
九州ツーリング 初日 (東京-浜松前泊-京都観光-大阪発フェリー泊で翌朝新門司着)
ツレから「前日の夜出発にしよう」との事で、仕事終わりに出発する事にした。
ツレは、小学生が修学旅行や遠足の前日に興奮して眠れないのと一緒で、前日の夜に出発する事で、前祝いと言うか前夜祭を楽しみたいのである。
気持ちはとても分かる。
ツレの夏休みに合わせて九州ツーリングを組んでいるので、徹夜や休日出勤でなんとか仕事をこなして間に合わせる。(間に合わない分は現地でこなす事にする)
いつもの箱崎PAで待ち合わせて、首都高、東名と進み、浜松ICで降りる。
夜の内に浜松まで来てしまうと後が楽だ。
前泊のビバーク地はあのパンチが効いた「バーデンバーデン」にする。
個性的でシュールすぎる風呂から上がり、スタッフは隣のファミレスに行ってもいいと言ってくれたが、ファミレスで宴会始めたら終わりが見えなくなるので、2Fのソファーで、途中で購入したアテと酒で前祝いをする。
通常ならここで、ルートの確認や、給油、休憩ポイント、食事場所、B級グルメ、ご当地お土産、はぐれた場合の待ち合わせ場所などを打ち合わせするのだろうが(最初はそのつもりなのだが)、馬鹿話に花を咲かせ、キリにいいところでまた風呂に入って就寝とする。
雑魚寝場所やリクライニングなど就寝場所が複数あるので、どこがいいか探していた時に、スゴイ寝相と顔で寝てる人を発見し、二人とも声を押し殺して爆笑する。記録に残したかったがマナー違反なので写真はあきらめる。自分もこんな大きい人間になれたらいいなと思う。
朝起きて、トイレの窓から見た駐車場に自分たちのバイクが止まっていたので撮影。
一応、急な雨と盗難防止でレインカバーをしてある。
バッグはジッパーを南京錠で留めて、バッグとタンデムグラブバーとの間をチェーンロックで留めている。
貴重品に近いモノはリアキャリアの中だ。
このまま走り出すと、ジレラGP800はシートを開けて給油するので、給油時にマゴマゴしてしまう。
今日は天気が良さそうだけど、暑くなり始めている。。。
ひとっ風呂浴びる。朝風呂は気持ちがいい。
ここの露天には池があるのだが、それが露天風呂なのか池なのか不明。
足を入れてみると生ぬるくてこれまた微妙・・・
支度をして出発。
浜松西ICから東名高速に乗り、朝飯を食べてないので、「浜名湖SA」で朝食。
二日酔いではないが念のため梅と大根のおろし蕎麦を食べる。

SAから見る浜名湖。
東名から伊勢湾岸道に入り、愛知県を過ぎ、東名阪道で三重県に入り、新名神で滋賀県に入り、甲賀土山IC手前の「土山SA」で給油&休憩。
新名神は新しくて走りやすくトンネルや山間は涼しくて気持ちいいが、よく取り締まりを見かける。
体が熱いので冷凍ミカンを食べる。
今日はこのまま西へ向かって、姫路城や明石の標準子午線、神戸を観光して、姫路おでんや明石焼き、神戸ビーフ関係を食べて、夜に神戸からフェリーで出発して翌朝、大分着かな、と漠然と考えていたら、地図を見ていたツレが一言
「京都近いんだ・・・」
それを聞いた自分はピーンと来た。
ツレは何かが気になり出すと止まらない正確だ。もしくはそこに行きたい、それがやりたい、それが食べたい、と言う心の声だ。
20年以上前、サイパンに行った時も充電器の熱さを30分以上気にしていた。
ほとんどの人が興味がないようなB級グルメの事を熱心に語ったりする。
最近では、奥多摩に走りに行こうと言う事で、箱崎PAを出発し、最初のSAで通過地点近辺に住む知人に連絡して合流しようと言う話になっていたのだが、最初のSAで地図を見ていて
「道志道が近いんだ」とつぶやき、「そうだね」と言うと、「うん、でも道志道を進むと山中湖なんだ」「そうだね、そろそろ知人に電話しようか」「忍野八海近いんだね」「・・・そうだね、じゃ電話するよ」「吉田も近いからうどん食えるな」「・・・道志道に行ってみる?」「うん!」と言うケースが多くある。その時は結局、知人には連絡せずじまいだった。
確かに方向だけ決めただけの当てのない旅だし、脱線や寄り道は旅の醍醐味でもある。
しかし真夏の京都の熱さは地獄だ。何度か話をスルーしていたが、どうしても京都に行きたくて止まらないようなので、京都に行く事にする。
新名神から草津JCTで名神に入り、京都東ICで降りる。京都は高速から遠いなといつも思う。
熱中症予防のためにコンビニでスポーツドリンクを買い、レジの女の子の京都弁で京都に来た感がUPする。
近くのラーメン屋を聞き、少し早いが、京都駅近くの「新福菜館 本店(京都市下京区東塩小路向畑町)」に行く。
「中華そば」を頼む。

真っ黒な豚骨醤油のスープに、たくさんの薄切りのバラ肉のチャーシューとネギが入っている。
こってり系に見えるが意外とギトギトしてない。濃厚だけど見た目よりあっさりしている。
人気の「焼きめし」も食べたかったがあきらめた。
それは食べてる途中に隣の「第一旭 本店(京都市下京区東塩小路向畑町)」とハシゴをすることになったからだ。
第一旭のラーメンは透明度で薄茶なスープ。こちらも見た目はギトギトしてそうだが、コクはあるけどしつこくないがジューシーさがある。


満腹で腹がはち切れそうだ。
両方とも普通盛りを食べたが、「小」もあったので、ハシゴをする人が多いのだろう。自分たちも最初から「小」にしておけば良かった。
腹ごなしを兼ねて京都散策。
三条と四条間の高瀬川近くの駐車場にバイクを止め、先斗町から散策開始。
幕末には「天誅」と称して、土佐の岡田以蔵はじめ、本間精一郎、田中新兵衛などの「人切り」と呼ばれる暗殺者がいたらしいが、こんな狭いところで、しかも夜に、急に襲われたらまず無理だろう。
京都の京都の夏の風物詩「納涼床(のうりょうゆか)」。
鴨川沿いに「床(ゆか)」と呼ばれるベランダみたいなモノを出し、そこで涼みながら飲食をする。
ちなみに嵐山では「川床(かわどこ)」と言うらしい。
幕末の土佐出身の志士「中岡慎太郎」寓居跡。
坂本龍馬と一緒に薩長同盟に尽力した人だが、もっと評価されてもいいと思う一人だ。
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋跡。今はコンビニになっている。
土佐稲荷。土佐藩邸の中にあったらしい。
小さい龍馬の銅像がある。

龍馬と中岡が暗殺された近江屋や、坂本龍馬と海援隊士をかくまった材木商「酢屋」など、土佐藩邸の近くにある。
高瀬川。
幕末から江戸時代にかけての豪商「角倉了以」が京都と伏見の物流用に開削した運河。
角倉家は茶屋四郎次郎、後藤庄三郎とともに「京の三長者」と言われていたらしい。
高瀬川は吃水が浅いので、高瀬舟と呼ばれる小さい船を両岸から人が引いていたらしい。
坂本龍馬と海援隊士をかくまった材木商「酢屋」
「新撰組」の名前を一気に高めた「池田屋騒動」のあった「池田屋」跡。
長州・土佐など諸藩の討幕派が謀議中に新撰組に急襲された。この事件で明治維新が1年遅れたとも、討幕機運を一層高めた、などといわれる。
今は石碑だけあり、居酒屋「池田屋 華の舞」がある。「華の舞」は東京墨田区両国が本店と言うか本社なのだが、土俵があり、他の店舗もご当地色を出しているので、ここも興味深い。機会があったら入ってみたい。
佐久間象山 大村益次郎遭難の地
勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰らの師匠筋に当たる佐久間象山と、兵学の第一人者、長州藩の大村益次郎が襲撃された場所らしい。
時期は違い、象山が元治元年(1864)で、大村が明治2年(1867)
三条大橋のたもと立つ「弥次さん喜多さんの像」。
平成の弥次喜多を自負する自分たちとしては来ておきたい場所。
「東海道中膝栗毛」は十返舎一九が、江戸の日本橋から京の三条大橋までの弥次さん喜多さんの珍道中を書いた滑稽本だが、全て徒歩(一部船)というのが今の時代に考えられないほどみな健脚だったのだと思う。
三条大橋。
こまめにコンビニでスポーツドリンクを買うが汗で全て出てしまう。
結局、京都観光中にトイレには行かなかった。
三条大橋の欄干の擬宝珠にある刀傷。
池田屋事変の時、新撰組が付けたらしい。
野球のバットほどの刃物を武士と言われる人はみんな携帯していたのだから、居酒屋で口論などにもなろうもんならと、今考えると恐ろしい。
長州京都藩邸跡に立つ「桂小五(木戸孝允)」郎像。
京都ホテルオークラの北西側にある。
この人と新撰組の土方歳三はあの時代では相当イケメンだと思う。
この人の奥さん「幾松」との命をかけたロマンスも有名だが、「幾松」は幕末から明治にかけて一番出世した女性だと思う。
世界遺産の「二条城」に行く。

ここで、江戸初期に徳川家康と豊臣秀頼が会見し、江戸末期に徳川慶喜が諸大名を集めて大政奉還をすると言う歴史的な場所だ。
家康は秀頼の成長に驚き、豊臣家を滅ぼす決意をしたと言われる。
江戸幕府の初代将軍就任の祝賀が行われた場所で、最期の将軍が政権を朝廷に返上するという、まさに江戸幕府の最初と最後を見てきた場所である。
話は変わるが、徳川慶喜が大政奉還をする有名な絵があるが、諸大名のえり足がポニーテールの女の子のようだといつも思う。
今の時代劇はカツラだから短髪のえり足だが、この頃は地毛でチョンマゲを結う訳だからあたりまえだが、なぜかいつも笑ってしまう。
狛犬(こまい)ではなく狛猪(こまいのしし)がある護王神社。
国歌である「君が代」の歌詞に出てくる大きい「さざれ石」がある。
京都御所の蛤御門(禁門)
幕府と会津藩に京都を追われた長州藩が京都での復権を狙って兵を挙げる(蛤御門の変)。
その激戦地だった場所で、うらには弾痕の跡がある。
薩摩藩邸跡。
ここは後に会津藩士「山本覚馬」の居宅になり、妹「八重」の旦那である新島襄が始めた今の同志社大学の敷地にある。
薩摩の土地が敵同士だった会津の手に渡り、「攘夷」を叫んでいたのにキリスト系の学校になると言う不思議な顛末。
能力や人間力で人を見ていたと言う事だろうか。
京都霊山護国神社に行き、坂道を上り霊山墓地に行く。
ここには坂本龍馬はじめ多くの幕末の志士の墓がある。
(中岡慎太郎、吉村寅太郎、望月亀弥太、那須信吾、池内蔵太、木戸孝允夫妻、高杉晋作、久坂玄瑞、大村益次郎、入江九一、寺島忠三郎、来島又兵衛、梅田雲浜、河上彦斎、宮部鼎蔵、横井小楠、住谷寅之介、平野国臣など)
ここは京都市内を一望できる。お椀のようになった文字通りの盆地だ。
ここに夏は暑い空気が、冬は冷気がたまるのだ。
祇園(ぎおん)にある「八坂神社」前。
ここは祇園祭で有名で、江戸時代までは「祇園社」と呼ばれていたそうだ。
この四条通りの突き当たりに建つ楼門と本殿が国の重要文化財だ。
祇園散策。
八坂神社の門前町として発展した京都有数の花街で「舞妓は〜ん」がいることでも有名。
近くには、ニシン蕎麦で有名な南座(歌舞伎劇場)祇園会館などがある。
京都っぽい風情も残るが、場所によっては歌舞伎町のような飲み屋さんも目立つ。
ちなみに舞妓さんが動き出すのは夕方からなので、昼間に歩いている舞妓さんはコスプレ体験の観光客だそうだ。
四条大橋より鴨川ナメで床を望む。
日も落ちて少し涼しくなってきたのでカップルが目立ってきた。
なぜ等間隔に座るのだろう。
この後、伏見に行って寺田屋とかを見に行こうと出発したが、伏見の手前で、フェリーの時間が厳しい事をナビで確認し、泣く泣く京都南ICから名神高速に乗る。
フェリー乗り場が出てこなかったのでとりあえず近くを行き先にセットする。
大阪の環状線に入りナビ通りに進んでいたが、首都高より分かりにくい感じがして、自分的には一周してるくらいの感覚だった。
大阪南港まで高速が走ってるようだがナビが古く手前で降ろされ、トンネルを通って南港近くまで来るがフェリー乗り場が分からない。
何度かフェリー会社に電話しても分からず、最期は携帯をヘルメットと耳の間に差し込んで、ガイドしてもらいながら到着した。
なんとかフェリーに間に合ってすぐひとっ風呂浴びる。
フェリーの乗船はバイクが最初で、車が後だ。
乗船してすぐだと大浴場も空いているのだ。
今日一日大汗かいたので風呂が気持ちよかった。
北海道に行くフェリーのようにサウナや水風呂があると有り難かった。
途中で買い込んだビールとつまみで宴会開始。
ビールは奮発してプレミアムに。
好みの刺し盛りやカツオのタタキの他に、大阪発と言う事で、てっさ(フグ刺し)と、1年に1回食べるかどうかのタコ焼きを食べる。
東京では、お好み焼き、タコ焼き、うどんなどは食べないが、大阪に来ると美味しいのでそればっかり食べてしまう。
ナビをフェリーに持ち込んでいるので今どこら辺まで進んでるのかが分かる。
有名な橋(明石海峡大橋・瀬戸大橋・しまなみ海道の橋)」が近づくいたら写真を撮ろうと言う事で撮りに行くが、防水&耐衝撃が魅力で買ったコンデジ(PENTAX WGP-1 GPS)なので、色んなモードで撮ってみるがうまく撮れなかった。
甲板から、四国方面から出ている月がキレイで水面に浮かんでいたので撮影する。
そのうちツレは寝てしまった。(どこでも寝られてうらやましい)
夏なので寒くはないし、気持ちよく寝ているみたいなので起こさない方がいいかとも思ったが、翌日の朝日で日焼けして、この後、痛い痛いとうるさかったり、肌が痛くて風呂に入れないとかになると面倒なので起こす事にする。
寝る前にひとっ風呂浴びて部屋に戻る。
寝室はカプセルホテルのようにスクリーンを降ろすと個室っぽくなるのでプライバシーも安心だ。
お互いイビキがうるさいので耳栓をして就寝。
(だいたい、同室で、仲良くなった家族連れの子供も、次の日の朝は悲しい顔をしている事が多い。)
8/18(水)340km
浜松発→京都→大阪南港
名門太陽フェリー2便南港20:00発→翌日08:20