通常日本に帰る際には、自分が運転しない事も含めて運転者や同乗者との会話に注意を払っているため、車窓の向こうに目を凝らす事は無かった。しかし、今回は休暇という意識が働いていないため、窓の向こうに見える日本の風景が自分にとってどういう意味を持っているのか考えさせられる機会となった。
やはり長い年月を経て日本は変わってしまった。
車のユニクロ化が軽自動車の跋扈の意味だろうし、一億総中流の時代がとうに終わってしまった事を感じさせた。
また、すごく先進的なものとアナクロ状態のものが混在するコントラストの強さに驚かされた。
車について幾つか考察していくと、例えば
日本人的には車内空間の広さが何らかの精神的余裕に繋がるという潜在的渇望が感じられるのだろう、走りや安全性が犠牲になっているという自分的にはストレス要因のポイントが多い車が目についた。また、内装のカスタマイズなども日本のファッション事情に共通するような特異性が見られた。それはいい意味での「傾奇」であり、ネガティブにみるならば「静謐な洗練」を感じさせないギラギラ感だったり、幼稚になりがちなサブカル感だった。
自分が構図を決めながらシャッターを切る際には、幾ばくかのノスタルジーを感じながらも、己の郷里という事実から突き放されたような異国情緒をも同時に感じてしまう。
自分がこの国で住むとしたら乗りたい車というのがぱっと思いつかなかった。
自分は画一的な流行に抗う傾向があるので、マスのマーケティング理論に基づいて創られている軽やプリウスの類とは相いれないし、かといって走り屋的な車やスーパーカーの類に興味もない。ましてや今の暮らしで見飽きている主流の欧州車にも乗りたいと思わない。
直ぐに思い浮かんだのはサブカー。これにはアストンマーチンシグネットとする。可能であればエンジンをG’S版IQで使われたスーパーチャージャー仕様に換装できれば最高だが、オーディオセットを総入れ替えし、衝突アラート機能付ドラレコを足すぐらいでもいい。これを死ぬまで保持したいところだ。
が、メインがまるで思い浮かばない。
長く付き合える普遍的な造形の車。
ゴルフバッグの数はどうでもいいが、ちゃんと二泊三日分4人分の荷物も載せられて山の麓にも旅館の前でも、あるいはスーパーやコンビニの駐車場にも溶け込んでしまえるようなやつ。押し出しは緩くて透明度が高いのに印象には残る。
敢えていうなら一昔前のプジョー406クーペとか初代VWシロッコ。
いや、何だろう。
でも、そういうの車が出たら意外と売れると自分は思うのだけれど…
Posted at 2016/10/24 04:45:25 | |
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