタが世界一になるのはまだ数年先の話だったかもしれません。

第1次F1挑戦期は、そのころ噂された特産法に対抗すべく「ウチだってクルマを作れるんだ!」というアピールのために参戦し、V12エンジン(当時の主流はV8)で参戦しはじめ…1965年、リッチー・ギンサーの手で初優勝を飾り…

そんな不屈の闘志で始まったホンダのF1チャレンジ。そのころの話を読んでいるとなんか、第2次、第3次の撤退の仕方は、なんともスッキリしないのであります。
Posted at 2009/06/10 00:55:00 | コメント(5) | トラックバック(0) | レース | 日記

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