月曜の朝方、母親から電話→嫌な予感。
お婆ちゃんが今朝方他界したと。。。
11月1日に100歳になってから、2週間ちょい。
会社に出社後、夕方礼服などを自宅に取りに帰り、松山行きの最終の飛行機に飛び乗りました。
僕は生まれも育ちも大阪。
お婆ちゃんは、松山。
昔から、会えるのは、盆休みの年に一度。
お爺ちゃんは、僕が生まれた時にはすでに天国だったので、毎年墓参りもかねて松山に行ってました。
正月には現金書留で、お年玉も送ってくれてました。
唯一、1年に2回会った年が有りました。
それは、僕が、23歳の時に、親父が他界。
お見舞に1回。その後、親父の葬式。
今でも、息子を先に亡くしたお婆ちゃんの無念な表情が忘れられません。
その後は、僕は毎年お爺ちゃんの墓参りから、お爺ちゃんと親父の墓参りに変わりましたが、毎年欠かさず松山に行ってました。
お婆ちゃんも、80歳越えた辺りから、毎年、別れ際に、【もう、会われないかもしれない…】と、寂しげな表情でお土産を持たしてくれました。僕はいつも、【親父が早死にしてるんやらから、お婆ちゃんは100歳は生きるで!だから、まだまだ会えるわ!】と、笑いながら別れてました。
今年の盆も、松山へ。かなり、弱ってましたが、耳もしっかりしてたし。でも、さすがに僕も来年は会えないかも…と、思ったかな。。。
11月1日、そのお婆ちゃんが、100歳!
ツインズにおめでとうと言わせ、動画を送りましたが、何度も、見てくれてたよと、従兄弟から聞いてた矢先に。
大往生
まさに、お婆ちゃんの為の言葉かな?と、思うぐらい。
一昨日、お爺ちゃんと親父がいる天国に旅立ちました。
さようならと言う感覚じゃなく、行ってらっしゃい~(^.^)/~~~
僕は棺桶に、名刺をこっそり忍ばせました。
親父に、俺、頑張ってるよと、伝えてもらいたくて(^_^)ゞ
親父か他界したときは、まだ社会人2年目。右も左もわからない平社員。
今は、家も買い、家族も出来て、管理職。サラリーマンとして何とか生き残っていける自信も少しついた。
ツインズの事も、伝えてくれてると思います。
ツインズとは、3回会ったし
【今回、ツインズと嫁さんは行けませんでしたが。】
孫9人。曾孫5人に見送られ、幸せそうな穏やかな表情でした。【孫が1人、曾孫が3人来れず。】
旦那を早くに亡くし、苦労して5人の子供を育て、息子1人、娘1人を先に亡くして辛い思いをしたけど、孫が10人、曾孫が8人もできて、辛さ以上に楽しい事もあったと思います。
12月24日にお爺ちゃんと親父が待つ墓に、納骨されます。
これからも、変わらず優しく見守っていてね。
合掌
Posted at 2014/11/20 08:03:33 | |
トラックバック(0) | 日記