今回の記事は とても長いです・・・ご了承くださいませ。
5月19日(土)は某新聞社主催の行事が京都の西本願寺でありまして、参加してきました。
さて、敷地内にバイクを置かせていただき、集合時間まで間があるから近所を軽く散策して過ごします。
ちなみに今日のカメラはリコーのGRデジタル2でございます。
大好きな
伝道院。
お寺の関連施設には到底見えない教会っぽい姿。
この内部も見てみたいんですが非公開。
石柱の上には怪獣らしきものが?あります。
わたし、この眺めが好きなのです。
信号をわたり御影堂門から来た道を振り返りますと国道1号線を挟んで向こうに今通ってきた総門と仏具店があつまる路地が見えます。
豪華な阿弥陀堂門。
重文の御影堂。
磨かれた廊下。鶯張りの床ですね。きゅっきゅ音がします。
縁側や廊下には面白い遊び心が。わかりますか?
木の節穴や亀裂を埋めるための埋め木、遊び心があって面白いですよね。沢山あります。
いろんな形があって探すのも楽しいですね。
参拝客が癒されるよう、大工さんたちが細工したようですよ。
遥か彼方に京都タワーが見えています。
京都市天然記念物の樹齢400年以上あると思われるイチョウ。大きいです。
さてそうこうしているうちに、約束の時間が近づいてますので集合場所に移動します。
今日のイベントは
龍谷ミュージアムで開催されている
特別展「仏教の来た道」を学芸員の方の解説付きで鑑賞し、さらに
西本願寺の通常ではなかなか見る事が出来ない国宝をこれまた案内付きで紹介していただけるという事です。
何と応募は1400通をかるく超えていたそうで、その中から熱いメッセージを書いて送った20数名の人が参加との事。東京から来られた方もいらっしゃいます。周りを見ると割と高齢の方が多く、参加メンバーの中でわたしが一番若いような・・・ (^_^;A
西本願寺はご存知、世界文化遺産です。
浄土真宗本願寺派の本山でもあり、多くの参拝者や観光客で何時も賑わっております。この敷地内にも沢山の国宝や重文がある訳なんですね。
さて全員が集まったので注意事項などを受け、いよいよ、国の名勝である
「滴翠園」(てきすいえん)に入れてもらいます。
残念ながら、このツアーはすべて撮影禁止との事。自分の目にしっかりと焼き付けるしかないです。
滴翠園(てきすいえん)の、
「滄浪池」(そうろうち)と名付けられた池に面して建つ
「飛雲閣」(ひうんかく)を詳しく説明していただきました。京都検定の勉強中のため、知っている情報もありましたが、知らなかった事もあり、それはそれは非常に興味深い内容となっていました。西本願寺のウェブサイトには写真や説明文がありますのでそちらを参照してください。
( 飛雲閣について →
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/04.html )
西本願寺は豊臣秀吉に関する逸話が多く残っている場所でもあります。この飛雲閣も秀吉が京都に築いた聚楽第の遺構だとか、伏見城の遺構だとよく本に書かれていたりしていますが、そのような事は無く、西本願寺が独自に建てたものだという事が分かっております。金閣寺、銀閣寺と合わせて“京都三閣”と時々呼ばれるようですが、特に歴史的な根拠もないそうです。多分語呂が良いからじゃないだろうか・・・とのこと。
飛雲閣は原則非公開ですが、外観のみ期日を限って特別公開される場合があるんですよね。念願叶って嬉しい瞬間でした。しかし、特別公開されるときでも中には入る事が出来ないんですね。
飛雲閣の柱は建物の規模からするとかなり細いです。そこからまるで雲に浮かんでいるような建物だというところからその呼び名になったとも言われているそうです。隣にある鐘楼のみが、創建当時からのものであるとの事。幾多の戦火や災害に見舞われた土地なのですね。
そして一同は、
「書院」の方へと足を進めます。
ここからももちろん一般では特別な時期をのぞいて入れない場所になりますね。
周りの人たちの不思議そうな視線に優越感を感じ、VIP気分が否応も無く高まります。
まずは
「虎の間」へ。
なぜ、お城やなどで入り口近くの部屋には虎の絵が描かれている事が多いのか・・・。
くわしい説明がなされます。
ちょうど、迫る5月21日に親鸞聖人の誕生を祝う行事があるため、先の飛雲閣やこの書院内部がその準備に追われているという珍しい光景を我々は見る事が出来る訳でして…この辺りも写真で紹介できないのが残念でなりません。ちょうど鶯張りの板の間を畳敷きに入れ替えている最中でしたよ。
そして重文である
「南能舞台」(
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/10.html )へ。5月21日にはこの南能舞台で祝賀のための能が舞われるとの事。
そして舞台の下側や通路には音響効果を意識して大きな瓶が計算された場所にいくつも配置されていて(今で言うスピーカーでしょうね)驚かされました。
21日にこの能を良い場所で見るために、多くの人がずいぶん前から場所取りするのに並ばれるそうですよ。
そしてこの日、最も説明に力が入っていた書院内の
「対面所」(対面所とは 門主と門信徒が対面する場所です)に案内してもらいます。入るとそこは豪華絢爛な部屋でした。もちろん部屋自体が国宝です。
下段(門信徒などが座る)、上段(門主が座る)、上々段(当初は徳川家光が京都入りするという事で作ったそうだが、二条城に滞在、そのまま江戸に戻ったため誰も座った事が無い上座)で構成される非常に大きな部屋です(計200畳を超えていたと思います)。
西本願寺の書院は近世書院造を代表する建築だと言われている重要なものだそうです。
書院造りの説明も、実物を目の当たりにしていると分かりやすいものですね。
対面所の画像はこちら →
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/05.html
西本願寺の建物内に描かれている障壁画は非常に多くて長い年月(約270年!)を費やして様々な画家が関わってきたようです。そこにはあの京都の有名絵師、狩野派や円山派が関わっており、その技術的な変遷を目で感じ取る事も出来ることを学びました。
そして、狩野派の絵の簡単な見方なども解説してもらいました。対面所に書かれているダイナミックなふすま絵の実物(国宝)を目の前にしてですので非常に分かりやすい! 絵の保護のため、あまり明るく照明をつけれないのが残念ですが、当時からの絵が目の前数センチにあるなんて興奮しますね(もちろん現物は別保管で複製に入れ替えられているものもあるんですけどね・・・)。
次は国宝
「菊の間」(
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/07.html )、
雁の一日を連続的にかつ立体的に描いた国宝
「雁の間」(
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/06.html )はしゃれた遊び心があって興味深いものでした。
来賓を迎えるための部屋である国宝
「白書院」(
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/08.html )。
国宝
「雀の間」(
http://www.hongwanji.or.jp/about/spot/02.html )は抜け雀の部屋として有名ですね。
国宝
「黒書院」(
http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/09.html )はまず一般では入る事が出来ないとの事で今回、残念ながら入る事は叶いませんでした。薄暗くて普段はよく見えないとの事ですがこの日はたまたまお掃除をしていたようでうっすら窓明かりから部屋の一部を見る事が出来ました。これは非常に珍しいとの事。この後我々が見学する予定である龍谷ミュージアムに深く関わってくる大谷探検隊が、シルクロードへの旅路に多いに役に立った情報を得る事が出来たのは、楼蘭の発見で著名なスウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンが当時の第22代門主・大谷光瑞と交流があったことからで、この黒書院にヘディンは宿泊した事があるそうです(その際の記念スナップ写真がミュージアムに展示されていました)。
この辺りの詳しい事は 「大谷探検隊、地獄のシルクロードを行く」(
http://www.tanken.com/otani.html )というサイトに画像付きで詳しく解説されていますね。興味ある方は参考にしてみてください。
ちなみに、わたしが訪問した西本願寺の詳しいレポートは、こちらのサイトが非常に詳しくて参考になると思います。
「古墳のある町並みから」〜 京の世界遺産を訪ねる 西本願寺
http://www.y-morimoto.com/kyoto_isan/honganji.html
西本願寺の案内はこれで終了です。
続いて、国道を挟んで向かい側にある、龍谷ミュージアムに案内されます。
「仏教の来た道」ですね。
これはこれで見応えがありそうです。
学芸員の方から、今回の特別展の趣旨の説明があり、気分が盛り上がったところで館内に案内されます。
ここも、もちろん写真撮影などは禁止ですので画像はありません。
やはり専門の方からの説明を聞きながらの巡回は最高に分かりやすいですね。
第22代門主・大谷光瑞が結成した大谷探検隊(莫大な費用がかかったと思われますが、その財力に驚かされます)が残した功績をたどる事により、仏教がどのようにそれぞれの地域の影響を受け、取り込み、変化して行った様が分かりやすく展示されていました。
仏像というものが初めて登場したときは、ローマ彫刻の影響をかなり受けている様子が手に取るように分かりますし、キリスト教との融合が見られるような像もありました(どう見ても天使とか・・・)。ガンダーラ地方(現パキスタンやアフガニスタン周辺)は周りの国々の文化の交流が大変盛んであったとそれらを見ていると思われます。仏像の製造方法も塑像から変化して行く様子が上手く展示されていました。
館内の案内は予定時間を少しオーバーして1時間半ほどで終わりました。
会場でアンケートを記入し、龍谷ミュージアム製のポストカードをお土産にもらい解散となりました。
わたしはお昼ご飯を近所の人気店
「 吟醸らーめん 久保田 本店 」 ( http://r.tabelog.com/kyoto/A2601/A260101/26004660/ )で味噌つけ麺を食べ、再度ミュージアムをじっくり見学してきました。
あまり興味が無かった、龍谷ミュージアム、侮れませんでした。
この手のものがお好きな方なら満足できる場所だと思いますよ。
非常に充実した一日となりました。
これだったら、去年から行きたい
「まいまい京都」さんのイベントにも参加してみようかな。
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