2006年01月17日
今日はしんみりといきます。
数々のブログには、11年前の大震災のことをお見受けします。
そう、もう11年なんですね。
月日が経つのは、ほんと早いものですよね。
あまり振り返りたくはないことですが、これも後世のために。
当時僕は高校3年生。
住まいは、兵庫県宝塚市仁川(阪神競馬場の近くです)でした。
震度7を記録していました。
そして、当然のことながら受験真っ只中。
ちょうど大学入試センター試験が終わってほっとしていたときでしたね。
当然地震発生時は、寝ていたわけで。
揺れだした時は、母親が無理やり起こしに来たのかと思いふと目を開ける間もなく、体が左右に振られてベッドにしがみついてるのがやっと・・・。
揺れも収まり、すぐ起きて部屋を一通り見てみる。
背筋に冷たいものが流れてのは、このときが初めてでした。
本棚が自分の方に向いて倒れているのです。
ほんとあと数センチ背の高い本棚であれば、僕はこの世にいなかったかもしれません。
その後、ほかの部屋で寝ている両親&弟を見に部屋を出る。
出て唖然とする。
キッチンの食器棚は倒れ、あるはずのテレビも床に落ち、動くはずもない本棚(天井とくっついている)も10センチ動いている。
ほんとひどいものでした。
このときの教訓は、
絶対はだしで歩かない
散乱した食器のガラス破片とかを踏んでしまいますからね。
それから日が出てくるまで、ぼぉ~っとしてましたよ。
電気もガスも水道も使えないのですから。
少し明るくなってから、僕は公衆電話へ駆け込み、祖父母に連絡。無事を確認し、お互い安堵しましたね。
このときの教訓は、
決して車やバイク、自転車で動かない
至るところで、地面は隆起しています。
ほんと危険ですので、自転車でも止めておくべきです。
で、その足で友達の家に直行。
行く途中、崖崩れで家が数件流されているのを、発見します。
もう泥だらけで必死に救助する人。
子供の名前だと思いますが、名前を叫びながら、泣き崩れているおかあさん。(これだけは、今でも夢に出てきます)
このときばかりは、生きた心地はしませんでした。
地獄絵図のようでした。
このままでは、いかんと思い友達も誘い、救助活動します。
受験なんてところじゃありません。
人がそこに埋まっているのですから。
ほんと必死だったことを覚えています。
この地すべりで、弟の同級生の方が、お亡くなりにもなりました。
天災というものはほんとに恐ろしいです。
いつ起きるのかも分からないわけですから。
でも、被害を最小限に食い止めるということは、出来ると思います。このような地震を経験した者が、後世に伝えて地震対策をしていけばいいわけですから。
だらだらと長文になってしまいましたね。
申し訳ありませんでした。
Posted at 2006/01/18 00:23:12 | |
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2006年01月17日

待ちに待ってました♪
レプ化計画第1弾じゃなくて、アクセントにね。
貼ってもらいましたぁ^0^
SPECIAL THANKS GDB関西さん♪
貼り付け前との比較写真は、後日UPしますね♪
Posted at 2006/01/17 00:05:33 | |
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