
和歌山県の○○市で懐かしくもあり超珍しい「ISUZUピアッツァを発見して写メを撮ったから!」と悪友から送られて来ました。
写りはイマイチなんですが、どうやら2台並んで停まっていたようです。
先頭の方の車は不明ですが、後方はナンバーがついています。
私の若かりし頃、憧れて欲しかった車です(^^)
※概要は下記のとおりです。
初代 JR120/130型(1981年-1991年) [編集]
いすゞ・ピアッツァ(初代)
JR120/130型
ハンドリング・バイ・ロータス
インパルス(北米仕様)
販売期間 1981年6月-1991年8月
デザイン イタルデザイン・ジウジアーロ
乗車定員 4人
ボディタイプ 3ドアハッチバッククーペ
エンジン
4ZC1型 2.0L 直4 SOHC ターボ
G200WN型 2.0L 直4 DOHC
G200ZNS型 2.0L 直4 SOHC
最高出力
4ZC1:150ps/5,400rpm(NET)
G200WN:135ps/6,200rpm
G200ZNS:120ps/5,800rpm
最大トルク
4ZC1:23kgm/3,400rpm(NET)
G200WN:17.0kgm/5,000rpm
G200ZNS:16.5kgm/4,000rpm
変速機 4速AT / 5速MT
駆動方式 FR
サスペンション
前:ダブルウィッシュボーン/コイルスプリング/スタビライザー付
後:5リンク式/コイルスプリング/スタビライザー付
全長 4,385mm 全幅 1,675mm 全高 1,300mm
ホイールベース 2,440mm
車両重量 1,250kg(MT車)
最小回転半径 4.8m
ブレーキ 前後:ベンチレーテッド・ディスク式
別名 北米:いすゞ・インパルス(初代)
先代 いすゞ・117クーペ
-自動車のスペック表-
形式名:JR130(NA車)、JR120(ターボ車)
1979年、117クーペの後継モデルを計画したいすゞ自動車は、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ にそのデザインを依頼した[1]。翌1979年3月、ジウジアーロは「1980年代のボディライン」としてデザインカー「アッソ・デ・フィオーリ」(Asso di fiori、イタリア語でクラブのエース)をジュネーヴショーに出展、そのデザインカーの寸法を拡大、細部にリファインを加えて商品化されたクーペがピアッツァであった。
ショーカーが量産化される際には相当の変更を受けるのが通常であり、小変更のみでの市販化というピアッツァの試みは、世界中から驚きを持って受けとめられた。外観デザインはエッジの効いたボンネットと3ドアハッチバックの独特な形状で、ジウジアーロが提案したAssoシリーズの最終作にふさわしい完成度の高さであったのと同時に、空力が十分に考慮された先進的なものでもあった(CD値0.36)。ボンネットには、デビュー当時はフェンダーミラーが装着されていたが、1983年の道路運送車両法の改正に伴って、ドアミラーに変更された。
室内は、大人4人の乗車が可能な居住性を有した。エクステリア同様にインテリアもショーカーに極めて近く製品化された。サテライト式コクピットは極めて斬新なものであり、デジタルメーター(XES,XEに標準装備)に加えて、ステアリングから手を離さずにエアコンやハザードスイッチ操作など、大抵の操作ができた。右手側にライトスイッチ等11項目、左手側にワイパーなど13項目(XE、OD付AT)の操作項目の操作部が配置されていた。サテライトスイッチにはシールが貼られた謎のスイッチがあったがそれはフォグランプのスイッチでフォグランプをつければオンオフ可能であった。シールを外すとフォグランプのアイコンが現れた。 室内にはさらにコンセプトモデルそのままの異常なまでのマニアックな拘りがある。エアコンの噴出し口が運転席側のフロントウインドー下の部分から12cm程度も上に競りあがって来る。 さらにオーナーすら気がつかない運転手足元の回転開閉するエアコン吹き出し口・助手席横にせり出すエアコン噴出し口など小さなギミックも満載であった。 装備としては、オートエアコンやマルチドライブモニター(JR130 XES,XE)、車速感応型操舵力可変パワーステアリング、パワーウィンドウ等が装備され、安全装備としての後席3点式シートベルトの採用も先進的であった。また、特異なウォッシャーノズル内蔵のワンアーム式フロントワイパーが装備されていた。
機構 [編集]
駆動方式は後輪駆動。エンジンは、デビュー時のエンジンはPF ZZ用の1800ccDOHCを1949ccにスケールアップしたDOHC(G200WN)と、117クーペ用のOHC(G200ZNS)を改良したものを搭載。G200WNはエアフローメーターに世界で初めてホットワイヤを採用し、クランク角センサーはフォトダイオードを使用した無接触式(世界初)、ECUはセルフダイアグノーシス機構を有する(世界初)ものであり、117クーペに搭載されたG200WEとは見掛けの出力が同じだけで内容的には別物である。
当時はエンジンのパワー競争が行われており、最高出力135PS(グロス値)トルク17kg-mでは不足とされ、1984年6月よりアスカ用エンジンをベースとした2000cc電子制御式ターボ付OHCをラインナップに追加(1.9L DOHCは受注生産に)、ターボ付モデルは出力180PS[2]、トルク23kg-mを記録した。
変速機構は、5速MTと4速AT。ATはアイシンワーナーがトヨタ以外に初めて供給した4速ATであった。サスペンションは、前輪がダブルウィッシュボーン、後輪が3リンク式コイルスプリング(handling by LOTUSは5リンク)で、前後ともスタビライザ付、ホイールアライメントは年式・グレードにより細かく異なる。シャーシは新設計のフロアパンが用いられている。ステアリングは、当初は一部のグレードがバリアブルギアレシオのマニュアルステアリングであったが、後に全車車速感応型パワーステアリング装備となる。ブレーキは、フロントが全車ベンチレーテッドディスク、リヤもJR120は全車ベンチレーテッドディスクである。トルクウェイトレシオ70kg/kgm、パワーウェイトレシオは8.8であった。
歴史 [編集]
1981年5月登場。
1983年5月、マイナーチェンジ。ドアミラーが装着された。
1984年6月、前年に登場したアスカに搭載された、アスカ用エンジン(4ZC1-T)にインタークーラー付きターボエンジンを搭載したモデルを投入(「XE」、「XS」)。出力は180PSで、当時2000ccのOHCエンジンとしては日本一であった。
1.9L DOHCモデル(XG)を受注生産化。 1985年11月、旧西ドイツのチューナーイルムシャー (irmscher) に足回りのチューニングを依頼したイルムシャーグレードを発売。しなやかな足回りに、ステアリングにMOMO、シートはレカロを採用した充実装備、イルムシャーシリーズ専用デザインのフルホイールカバーを装着したスポーティな外観を持っていた。
1987年8月、一部改良。テールランプの大型化やアルミホイールの意匠変更、コンソール/ステアリングのデザイン変更など。84年6月より受注生産だった1.9L DOHCを廃止。2L版の出力表示をネット化(180PS→150PS、1.9L SOHCはグロス表示(120PS)のまま)。
同年、通商産業省(現・経済産業省)グッドデザイン賞部門別(輸送機器部門)大賞を受賞。 1988年6月、ロータス社との技術提携により、「ハンドリングバイロータス」 (handling by LOTUS) 仕様が追加。MOMOステアリング、LOTUSチューンドサスペンション、英国アームストロング社製ド・カルボン型ショックアブソーバー、BBS社製2ピースアルミホイール、レカロにも負けないと評された7項目調節機構付リアルバケットシート等を装備。このモデルで国内モデルでは初めてリヤサスペンション形式が変更され、それまでの3リンクから5リンクとなった。1.9L版を廃止し2Lターボに一本化。
1990年、最後のモデルとして「ハンドリングバイロータスリミテッド」を追加。外観の差はリミテッドのデカールのみであるが、シートが部分皮革仕上げとなり、LSDが標準装備となっている。
1991年8月、販売終了。総生産台数11万3,419台[3]。
ピアッツァ・ネロ [編集]
日本国内でピアッツァは、ヤナセによっても販売され、その際に冠された名称が「ピアッツァ・ネロ(Piazza Nero)」である。これは、1971年以降ゼネラル・モーターズ(GM)傘下であって国内販売網の拡大を意図したいすゞと、日本におけるGM車の正式な輸入代理店であり、販売車種の拡大を意図したヤナセとの提携の結果であった。
ネロとはイタリア語の「黒」で、高級・スポーティーなイメージを表現する。内外装をその名の通りのブラックやピンストライプなど、いすゞ販売車にはみられないものを用意し差別化が図られていた。その他、ピアッツァの特徴であった異形2灯ヘッドライトが1984年より輸出型の4灯に変更され、更に1988年にはIMPULSE用のボンネットフードの採用と可動式ヘッドカバーの廃止が行われた。
日本国外での販売 [編集]
欧米に輸出され、北米市場では「Impulse」(インパルス)(en:Isuzu_Impulse)の名称で販売された。また、オーストラリアでは、同じくGM系の自動車会社ホールデンによって、「ホールデン・ピアッツァ」として販売された。