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2010年08月18日 イイね!

九州ツーリング 2日目 (新門司-下関-佐世保-長崎)

九州ツーリング 2日目 (新門司-下関-佐世保-長崎)九州ツーリング 2日目 (新門司-下関-佐世保-長崎)

今日は新門司から佐世保を経由して長崎泊の予定だ。
長崎県は47都道府県の中で唯一行った事がないの県なので、長崎県で47都道府県の全て行った事になる。
その後は、47の全ての都道府県で宿泊を達成する旅に切り替える予定。
これは観光や昼飯などで寄ったり走ったりした事はあるけど宿泊はしてない県として、福井と兵庫が残っているのでそこを目標にする。
沖縄は観光で行った事はあるがバイクで走った事がない。いつになるか分からないが、持ち込みか、レンタルか、相当難しそうな気もするが・・・

起床して朝風呂に入る。
ツーリング期間中は、朝・夜飯前・就寝前と最低3回は風呂に入る。
立ち寄り湯などがあれば多い時で1日5〜6回はいる時もあるので、皮膚がかっさかさになる。
なるべく擦らないように入らないと後々大変な事になる。
特に顔を擦ってしまうと、ヒリヒリするし、夜にお酒を飲むと赤くなるのが早くなり泥酔してるように見える。


風呂上がりに甲板で朝涼み?
今日も天気が良さそうだが暑くなりそうだ。


新門司に到着して、九州ツーリングの範疇から出てしまうが、下関の唐戸市場(山口県下関市)に朝飯を食べに行く事に。

関門海峡を渡り、山口県に入り、火の山公園の麓の「みもすそ川公園」に行く。

公園は幕末の下関戦争の長州藩の砲台跡でもあるので大砲が設置されている。
下関戦争は馬関戦争とも言い、長州藩が外国を廃絶する思想である攘夷を実行するために馬関海峡(関門海峡)を通過する外国船への砲撃を実施し、報復として、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの四カ国連合艦隊が下関を攻撃したのだが、長州(山口県)一藩で4つの国相手に戦争するってどうなんだろう。熱すぎないか?
結果、長州藩は攘夷の無力さを認識し、海外の知識や技術を導入し、近代化の軍制を整えて倒幕へ進んでいく事になる。
外圧が来ないと何も変わらないというのは昔からの日本の特徴である気がする。
 

「みもすそ川公園」はまた、平安末期の源平合戦の舞台となった「壇ノ浦の戦い」の場所でもある。
幼い安徳天皇と三種の神器(皇位継承に必要な3種類の宝物)を奉じて都落ちした平家は、一ノ谷の戦い(神戸市須磨)で敗れ、屋島の戦い(香川県高松市)でも破れ、彦島(山口県下関市)に拠点を置き、源義経率いる源氏と最終決戦に挑むのであるが、合戦前半は水軍術に長けた平氏が有利だったが後半は潮の流れが変わり、裏切りが出たりで劣勢になる。
源義経軍が当時、マナー違反だった、船の漕ぎ手や舵取りなどの非戦闘員を矢で射ったりしたらしい。
敗北を悟った平氏側の二位の尼(平清盛の奥さん)が安徳天皇と三種の神器を抱いて入水自殺したの機に、平氏一門の女性や武将も海に身を投げる。
この戦いでは源義経の「八艘飛び」が有名であるが、これはた平氏随一の猛将として知られる平教経が、敵の大将の源義経を道連れにと追いかけるが、義経は船から船へ飛び移って去ってしまったと言う事らしい。平教経は源氏の武将2人を抱えて海に飛び込んだそうだ。
平知盛は鎧を2枚着てそれをオモリにして船のいかりを担いで海に飛び込んだらしい。
これは生きたまま浮かび上がって捕虜になるのを避ける事と、遺体が発見されて首を取られるという辱めを受けないためらしい。
入水の際、「見るべき程の事は見た」と言い残したらしい。
公家化していた平氏の中にもサムライがいたのだ。
大河ドラマ「義経」では阿部寛さんが演じていてとても豪快な最期だった。

その源義経の「八艘飛び」と平知盛の入水時の銅像がある。

 

ちなみに、平氏は平家とも言うが、源氏は源家とは言わないのは、
平氏は、平家を含めた平氏全体をさし、源氏も同じく全体をさすのだが、
平家は平氏(平一族)の中の平清盛の一家(家系)をさすらしく、源氏はお家騒動が多く、源家と呼ばれる氏の長者の一家が無いかららしい。(八幡太郎義家を祖とする源頼朝までの系列は源家と言う事もあるらしいが)

唐戸市場に到着。ここはフグで有名。
下関では「
河豚(ふぐ)」を「ふく」と言う。
フグが「不遇」に繋がり、フクが「福」につながるかららしい。
正月などにTVで見る、ふぐ競りの様子は、
「袋せり」と言われ、黒い袋の中で買い手が指の握り方で競っていくという変わった競り。
「袋せり」は南風泊市場(彦島。唐戸市場の一部)でしているらしく 一般人は入れない。
 

平日だからなのか開いてる店があまりない。
「市場食堂よし」に入り、てっさ(フグ刺し)定食とフグ唐刺身定食を注文。
  

下関ICから中国自動車道に乗り、関門橋を渡り再度、九州の福岡県に入り、九州自動車道を西へ進む。
小倉、福岡、太宰府を過ぎ、佐賀県に入り、鳥栖JCTで長崎自動車道に入る。
吉野ヶ里を過ぎ、金立(きんりゅう)SAで休憩。
武雄JCTで西九州自動車道で長崎県に入り、佐世保道路終点の佐世保中央ICで下車。
ICを降りてすぐの「ログキット本店(長崎県佐世保市矢岳町)」で「佐世保バーガー」を食べる事に。
「佐世保バーガー」は米軍基地がある町「佐世保」のご当地バーガーだ。
特徴は地産地消の手作りでり、オーダーを受けてから調理するらしい。
ハンバーガーは2年に1回食べるかどうかと言う感じだが、やはり佐世保に来たからには食べておこうと思った。
隣の「ヒカリ」でも良かったのだが、店前で食べるので、冷房の効いたトコに入りたいのでログキットにした。


 

店内はもろアメリカ!といった感じである。
バーガーは1つで満腹にあるほどバンズとパテが大きい。レタス、チーズ以外に、ベーコンと目玉焼きが入っている。
パテは薄めで、ハンバーグと言った感じでなく、外側はカリッと良く焼いてあり中はジューシー。脂っこくなく個人的にはとてもクセになるハンバーガーだ。
佐世保にはマクドナルドの出店から撤退までの最短記録があるらしい。
佐世保ではこのバーガーをB級グルメだと言う認識はないらしく、B1グランプリにも出場していないそうだ。
 
たくさんの有名人の写真がパネルに。自分たちが行く店にはだいたい石ちゃんが来てる事が多い。。。
玄人顔出しパネラーを自称しているので、顔出しパネルで撮影。顔の枠がでかい。
 

食後の一服で、アメリカを感じてみよう?バーガーにはこれでしょ!と言う事で、これまた何年かぶりにコーラを飲んだ。


好きな作家である、「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を受賞した「村上龍」氏が佐世保出身で、1969年の青春を書いた小説「69-sixty
nine」の舞台も米軍基地の町佐世保だ。妻夫木君主演・宮藤官九郎監督で映画化もされている。
佐世保駅近くの岸壁から基地を望む。


佐世保道路の佐世保中央ICから乗り、佐世保大塔で降りて、下道で長崎市を目指す事に。
ハウステンボスを過ぎ、右に佐世保湾、左に大村湾を見ながら進む。
大村湾は佐世保湾を介して外洋につながっているので、海っぽいが、湾奥に行くにつれて穏やかな湖っぽくなってくる。
途中でちょっと渋滞していたのですり抜けをしてしまったら、後ろにパトカーがいたらしく止めさせられてしまった。
気さくなお巡りさんで、東京からツーリングで来ていて、これから長崎市に向かうと話したら、これから長崎じゃ大変だ。気をつけて行けよ。とお咎めなしで送り出してくれた。
途中のコンビニで切符を切られなかった事を祝し?、熊本製造の「南阿蘇山系の天然水使用・かき氷」を食べて、安全運転を心がけるよう頭と身体をクールダウンする。
珍しい袋詰めのかき氷だ。おそらく容器に移して崩して食べるものなのだろうが、棒の付いてないガリガリ君みたいに食べる。
 

長崎市に到着。
今夜の宿を探すために、とりあえず駅に向かおうとするが、途中に、平和公園があったので寄る事にした。
平和祈念像。
垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。
同じポーズで写真を撮ってる修学旅行生などがいる。。。
日本は平和なんだなと思う。

すぐ近くの浦上天主堂。


グラウンド0(爆心地)

母子像


長崎駅に到着。
ここ出身の福山雅治さんが大河ドラマ「龍馬伝」の主役なのでそのポスターがある。

観光案内所に行き、「にっしょうかん 梅松鶴」を予約してもらう。
地図を見るとちょっと市の中心部から外れてる感じなので夜飯に行くのに歩きじゃ辛そうだ。


住所をナビに入れて駅を出発。
出発して気付いたが、路面電車の路線の東側は山だ。
急な坂を登っていく。
そう言えば長崎は自転車が日本一売れないらしい。と言うのを思い出す。
これは歩いて飲みに行くレベルじゃない。

山の中腹で長崎市内と長崎湾、女神大橋が見えたので撮影。
ホテルはこれより上なので景色に期待が持てる。


「にっしょうかん 梅松鶴」にチェックイン。
部屋が広い!そして部屋からの長めがスゴイので景色を撮影する。

稲佐山から見る景色がいいと良く聞くが、稲佐山からだと稲佐山は見えない。
これは富士山に登ると富士山が見えないと同じ。東京タワー、スカイツリーもそうだ。
と言う事で、ここから見る稲佐山込みの景色が一番いいんだ。と無理矢理自分を納得させる。
  

お風呂も展望露天風呂になっていて、長崎の夜景が一望できる。
サウナと水風呂があるのも嬉しい。

大浴場から部屋に戻るまでにビールを買ってしまい、汗が引くまで部屋でビールを飲みながらしばし休憩しながら夜飯はどこに行くか検討する。

部屋は10畳の和室と洋室が障子で仕切れるようになっており、セミダブルのベッドが2つある。
掛け軸やお花などが活けてあったり、いつもホテルははただ寝るためと大浴場くらいしか使ってないので、広さ63平米以上で定員は6名のところに2人だと贅沢だが広すぎる。
 


夕日が沈んで行くので写真を撮ってみる。
コンデジの夜景モードや花火モードなど、色々なモードで撮ってみる。
    

タクシーで長崎の繁華街の入口、思案橋に行き「いろは本店(長崎市本石灰町)」に行く。
卓袱(しっぽく)料理など長崎の郷土料理が食べられらしい。


長崎名物の「鯨の盛り合わせ」「海老の長崎天ぷら」「からすみ」「豚の角煮」「地魚の刺し盛り」を頼む。
お目当ての「うちわ海老」は完売との事で残念。

鯨は関東だと昔の給食で出た鯨の竜田揚げくらいしか縁がないが、盛り合わせは、ベーコン・末広・百広・さえずり・赤身・尾羽の5種類もある。

海老の天ぷらはサクサクのフリッターというか、アメリカンドッグのような甘めの衣で、南蛮料理が元になっているそうだ。
角煮もとても味が染みていて美味しかった。

長崎料理は、16世紀に海外との貿易拠点だった関係で、南蛮料理と呼ばれるスペイン・ポルトガルの料理や、イギリス、中華料理などの影響を受けた独特な料理だそうだ。

けっこう閉店間際だったらしい。
 


締めに「皿うどん」と「ちゃんぽん」を食べるためにぶらぶらして「天天有」「よこはま」「康楽」を見て回り、「天天有」に入る。

具材が豊富でやはり本場の皿うどんとチャンポンはとても美味しかった。他のメニューも食べたかったがお腹がはち切れる寸前だったので諦める。

関東だと、和辛子にお酢をかけて食べるが、長崎ではウスターソースをかけるがこれがまたイケル。
 

腹ごなしに散歩する事にする。
 

丸山公園にある坂本龍馬像。
「長崎の丸山」は、「江戸の吉原」「京の島原」と合わせて三大花街(大阪の新町を合わせて四大花街と)と呼ばれたそうで、坂本竜馬、高杉晋作などの幕末の志士や
勝海舟、シーボルトなど、歴史上の多くの有名人がここで遊んでいたのだ。
なかにし礼の映画「長崎ぶらぶら節」の舞台でもある。
カステラの「福砂屋本店」があったり、レトロな交番があったりする。
 

丸山公園の先には、丸山の中で有名な「史跡料亭・花月」がある。
創業360年の老舗料亭で、「長崎ぶらぶら節」や司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にも何度も登場する。
坂本竜馬が斬りつけたという柱の傷跡があるらしいが夜も遅かったので開いてなかった。
 

「大浦慶」旧居跡。
幕末の豪商で日本茶輸出貿易の先駆者。
坂本龍馬らと親交があり多くの志士を援助していたそうだ。


リンガーハットを見つける。本店はファンからは聖地扱いだそうだ。


鍛冶屋町あたりをぶらぶらする。
ここは寺町で著名人の墓地も多い。


写真の開祖「上野彦馬」生誕の地。
幕末期から明治時代の写真家。日本での最初期の写真家で、日本初の戦場カメラマンでもある。
あの有名な坂本龍馬や高杉晋作の写真も上野彦馬が撮影した。


坂本龍馬と土佐藩家老の後藤象二郎が会談、和解した料亭「清風亭」跡。
土佐藩は身分制度が厳しく、当初、郷士出身の龍馬と身分の高い上士出身の後藤は敵対していたらしいが、この会談後、土佐藩が龍馬の作った亀山車中を海援隊として援助し、龍馬の作った「船中八策」を大政奉還へとつなげていく事になるので、とても重要な会談場所である。


「土佐商会」跡。
は龍馬が暗殺された後、海援隊を「土佐商会」とし、「岩崎弥太郎」が任され、将来的に三菱の創業者になる。
「海援隊発祥の地」とも刻んであり、坂本竜馬が船中八策を練ったという船「夕顔丸」のオブジェもある。
 

タクシーでホテルに戻る。
途中、道をふさいでいる楠の大木がある。
通称「諏訪の森」といわれるらしいが、この道路上の樹木は楠は、有名なお祭り「長崎くんち」の諏訪神社のご神木だから伐採が出来ないとの事。
木が邪魔なのか道路が邪魔なのか分からない
ホテルのロビーには有名なお祭り「長崎くんち」で奉納される演し物の代表格「龍踊り(じゃおどり)」に使用する龍が飾ってある。


大浴場で長崎の夜景を堪能して、落ちるように就寝。

8/19(木)280km

新門司→下関→佐世保→(下道)長崎
Posted at 2013/09/25 23:30:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記
2010年08月17日 イイね!

九州ツーリング 1日目 (東京-浜松前泊-京都観光-大阪発フェリー泊で翌朝新門司着)

九州ツーリング 1日目 (東京-浜松前泊-京都観光-大阪発フェリー泊で翌朝新門司着)九州ツーリング 初日 (東京-浜松前泊-京都観光-大阪発フェリー泊で翌朝新門司着)

ツレから「前日の夜出発にしよう」との事で、仕事終わりに出発する事にした。
ツレは、小学生が修学旅行や遠足の前日に興奮して眠れないのと一緒で、前日の夜に出発する事で、前祝いと言うか前夜祭を楽しみたいのである。
気持ちはとても分かる。
ツレの夏休みに合わせて九州ツーリングを組んでいるので、徹夜や休日出勤でなんとか仕事をこなして間に合わせる。(間に合わない分は現地でこなす事にする)

いつもの箱崎PAで待ち合わせて、首都高、東名と進み、浜松ICで降りる。
夜の内に浜松まで来てしまうと後が楽だ。
前泊のビバーク地はあのパンチが効いた「バーデンバーデン」にする。

個性的でシュールすぎる風呂から上がり、スタッフは隣のファミレスに行ってもいいと言ってくれたが、ファミレスで宴会始めたら終わりが見えなくなるので、2Fのソファーで、途中で購入したアテと酒で前祝いをする。


通常ならここで、ルートの確認や、給油、休憩ポイント、食事場所、B級グルメ、ご当地お土産、はぐれた場合の待ち合わせ場所などを打ち合わせするのだろうが(最初はそのつもりなのだが)、馬鹿話に花を咲かせ、キリにいいところでまた風呂に入って就寝とする。

雑魚寝場所やリクライニングなど就寝場所が複数あるので、どこがいいか探していた時に、スゴイ寝相と顔で寝てる人を発見し、二人とも声を押し殺して爆笑する。記録に残したかったがマナー違反なので写真はあきらめる。自分もこんな大きい人間になれたらいいなと思う。

朝起きて、トイレの窓から見た駐車場に自分たちのバイクが止まっていたので撮影。
一応、急な雨と盗難防止でレインカバーをしてある。
バッグはジッパーを南京錠で留めて、バッグとタンデムグラブバーとの間をチェーンロックで留めている。
貴重品に近いモノはリアキャリアの中だ。
このまま走り出すと、ジレラGP800はシートを開けて給油するので、給油時にマゴマゴしてしまう。
今日は天気が良さそうだけど、暑くなり始めている。。。


ひとっ風呂浴びる。朝風呂は気持ちがいい。
ここの露天には池があるのだが、それが露天風呂なのか池なのか不明。
足を入れてみると生ぬるくてこれまた微妙・・・

支度をして出発。


浜松西ICから東名高速に乗り、朝飯を食べてないので、「浜名湖SA」で朝食。
二日酔いではないが念のため梅と大根のおろし蕎麦を食べる。

SAから見る浜名湖。


東名から伊勢湾岸道に入り、愛知県を過ぎ、東名阪道で三重県に入り、新名神で滋賀県に入り、甲賀土山IC手前の「土山SA」で給油&休憩。
新名神は新しくて走りやすくトンネルや山間は涼しくて気持ちいいが、よく取り締まりを見かける。
体が熱いので冷凍ミカンを食べる。


今日はこのまま西へ向かって、姫路城や明石の標準子午線、神戸を観光して、姫路おでんや明石焼き、神戸ビーフ関係を食べて、夜に神戸からフェリーで出発して翌朝、大分着かな、と漠然と考えていたら、地図を見ていたツレが一言
「京都近いんだ・・・」
それを聞いた自分はピーンと来た。
ツレは何かが気になり出すと止まらない正確だ。もしくはそこに行きたい、それがやりたい、それが食べたい、と言う心の声だ。
20年以上前、サイパンに行った時も充電器の熱さを30分以上気にしていた。
ほとんどの人が興味がないようなB級グルメの事を熱心に語ったりする。
最近では、奥多摩に走りに行こうと言う事で、箱崎PAを出発し、最初のSAで通過地点近辺に住む知人に連絡して合流しようと言う話になっていたのだが、最初のSAで地図を見ていて
「道志道が近いんだ」とつぶやき、「そうだね」と言うと、「うん、でも道志道を進むと山中湖なんだ」「そうだね、そろそろ知人に電話しようか」「忍野八海近いんだね」「・・・そうだね、じゃ電話するよ」「吉田も近いからうどん食えるな」「・・・道志道に行ってみる?」「うん!」と言うケースが多くある。その時は結局、知人には連絡せずじまいだった。
確かに方向だけ決めただけの当てのない旅だし、脱線や寄り道は旅の醍醐味でもある。
しかし真夏の京都の熱さは地獄だ。何度か話をスルーしていたが、どうしても京都に行きたくて止まらないようなので、京都に行く事にする。

新名神から草津JCTで名神に入り、京都東ICで降りる。京都は高速から遠いなといつも思う。

熱中症予防のためにコンビニでスポーツドリンクを買い、レジの女の子の京都弁で京都に来た感がUPする。
近くのラーメン屋を聞き、少し早いが、京都駅近くの「新福菜館 本店(京都市下京区東塩小路向畑町)」に行く。
「中華そば」を頼む。

真っ黒な豚骨醤油のスープに、たくさんの薄切りのバラ肉のチャーシューとネギが入っている。
こってり系に見えるが意外とギトギトしてない。濃厚だけど見た目よりあっさりしている。
人気の「焼きめし」も食べたかったがあきらめた。
それは食べてる途中に隣の「第一旭 本店(京都市下京区東塩小路向畑町)」とハシゴをすることになったからだ。


第一旭のラーメンは透明度で薄茶なスープ。こちらも見た目はギトギトしてそうだが、コクはあるけどしつこくないがジューシーさがある。

満腹で腹がはち切れそうだ。
両方とも普通盛りを食べたが、「小」もあったので、ハシゴをする人が多いのだろう。自分たちも最初から「小」にしておけば良かった。


腹ごなしを兼ねて京都散策。
三条と四条間の高瀬川近くの駐車場にバイクを止め、先斗町から散策開始。
幕末には「天誅」と称して、土佐の岡田以蔵はじめ、本間精一郎、田中新兵衛などの「人切り」と呼ばれる暗殺者がいたらしいが、こんな狭いところで、しかも夜に、急に襲われたらまず無理だろう。


京都の京都の夏の風物詩「納涼床(のうりょうゆか)」。
鴨川沿いに「床(ゆか)」と呼ばれるベランダみたいなモノを出し、そこで涼みながら飲食をする。
ちなみに嵐山では「川床(かわどこ)」と言うらしい。


幕末の土佐出身の志士「中岡慎太郎」寓居跡。
坂本龍馬と一緒に薩長同盟に尽力した人だが、もっと評価されてもいいと思う一人だ。


坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋跡。今はコンビニになっている。


土佐稲荷。土佐藩邸の中にあったらしい。
小さい龍馬の銅像がある。

龍馬と中岡が暗殺された近江屋や、坂本龍馬と海援隊士をかくまった材木商「酢屋」など、土佐藩邸の近くにある。


高瀬川。
幕末から江戸時代にかけての豪商「角倉了以」が京都と伏見の物流用に開削した運河。
角倉家は茶屋四郎次郎、後藤庄三郎とともに「京の三長者」と言われていたらしい。
高瀬川は吃水が浅いので、高瀬舟と呼ばれる小さい船を両岸から人が引いていたらしい。


坂本龍馬と海援隊士をかくまった材木商「酢屋」



「新撰組」の名前を一気に高めた「池田屋騒動」のあった「池田屋」跡。
長州・土佐など諸藩の討幕派が謀議中に新撰組に急襲された。この事件で明治維新が1年遅れたとも、討幕機運を一層高めた、などといわれる。
今は石碑だけあり、居酒屋「池田屋 華の舞」がある。「華の舞」は東京墨田区両国が本店と言うか本社なのだが、土俵があり、他の店舗もご当地色を出しているので、ここも興味深い。機会があったら入ってみたい。


佐久間象山 大村益次郎遭難の地
勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰らの師匠筋に当たる佐久間象山と、兵学の第一人者、長州藩の大村益次郎が襲撃された場所らしい。
時期は違い、象山が元治元年(1864)で、大村が明治2年(1867)


三条大橋のたもと立つ「弥次さん喜多さんの像」。
平成の弥次喜多を自負する自分たちとしては来ておきたい場所。
「東海道中膝栗毛」は十返舎一九が、江戸の日本橋から京の三条大橋までの弥次さん喜多さんの珍道中を書いた滑稽本だが、全て徒歩(一部船)というのが今の時代に考えられないほどみな健脚だったのだと思う。


三条大橋。
こまめにコンビニでスポーツドリンクを買うが汗で全て出てしまう。
結局、京都観光中にトイレには行かなかった。


三条大橋の欄干の擬宝珠にある刀傷。
池田屋事変の時、新撰組が付けたらしい。
野球のバットほどの刃物を武士と言われる人はみんな携帯していたのだから、居酒屋で口論などにもなろうもんならと、今考えると恐ろしい。


長州京都藩邸跡に立つ「桂小五(木戸孝允)」郎像。
京都ホテルオークラの北西側にある。
この人と新撰組の土方歳三はあの時代では相当イケメンだと思う。
この人の奥さん「幾松」との命をかけたロマンスも有名だが、「幾松」は幕末から明治にかけて一番出世した女性だと思う。


世界遺産の「二条城」に行く。


ここで、江戸初期に徳川家康と豊臣秀頼が会見し、江戸末期に徳川慶喜が諸大名を集めて大政奉還をすると言う歴史的な場所だ。
家康は秀頼の成長に驚き、豊臣家を滅ぼす決意をしたと言われる。
江戸幕府の初代将軍就任の祝賀が行われた場所で、最期の将軍が政権を朝廷に返上するという、まさに江戸幕府の最初と最後を見てきた場所である。
話は変わるが、徳川慶喜が大政奉還をする有名な絵があるが、諸大名のえり足がポニーテールの女の子のようだといつも思う。
今の時代劇はカツラだから短髪のえり足だが、この頃は地毛でチョンマゲを結う訳だからあたりまえだが、なぜかいつも笑ってしまう。


狛犬(こまい)ではなく狛猪(こまいのしし)がある護王神社。
国歌である「君が代」の歌詞に出てくる大きい「さざれ石」がある。


京都御所の蛤御門(禁門)
幕府と会津藩に京都を追われた長州藩が京都での復権を狙って兵を挙げる(蛤御門の変)。
その激戦地だった場所で、うらには弾痕の跡がある。


薩摩藩邸跡。
ここは後に会津藩士「山本覚馬」の居宅になり、妹「八重」の旦那である新島襄が始めた今の同志社大学の敷地にある。
薩摩の土地が敵同士だった会津の手に渡り、「攘夷」を叫んでいたのにキリスト系の学校になると言う不思議な顛末。
能力や人間力で人を見ていたと言う事だろうか。



京都霊山護国神社に行き、坂道を上り霊山墓地に行く。
ここには坂本龍馬はじめ多くの幕末の志士の墓がある。
(中岡慎太郎、吉村寅太郎、望月亀弥太、那須信吾、池内蔵太、木戸孝允夫妻、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎、入江九一、寺島忠三郎、来島又兵衛、梅田雲浜、河上彦斎、宮部鼎蔵、横井小楠、住谷寅之介、平野国臣など)
 

ここは京都市内を一望できる。お椀のようになった文字通りの盆地だ。
ここに夏は暑い空気が、冬は冷気がたまるのだ。 

祇園(ぎおん)にある「八坂神社」前。
ここは祇園祭で有名で、江戸時代までは「祇園社」と呼ばれていたそうだ。
この四条通りの突き当たりに建つ楼門と本殿が国の重要文化財だ。


祇園散策。
八坂神社の門前町として発展した京都有数の花街で「舞妓は〜ん」がいることでも有名。
近くには、ニシン蕎麦で有名な南座(歌舞伎劇場)祇園会館などがある。
京都っぽい風情も残るが、場所によっては歌舞伎町のような飲み屋さんも目立つ。
ちなみに舞妓さんが動き出すのは夕方からなので、昼間に歩いている舞妓さんはコスプレ体験の観光客だそうだ。


四条大橋より鴨川ナメで床を望む。
日も落ちて少し涼しくなってきたのでカップルが目立ってきた。
なぜ等間隔に座るのだろう。



この後、伏見に行って寺田屋とかを見に行こうと出発したが、伏見の手前で、フェリーの時間が厳しい事をナビで確認し、泣く泣く京都南ICから名神高速に乗る。
フェリー乗り場が出てこなかったのでとりあえず近くを行き先にセットする。
大阪の環状線に入りナビ通りに進んでいたが、首都高より分かりにくい感じがして、自分的には一周してるくらいの感覚だった。
大阪南港まで高速が走ってるようだがナビが古く手前で降ろされ、トンネルを通って南港近くまで来るがフェリー乗り場が分からない。
何度かフェリー会社に電話しても分からず、最期は携帯をヘルメットと耳の間に差し込んで、ガイドしてもらいながら到着した。


なんとかフェリーに間に合ってすぐひとっ風呂浴びる。
フェリーの乗船はバイクが最初で、車が後だ。
乗船してすぐだと大浴場も空いているのだ。
今日一日大汗かいたので風呂が気持ちよかった。
北海道に行くフェリーのようにサウナや水風呂があると有り難かった。

途中で買い込んだビールとつまみで宴会開始。
ビールは奮発してプレミアムに。
好みの刺し盛りやカツオのタタキの他に、大阪発と言う事で、てっさ(フグ刺し)と、1年に1回食べるかどうかのタコ焼きを食べる。
東京では、お好み焼き、タコ焼き、うどんなどは食べないが、大阪に来ると美味しいのでそればっかり食べてしまう。

 

ナビをフェリーに持ち込んでいるので今どこら辺まで進んでるのかが分かる。
有名な橋(明石海峡大橋・瀬戸大橋・しまなみ海道の橋)」が近づくいたら写真を撮ろうと言う事で撮りに行くが、防水&耐衝撃が魅力で買ったコンデジ(PENTAX WGP-1 GPS)なので、色んなモードで撮ってみるがうまく撮れなかった。
 

 


甲板から、四国方面から出ている月がキレイで水面に浮かんでいたので撮影する。
 

そのうちツレは寝てしまった。(どこでも寝られてうらやましい)
夏なので寒くはないし、気持ちよく寝ているみたいなので起こさない方がいいかとも思ったが、翌日の朝日で日焼けして、この後、痛い痛いとうるさかったり、肌が痛くて風呂に入れないとかになると面倒なので起こす事にする。


寝る前にひとっ風呂浴びて部屋に戻る。
寝室はカプセルホテルのようにスクリーンを降ろすと個室っぽくなるのでプライバシーも安心だ。
お互いイビキがうるさいので耳栓をして就寝。
(だいたい、同室で、仲良くなった家族連れの子供も、次の日の朝は悲しい顔をしている事が多い。)


8/18(水)340km

浜松発→京都→大阪南港

名門太陽フェリー2便南港20:00発→翌日08:20
Posted at 2013/09/25 23:30:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九州ツーリング | 日記

プロフィール

ジレラ GP800乗りのKen-ziです。。 ツーリング、温泉、お酒、B級グルメ愛するバイク乗りです。 47都道府県ツーリングを達成したのを機に記録とし...
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トラPAPAさんのジレラ GP800 
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ΙVREさんのジレラ GP800 
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愛車一覧

その他 画像 Ken-zi (その他 画像)
地元浅草の似顔絵屋さんで書いてもらったが似てるのかなぁ。。。 何か誰かに似てる・・・ ...
ジレラ GP800 ジピ八(じぴはち )号 (ジレラ GP800)
ジレラ GP800(ジピ八号)に乗ってます。パワーとキレに大満足! ツーリング仕様で日本 ...
カワサキ GPz250 じぴ子 (カワサキ GPz250)
当時の彼女のお兄さんの彼女さんから頂いた。 走行距離は少ないが不動車だったのでガキの頃 ...
スズキ ラブ ラブちん (スズキ ラブ)
友人の親戚から譲り受けて免許取って初めて乗ったスズキ・ラブ 走行距離は少ないが不動車だっ ...

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