今日で夏休みが終わり。
うちでは、息子の自由研究のお手伝いを・・・まるでサザエさんのアニメのような感じでした。
自由研究の自由って意味は・・・制約された中での自由が正解なんですが・・・自由って言葉があると中学生には、全て自由と勘違いしてしまうようですね。
“自由研究=なんでもいい。とにかくやったってことを成果物にすりゃいい。提出できるものがあればいい”なんて思っていたらしく、ネットで拾った他人の研究(工作)を出そうとしていたので激高しました。
親としては、夏休み入る前に、先生がもうちょっと言葉多めに説明してくれると助かるなーって感じました。
我が家では息子にどういう説明したかといいますと
最近新聞にあった資料から
『国語Aとか国語Bとか、数学も同様にある。
このAとBは、Aは基本的な書き取りや決まりごと中心でBが応用。
Aは正解率が高いがBは低い。またAとの乖離が大きい。
何が言えるのか?それは、基礎知識を活用することができない人が多いってこと。
要は“考える”ってことの低下を意味していて、このまま大人になった場合、自分で考えることができなくなってしまう人が増えるってこと。
基礎部分っていうのは、今じゃコンピュータに置き換えることが可能な領域がたくさんある。そうなると、いくらそんなことができるからといっても世の中の役には立たなくなる。コンピュータがあれば人はいらなくなるってことだからな・・・。
知識を拾ってうまく活用できないと・・・最終的には人の判断なので、何も回答が導き出せなくなる。
だから、文章問題をたくさんこなして、今までの基礎知識を引き出しながら脳みそを回転させなければならないんだぞ。
結局は、親が子供の面倒を見てあげられる時間ってのは、毎日減ってきている。
何れ大人になったら、持っている知識を活用して、いろんな問題に取り掛からなければならない。そうしないと企業や公務員なんか勤められない。今やっていることは、まじめに考えるとそういう部分の序の口。そこを見据えて毎日自分を成長させなきゃだめだ。
自由研究は、小学生だった過去の知識と中学生になってからの知識を生かして、今の自分にできるような応用問題を考えて、その成果を出す、それが自由研究ってもんだよ。
例えば、野球。キャッチボールやバッテイング、守備練習てのが基礎問題。これをいくら出来ますって言ってもゲームにならないでしょ。
バスケも同様、ドリブルできるシュートできるってのはあくまでゲームに生かす上での基礎能力。それを野球やバスケのゲームの中でその場その場どうするこうする判断出来ないとその競技は成り立たなくなるだろ?
ゲームでは、自分がやった基礎を出す。やってきていないものは出来なくて当たり前。中間テスト○番だったってことで基礎が出来ているなら、応用できなけりゃもったいないだろ?』
まぁ、やっと息子も理解してくれましたね。
(息子のバカさを露呈しているようで恥ずかしいですが・・・)
結局悪い例を引き出しもしましたが・・・
みなさん、バカッターって言葉をご存知でしょうか?
つい最近、とんでもない出来事をツイートしちゃって炎上騒ぎが起きていましたよね。
なんかその発起者?その人?出来事の当事者?まぁ・・・そんなニュアンスを一括りにしているらしいですが・・・非常に痛い人たちです。
それらがこんなサイトにまとめてありました。
http://matome.naver.jp/odai/2132708118341913001?&page=1
まぁ、親としては、こんな風にはなってもらいたくないですもんね。
Posted at 2013/09/01 23:29:37 | |
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